舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

トーク・アバウト・自主トレ

2007-06-20 23:31:19 | ダンス話&スタジオM
今日はシルバー大現役さんのレッスンがありました。
今回の現役さんも、キャリアとしては新しいほうですが熱心な方が多く、骨髄バンクでの演技も上手くいった♪とおっしゃるグループのひとつです。

さて、このグループに限らず熱心な生徒さん(特に新しい方)から、しばしば「自主トレはどうしたらいいの?」と訊かれることがあります。
ではこの場を借りてお答えしましょう。

はい、自主トレなぞ全然しなくてもオッケーです。

え、答えになってない? いえいえ、そんなことないです。ちゃんと故あってのことです。
少なからぬダンスの教室が自主トレ(というか復習など)をするよう生徒さんたちにおっしゃっていることと思いますが、うちではいっさい、お勧めしておりません。
だからときどき、前回やったことができなくて「練習してこなかったから...」と恐縮する方がいらっしゃいますが、うちでは決してそういう生徒さんに呆れたり怒ったりすることはありませんので、どうかご安心のほどを。
忙しくて復習なんてできないよという方も多いでしょうし、前回やったことを忘れても、次回もう一度やれば前回よりしっかり覚えられるはずです。
もしどうしても分からないことがあれば、気兼ねなくレッスン中に訊いていただければうれしいです。
誰かにできなかった部分は、ほかのメンバーにとってもよく分からなかった可能性大ですし。
「それ訊いてくれて良かったあ」と、内心胸を撫で下ろす人がきっといるはずです。

そんなことよりもですね。
自主トレによってドンドコ軌道を逸れてゆくことの方が遥かに問題であると我々は考えます。

だってご想像ください...外国語をネイティブ・スピーカーから習っているとしましょう。
その人がとにかく発音をきょくりょくネイティブに近付けたいと思っているのなら、ひたすらネイティブの発音を聴きまくり、その場で自分で発音してみることを繰り返します。私ならそうします。
早く身に付けたいと焦るあまり、自宅に帰ってからも発音を練習したいと思うのは当然の欲求かもしれません。
しかし、どうしたって頭の中にあるネイティブの発音のイメージは、実際のそれとだんだんずれていきます。自分の発音が微妙に違うような気がしても今となっては本物を確かめられないし、そもそも自分の発音が違っているのにすら気付かないこともあり得ます。そして、違ったまま練習していても客観的に直してくれるネイティブ・スピーカーはいないので、本物とずれたまま次の授業まで練習し続けることになってしまうわけですね。
次の授業になって初めて自分の発音のずれに気付く(あるいは指摘される)ことがあっても、その癖を取るのに苦労するはめになり、なまじ何の癖もないより余計な苦労をしなければなりません。

それと同じことがダンスでも起こり得ると、我々は考えます。
というより、その実例を幾度となく見てまいりました。
うちでは「振りさえ踊れればみな同じ」とは考えません。やみくもに振り付けを覚えることよりも一つひとつの質を重視し、何百曲も踊れることよりは、ある一曲を完璧に美しく踊れることを誇りとします。

だから一番の上達の早道とは、一回一回のレッスンに集中して取り組むことだと思います。
うちのクラスの場合多いところで週2~3回、だいたいは月2回が通常のレッスン間隔ですが、これは次のレッスンまでにダンスの技術がリセット状態になってしまうほどの間隔ではありません。
頭が忘れてても、身体のどこかに前回までの積み重ねが残っているはずです。
急がば回れのこころですね。

でもやっぱりそれだけじゃ不安、何かやれることはないの!?と心配される向きもおありかもしれません。
そういうときは、さっきたとえた語学学習であれば文法を勉強すればよいのです。
つまりダンスであれば、曲が手もとにあれば繰り返し聞いて身体に覚え込ませたり、フラであれば私がレッスン中に説明した歌詞とその意味を復習したりすれば、何より為になります(あ、私が説明し忘れてたら容赦なく突っ込んでくださいな)。
まあもちろん、私も学生時代およそ自主学習というものをしなかった不良学生だったんで、これらの復習をしなくたって無問題です(笑)。

