身辺整理が止まらない。と昨日書いた。
この「片付けたい」欲求はどこから来ているのだろう。何かを新しく始めるため、リセットするための、準備体操のようなものなのか。
そういえば、食欲減退も止まらない。
何故食欲が極端に減退しているのかは、胃の検査、色々飲んでいる薬や治療についての各担当医の見解もはっきりしない。
でもとにかく食べられないので、食事の量は極端に減り、体重も減っている。
それで、身の回りを片付けたくなったのは、食べていないことに関係があるような気がしてきた。
食べられなくなって、多少体の不調が出ている。血液検査で栄養失調状態だと言われたし、手足は頻繁にツルし、めまいも起きる。でも、けっこう元気に生活している。仕事もしているし、思考力が極端に下がっている様子も無い。
これは・・・普段が食べ過ぎ、なんじゃないか?
先進国の現代人の摂取カロリーは、そもそも過剰だという説をよく聞く。確かにハイカロリーな食事をこれでもかと食べて、間食もして、甘い飲み物もアルコールも飲んで。
後進国、途上国に住む人は我々の何分の一のカロリーで生きているのだろう?はたまた、ほんの少し昔の日本人、たかだか50年とか70年とかくらい前の日本人の食事と比べて。彼らはちゃんと生きて労働も生産も思考もしている、(いた。)
宗教の修行には絶食がよく取り入られられる。仏教の僧侶の修行食はほんとうに乏しい食事で、かなりの労働と思索をする。過剰なカロリー摂取が生産活動と思考活動の邪魔をしているかのごとく。
過剰に食べることで、人間の本能的な欲求がすべて十分すぎるほど満たされてしまって、食以外の欲求が麻痺するような。
食べること、はおそらく人類のDNAに累々と刻まれてきた根本的な本能だから、それを満たされればとりあえずOK、と体も脳も停止するような気がする。
逆に考えれば、食べられない、という事態は、自分の体をフル回転させて「食べられない」危機から自分自身を救おうとする。だから、生産効率が上がるはずだ。
それから、食べられなくなって、もうひとつ気がついたこと。
お腹が空いて、食事を美味しいと感じる、ことがいかに人を幸せにするか。結局人間は食べること至上主義なのだ。動物なのだから当然だ。
食べられればOK。さらにそれが美味しく楽しければ、オプション付き。
そう思えることも、とても人生をシンプルに片付けてくれる。食べないことが、違う景色を見せてくれた。