平均律という老舗の珈琲屋さんで、写真に親しむキッカケを貰いました。
岡田邦明さんというフォトグラファーのご指導のもと、写真の豆本を
作りました。
私は元々映像好きです。学生時代は映画が好きで年間200本以上観たこともありました。映画を見るのも、映像を見ていました。ストーリーや俳優ではなく、画面の美しさばかりを観ていました。
京都芸大に入って、映像の授業はそれはそれはパラダイスでした。
だって短い映像作品を自由に(アートなので)作れるのです。
パソコンで編集も自由にでき(final cut pro とimovieを使いました)、すっかりハマり高いソフトを買いそうな自分を引きとめるのが大変でした。
写真もその延長線で、興味深々でしたが、ハマると夢中になりそうなので
自制して、コンパクトカメラではなかなか思うよう写らないフラストレーションを溜めつつ、遊んでいました。
私は絵を描く方が好きなのだ。
絵を描くのだから、写真にとらわれてはダメなんだ、
なんとなくそう思っていました。
でも違いました。
写真は絵とは根本的に違いますが、ところが絵を描くことと本質的に同じ部分がありました。
絵と写真は両立する、という思いと、自分の手で作り出せない被写体を切り取る作業の面白さ、に素直に身を任せることにしました。
写真が身近な表現手段になった時、私の表現手段のライフワークに選んだ版画や文章はどう影響を受けるのか。
よく、映像的な文章とか、写真のような絵とか、たとえられますね。
きっと根底で何らかの影響を受けるのだと思います。
今、岡田さんのアドバイスで早速気づいたこと。
私は世界を色で見ている、らしい。色を消してモノクロームの世界でファインダーを覗いたら、世の中を切り取ったら、私の目が見ているものの形がもっと鮮明になる、はず。
期待しちゃいます。
岡田邦明さんというフォトグラファーのご指導のもと、写真の豆本を
作りました。
私は元々映像好きです。学生時代は映画が好きで年間200本以上観たこともありました。映画を見るのも、映像を見ていました。ストーリーや俳優ではなく、画面の美しさばかりを観ていました。
京都芸大に入って、映像の授業はそれはそれはパラダイスでした。
だって短い映像作品を自由に(アートなので)作れるのです。
パソコンで編集も自由にでき(final cut pro とimovieを使いました)、すっかりハマり高いソフトを買いそうな自分を引きとめるのが大変でした。
写真もその延長線で、興味深々でしたが、ハマると夢中になりそうなので
自制して、コンパクトカメラではなかなか思うよう写らないフラストレーションを溜めつつ、遊んでいました。
私は絵を描く方が好きなのだ。
絵を描くのだから、写真にとらわれてはダメなんだ、
なんとなくそう思っていました。
でも違いました。
写真は絵とは根本的に違いますが、ところが絵を描くことと本質的に同じ部分がありました。
絵と写真は両立する、という思いと、自分の手で作り出せない被写体を切り取る作業の面白さ、に素直に身を任せることにしました。
写真が身近な表現手段になった時、私の表現手段のライフワークに選んだ版画や文章はどう影響を受けるのか。
よく、映像的な文章とか、写真のような絵とか、たとえられますね。
きっと根底で何らかの影響を受けるのだと思います。
今、岡田さんのアドバイスで早速気づいたこと。
私は世界を色で見ている、らしい。色を消してモノクロームの世界でファインダーを覗いたら、世の中を切り取ったら、私の目が見ているものの形がもっと鮮明になる、はず。
期待しちゃいます。
ボク自身、アレコレ試行錯誤していますが、最終的にどこへ行き着くかは別にして、アウトプットの構図・フォーカスを一生懸命考えるというのは結局必要なんだろうなぁと思っています。(文章も含め)
そのトレーニングとしては悪くないかなと。
収入が安定したら、カメラを買いたいと思っています。
写真って思っていた以上にいろいろなことと繋がるんだなあ、というのが実感です、実はハマるのが怖くて避けていたのかも知れないです。
覚悟を決めて、ハマろうかな。