時々「お家で鏡の前でやってみてね!」と我々が言うことがありますが、それはたいていステップなどのピンポイント・レッスンで、練習し過ぎたからといって本来の姿からかけ離れてゆく心配のあるものはけっしてお勧めしません。

ちなみに複数人で自主トレすると、さっきいったようなずれがさらに激しく確信を持って極められてしまうことがままあるため、なおさらお勧めしません(笑)。
「ここってどうなの?」「こうじゃない?(←※間違い)」「だよねー。じゃ、こうしよう(←※暴走)」という悲劇の連鎖が情け容赦なく起こってしまうのです。
「複数いれば客観的になれる」なんて、とんでもないです。それが本当なら、テロも暴動もホロコーストも起こるわけないって。

...とまあ、最後は私の好きな物騒な妄想方向に行きかけてしまいましたが、主張はけっこう真面目なので、ひとつよろしくお願いします。

衝撃の事故

2007-06-19 23:58:07 | 徒然話
今日の午後、臨時ニュースを見て驚愕しました。
なんと渋谷の女性専用スパ施設「シエスパ」で大規模な爆発事故が起きてしまったというのですから!!

無惨に破壊された建物を見た時にはホント、イスラエルあたりのテロかと思ってしまったほど。
場所が渋谷のBunkamuraのそばのそばだと聞いて、さらにおったまげましたねえ。
Bunkamuraといえば、先日マーク・ケアリイ・ホオマル様が3日連続公演をなさったところです。
ああ、かの方がご無事で良かった...などと阿呆なことで喜んでる場合じゃありません。実際に死傷者が出てしまったのですから。

最近都内でスパ施設がブームらしく、それも渋谷や六本木のような中心街に建てられているようですね。
こういったスパは従来のような一般ファミリー向けではなく、大人をターゲットにした落ち着いた高級感のある施設を目指しているところが私にも好感が持て、一か所は会員登録してみたりもしています。
でもこういう事故があると、安全管理を徹底しているところでもやはり客足に影響が出てしまうんだろうなあ...。
もっとも事故の起きた施設だって、管理不十分で事故が起きてしまったのか、それとも不幸な偶然だったのかはまだ分からないのですが。

いずれにしても、多くのお客さまの身を預かっている商業施設の場合、事故が起きてしまったらたとえ施設側に落ち度はなくても、施設が責任を持ってしかるべきです(もちろん、客の不注意で起きた事故なら論外ですが)。
犠牲になってしまった方の冥福と負傷した方の回復を祈りつつ、二度とこういうことのないように一刻も早い原因究明と更なる徹底した安全管理をお願いしたいですね。

The Silver Metal Lover

2007-06-18 23:16:08 | ぼくはこんな本を読んできた
ああ、私としたことが、ベタベタの恋愛小説で号泣してしまいました。
しかも「こ、これはやばい」と思って飛ばし読みしたのにですよ。

ご存じの通り私は所謂ラブストーリーというやつが苦手で、特に若者同士の恋愛ものは笑いのネタにしかしないというヘソ曲がりであります。
(ちなみに二次創作で原作にはかけらも描かれてない妄想恋愛譚が語られるのを見るのはわりかし好きです。いや、そうとう好きです。ようするにやっぱりヘソ曲がりなんだな。)
トールキン御大のファンタジーの金字塔を映画化した『ロード・オブ・ザ・リング』も原作より恋愛色が濃くなってるのが気に入らん、と息巻いていた私です。

その私がうっかり滂沱の涙を流してしまった恋愛小説...それは、タニス・リー『銀色の恋人』(原題"Silver Metal Lover"、ハヤカワSF文庫)です。
温室育ちのお嬢さんが街なかで出会った男性に恋をし、厳格な母親などさまざまな障害を乗り越えて二人一緒に束の間の隠遁生活を送るも、あわれ二人は引き裂かれてしまう...という、はしょればどうってことのない(特に私は通常なら蕁麻疹が出るたぐいの)ラブストーリーです。

