草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

「江戸の足あと」を探して その3 芭蕉一色の「大川端」

2013年11月22日 | お出かけ

清澄橋からの景色も素晴らしい!先ほどからビルの上に見えていた「ANTENOR」の看板。結構大きなデパートとかに入っているパン屋さんがあるの?

あった!「工場直営店」らしいです。

    

イートインもあるようだったので入ってみました。狭いスペースですが、小さな子供連れのお母さんや、ファミリーがパンで腹ごしらえしています。飲み物は自販機で50円くらいで買えるようでしたが、パンやケーキはそんなに安くないかなぁ、、元々の値段が高いんでしょうね(-_-;)ということで見送り、「萬年橋」はもうすぐそこです。  

「深川萬年橋」の広重の浮世絵はかなり江戸っ子の粋が出ていて大好きです。清澄橋を渡って、隅田川に流れ込む「小名木川」にかかる一番隅田川寄りの橋です。

    

この大きな「亀」が目印、亀を見て「亀だ」と思ってはだめで(笑)「鶴は千年、亀は万年」、それで「萬年橋」と、ピンと来るのが江戸っ子の粋とか?

芭蕉の有名な俳句のボードに、て遊び歌の石のスツール。向こうに見える水色の壁は水門のようです。

    

        

そしてここから「芭蕉」の独壇場でした。芭蕉が住んでいたということで、芭蕉神社、芭蕉の墓、芭蕉展望公園、芭蕉記念館、「そら屋」という喫茶店、

    

          

この「おでき神社」はなんだろう? 正式名は「正木稲荷神社」らしいです。 たまたまググってみたら凄く詳しいサイト発見!公園の芭蕉の像は本当に動くの??(@_@;)

      

隅田川テラスは「大川端」の句がどこまでも。俳句は母から父方のいつぞやの母に「大隅連台(れんたい)」という女流俳人がいて地元の高校の近くの山に句碑があると聞いて見に行った気がします。もう無いだろうなぁ、、ってこの記憶も怪しいんですけど(-_-;)何とか調べる方法はあるかな?などと思いながら読んで歩きました。

          

もっと沢山あったけど、この辺でやめた(-_-;)隅田川には豊洲と浅草を走る「ヒミコ」が通りました。このままテラスも良かったけど一旦上がってちょっと町中に入ってみました。

    

大きな銀杏の奥には「江島杉山神社」がありました。江の島の弁天様と「管鍼術」を広めた「杉山和一」という方の神社だそうです。これもまた興味深い、5歳で失明して、鍼灸の修業をしたが不器用で破門、生き倒れ寸前でお寺に助けられて再度修行をしたが、ここでも限界を感じて弁天様に断食祈願、満願の日に躓いて倒れた時に筒の様になった笹の葉に松葉がくるまっていた松葉から「管鍼灸」を編み出す。何と江戸に出て将軍綱吉の難病を治したとありました。

    

ところで、まさかないだろうと「大隅連台」なんて、ちょっとググったらそれらしきものが出てきたので(@_@;)「二俣南北紛争」ってなんだ?

「明治34年9月11日、蓮台は二俣から馬車を飛ばして俳人十湖の住む豊西村中善地へと向かった」ってあるので私の祖父の母?じぇじぇじぇ(@_@;)

浜松の秋山さんという方のサイトにはいろいろ面白そうなことが書いてある。じっくり読んでみたいと思います。なんだか面白いことになってきた(*^_^*) 


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