ただひとつ、恋した男がロボットであることを除けば。

この作品をきっかけに、私はロボットというかAIとか機械(と書いてからくりと読む)に滅法弱いことが判明しました。

つーか、もう少し早く気付けよという感じです。
折原みとさんのティーンズ小説『地球―箱船の惑星』も、コンピュータに意識を移植された女の子が主人公の恋愛小説でしたし、アン・マキャフリー『歌う船』も設定的にはあれにだいぶ近いです。
ちょっと前に映画化された『アンドリューNDR114』もばりばりのロボット小説でした。
これらの小説、どれも私が大量の涙なくしては読めなかった作品ベスト5くらいに入ってますが、よく見たらどれも「身体が機械の人」が主人公じゃないですか。
なんでいままでこの共通点に気付かなかったのか、自分の鈍さの方が今となっては謎です。
だから『恋人』なんてえぐいキーワードが入ってるくせに、この小説を発作的に買ってしまったのね。

まあおそらく、私が機械に異常な情を持ってるのが原因じゃないかと思います。たぶん祖父良美さんの影響ですね(かれは機械いじりのプロでもあり、うちのスタジオや舞台照明はすべて彼の設計したものです)。
良美さんもそうではないかと思われるフシがありますが、私も機械には魂が宿ってると考える傾向があり、機械に話しかけるなど日常茶飯事。機械をいじったり観察したりするのがたまらなく幸せで、よその珍しい機械を見るとついうっかりいじってしまい、古い機械も捨てられず、たまにいうことを聞かない機械に対しては裏切られたような気持ちになり、ほとんど恋人の不実をなじる女々しい女のようになります。

そうそう、前『けろけろ』という人間に変身したカエルの男の子とのラブストーリーもありましたが、それは特にグッとこなかったですねえ。
ストーリーがあまり良くできてなかったことも原因かもしれませんが、私にとってカエルは庇護して囲って侍らせる対象なので、恋愛ものではいまいち乗らなかったのでしょうね。
これが健気な子ガエルの感動冒険譚だったりしたら、恥も外聞もなく大泣きでしょうけど。

ちなみにマミちゃんが弱いのは動物ものです。これまた対照的ですね。
ネコ科の動物が好きみたいですが、それ以外でも動物(毛のモコモコしてるのがいいらしい、でもカエルには特待的に好意を持ってくれている)ならみなオッケー。すべて母の愛の対象に入ります。
この人は私のような恋愛アレルギーじゃないですが、映画で色恋沙汰が始まるとすかさず寝てしまうという点からみて、ある意味私より無関心といえましょう。

まあそれはともかく、ひとたび動物が登場すると、彼女の目は愛情と関心に輝きます。CMで動物が活躍するのを見ればこのうえなく嬉しそうで、最近のお気に入りはなんとかという箱型車のCMです。
だから、感動&感涙ものの動物ネタを見てしまったらもうダメ。とても他人事ではいられません。
あまりに感情移入して泣いてしまうので、動物関係の番組は見られないと申しております。

人それぞれ愛情の方向は違うのですねえ。
って、我々の場合その方向がいくらなんでも異常すぎるて気もしますが。

かえるが記事に!!!

2007-06-17 22:54:20 | カエル偏愛
日曜の読売新聞に、ありがたい記事が載っていました。

なんとカエルの特集です。

しかも、このような超悶絶悩殺イラスト付きです。
いやあ、これをお描きになった人、カエルに愛を持っているとみて間違いないですね。
でなきゃこんな上目遣いの萌えイラストなど描けませんって。

肝心の記事はといえば、記者の方の実家に住むがまがえるの話から始まり、日本でかえるが「守り神」として大切にされてきた歴史や、先日ご紹介した『カエラーたちのつぶやき』の著者であらっしゃる高山ケロリ&ビッキ姉妹の紹介、最近のかえるブーム、最近のカエルが被っている環境破壊やツボカビ症などの危機についてまで幅広く取り上げられていました。

私がこんなことを書いている間も、うちの窓ではかえるさんが一人いっしょうけんめいエサ取りをしています。
記者の高橋さんは「そういえば最近カエルの鳴き声を聞かなくなった」と心配しておられましたが、幸いなことにうちの周りではまだカエルたちが元気に生活しているようです。
彼らの姿を見ると、大嫌いな虫もカエルたちのために存在していると思えば我慢できるわと思いますね。
カエルたちのためだけに存在すればよいのですから、もっと数が少なくていいと思うんですけど(笑)。
捕り物のために家の中までカエルを招ければいいんですけどねえ。中で迷子になっては大変なので、そういうわけにもいかないし。

カエルはどこにでもいるようでいて、実は飼育がすごく難しい生き物として我々の間では有名なのです。
水陸両用なんじゃなくて、水も陸も環境が整っていなければ生きていけないのがカエルですからね。
田圃はその点、彼らの住まいとしてピッタリだったのに、最近その数が減っているのです。
まるで白人の権力拡大によって行き場を失っていった先住ハワイアンのよう。こんな不当な扱いは我慢できません。
そんなかわいそうな子たちのために住処を用意してあげたいのだけれど、植物もろくに育てられないズボ良奈(←またこう変換された...いったいどこで私の性格を知ったiBook)私には到底できません。無念です。

せめて一人でも多くのカエルたちにうちで快適に捕り物をしていただけるよう、彼らの家への通路を確保したり、表玄関に来た子たちを生徒さんたちが誤って踏まないようPRしたり、うっかり中に入ってしまった子を優しく外に誘導したりといった草の根的なことしか出来ませんが、人類が滅んだ後に末永くカエル社会が繁栄を極めることを願ってやみません。

田村正和マジック

2007-06-16 23:51:00 | 徒然話
今、香取慎吾ちゃんの「スマステ」で田村正和氏が出てらっしゃいます。
そうです。お察しのとおり、私は田村さんが大好きです(私は重症の年上好きなので、田村さんの年代になってやっと大人の男性として憧れる領域に入ります)。
しかし田村さんを敬愛しているのは、かっこいい大人の男性だからではありません。彼の持つ卓越した自己プロデュース能力ゆえです。

卓越した自己プロデュース能力といえば、バーレスククィーン、ディータ・ヴォン・ティース様です。
彼女は美の理想を20世紀前半に求め、自らのメイクやファッションもそれを意識したアンティークなスタイルを貫き、化粧法は10代の頃から変えていないそうです。
すばらしい。しかしフィクションの世界で夢を売るプロならば、まさしく理想の姿といえましょう。
私はディータ様がセクシーだからでも美しいからでもセンスが素晴らしいからでもなく、その高潔なプロ意識ゆえに敬愛しているのですね。

今回、映画『ラストラブ』公開にあわせて珍しくトーク番組に出演している田村さんを見たら、その点でディータ様とまるで同じでした。
普通なら撮ってほしくないような喋っている最中の振る舞いまで計算しつくされており、どんなポーズでも絵になります。というか、絵になるポーズしかしてないんだな、あれは。
それも一朝一夕でできたものではなく、20年から昔のドラマに出ている田村さんを見ても、彼の美意識はすでに完全に確立されており、キャラ作りに迷っている様子はいっさいなし。もしかすると、ものすごく若い頃は流石の田村さんも模索してらっしゃったのかもしれないけれど、そんな時代はとっくの昔に終わっているのでしょうね。

さらに、自分を貫いていながら相手のこともしっかり研究しているのがすばらしいです。
今日も慎吾ちゃんとの共演に際し、慎吾ちゃんやSMAPの近年の出演作をくまなく見てきたことが言葉の端々にうかがわれ、全てのメンバーの才能を的確に言い当てているあたり流石です。
しかも、そういう自分の水面下での努力をひけらかしたりはしないんだな。
かなりサービス精神の豊富なエンターテイナー、プロ中のプロという印象でした。

こういう素晴らしいプロに対してプライベートの話を訊くなど言語道断です。その点慎吾ちゃんは賢いね(田村さんほどの大物になれば、ある程度の箝口令は敷かれているんでしょうけど)。
よく、俳優やアーティストがプライベートの話をしたがらないのをつかまえて「何様のつもりだ」的な論調になってるマスコミがいるけれど、それは勘違いというものですよ。
マスコミにとっては自分の家族の話なんかをほいほいとしゃべっちゃうタレントの方が扱いやすくてウケがいいだろうけど、私にいわせればプライベートを秘して「自分の仕事だけ見て評価してくれ!」という態度を貫くプロの方がかっこいいな。
とくに、田村さんみたいに自分の仕事能力が優れている人はなおさらですね。

見にいっちゃおうかなあ、ラストラブ。
三谷幸喜作品以外の邦画は映画館では観ない主義を放棄しちゃうけど、ほかならぬ田村さんですもの、まあいいか。

いかんべ!!

2007-06-15 23:29:27 | ダンス話&スタジオM
今年も那須烏山市いかんべ祭がやってまいります
今年は8月18日(土)に出演する予定です♪

会場は那須烏山市(旧南那須)の大金です。
広大な駐車場にゴージャスなステージを建て、大々的なお祭りが行われるのですね。
うちの出演者にはここの地元や近隣の方もいるのですが、やはりほとんどは遠方から馳せ参じるメンバーなので、ちょっとした旅行感覚です。
ホテルを予約し、当日のランチに行くお店も目星をつけてあるんですよ(※この期に及んでも食い意地が)。
今回泊まるのは、昨年末のクリスマスイベントの際もお世話になった「かんぽの宿」です。
とにかく温泉が素敵で、イベントの疲れも癒えるんですよ~♪

もちろん行楽だけじゃなく出演もがんばります(そりゃそうだ)。
今回は2回目とあって、初参加の昨年より舞台や照明の傾向がつかめたので、昨年より良い演出でお見せできるかと思います!!
あ、運営スタッフの方、昨年同様うちは時間を厳守しますからビビらないでね~(笑)。
(注:昨年の記述をご覧になってない方のためにもう一度ご説明しますと、多くの曲がギッシリ詰まったスタジオMスタイルのプログラムを初めて見たスタッフの方のひとりが「こ、こいつ絶対時間守ってねえ」と激しく警戒したらしく、「時間内に終わらなかったら途中でも止めさすぞ」と脅しをかけ...もとい、忠告してくださいました。だからウチはプロの意地にかけて時間オーバーなんかしませんって。実際、あのときだって1秒もオーバーしてないはず。でも、あの時我々は所謂「いちげんさん」だったわけですから、信用されてなくても仕方ないやね。これからもお約束をキッチリ守って信頼していただけるように精進しますぞ。)

まだいただける時間の長さや時間帯が決まっていないため、曲目など詳細は決まっておりませんが、できれば今回の春イベントより何かしら新しいものをお見せできるようこれから練習を積みます!!

斎藤 美奈子『趣味は読書。』

2007-06-14 23:43:01 | ぼくはこんな本を読んできた
本日は私が最も尊敬する文芸評論家の方の作品をご紹介したく思います。

『趣味は読書。』斎藤 美奈子
ちくま文庫、2007


斎藤美奈子氏。私はこれほど素晴らしい文芸評論家を知らないし、今後も現れることはないでしょう。
『カウボーイビバップ』以来ほかのアニメが見られなくなってしまったのと同じように、初めてこの方の著作を読んで以来、ほかの評論家の文章は読めなくなってしまいました。

それは何故か...ひとえに斎藤氏がプロだからです。
編集業を経て評論家としてのキャリアをスタートさせたというだけのことはあり、この方はひたすら物書きのプロ、というより本の作り手のプロに徹しています。
いやあ、どんな業界にも「自称プロ」は数多いけれど、本当にプロ意識と技量を兼ね備えた人はものすごく少ないんです、じっさい。

私が思うに、評論のプロはきょくりょく主観を排し、客観的・鳥瞰的に評論対象を見る目が必要です。
その上で自分の意見を論理的に納得させられるよう説かなければならないのだから評論家も大変だけど、そもそも「プロ」ってのはあまねく大変なもんだ。
斎藤氏の著作には「ああ、この人がこういう立場だから、こういう結論に達するのだな」という色眼鏡の存在が全く感じられません。
おかげで、読者は限りなく無に近いクリアなガラス越しに評論対象を見渡すことができるのです。
これは明らかに斎藤氏のプロとしての技術ですね。

おそらくこの方は「女性ならではの発想」「○○世代特有の価値観」みたいな言われ方をされるのを何より厭うていらっしゃるんだと思います。
それが象徴されてるのがこの方の一人称ですね。ご自分を指して「私」という最も無性別な言い方(「わたし」ではない)か、さもなくば「斎藤」とおっしゃるのです。
これは「個」を排して鳥瞰者に徹しようとする斎藤氏の姿勢のあらわれではないかと、私は思います。

もちろんプロといっても好き嫌いの傾向はあるわけで、私がこの方を好きな理由の一つは、「理想の女性像」がけっこう近いことのような気がします。
だから同じタレント本でも梅宮アンナはこきおろされますが、飯島愛は評価されます(笑)。
しかし、個人的な好みはひとまずおいておき、たとえ斎藤氏と逆の意見を持つ人でも納得してしまうほど巧みに論を進めるところが、この方のプロたる所以です。
そのうえ文章がとにかく明瞭で読みやすい!!あいにく私がこの方を知ったのは大学生になってからでしたが、きっと小学生の頃に知っても同じように夢中になれたことでしょう。

そしてもうひとつこの方の素晴らしいところは視点の斬新さですね。
斉藤氏にかかれば、今いったタレント本もこてこてのナショナリズム本も流行のファンタジーも聖書すらもすべて同じ壇上に乗せられ、斎藤氏一流のユニークな視点から分類され、「なぜその本が売れたのか?」「この本が持ってる微妙に鼻持ちならない感じはいったいどこから(笑)?」みたいな疑問に対し、鮮やかに解説が弾き出されるのです。

そのスタイルはデビュー作『妊娠小説』で既に確立されています。
妊娠小説。なんともセンセーショナルなタイトルではありませんか。いったい何が書いてあるのかと、だれもが思うことでしょう。
タイトルで完全につかみはオッケー。そして、内容も同じくらい斬新です。曰く、「世の中には明らかに『妊娠小説』と呼ぶべきジャンルの文学作品がある。しかしそれが妊娠小説であることは読んでみるまで判明しない。これは由々しきことである。そこで、世の妊娠小説を時代を追って俯瞰し、分析してみようではないか」とのこと。
妊娠小説とは、ようはストーリー内に登場人物の妊娠エピソードが含まれている作品のことで、古くは森鴎外の『舞姫』から三島由紀夫の『美徳のよろめき』、そして現在の村上春樹まで、あらゆる作品がこのカテゴリーのもと論じられています。
どれも有名な作品で、いくつかは読んだこともあるけれど、こういう分け方をしようと今まで誰が思ったことでしょう。
そしてそこには、単にテーマで集めてみただけではなく、確かな系統というか傾向が存在するんですね。この分類力が凄いです。

今までアニメの知識の間違いや計算ミスの点でしか論じられてこなかった柳田理科雄『空想科学読本』も、今まで誰も比べようとしなかった石原慎太郎と唐沢利明の本が持つ意外な共通点も、みんなが熱狂的に支持した、あるいは誰も文句を言えないあの本(ここではあえてタイトルはいわない)の実はすっごくミョ~な点も、斎藤氏にかかれば誰にも見えてなかったことがあたかも自明の理のように描き出されます。
さらに、分析力が確固としているので、5年前の著作を見ても違和感なく現状に当てはめることができます。

斎藤氏は本の評論だけでなく、同じような鮮やかな手法でフェミニズム論も得意としてらっしゃいます。
『紅一点論』は、空想科学作品論の形をとったフェミニズム論ですね。だから、そこで取り上げられているのは『ガンダム』とか『セーラームーン』とかだけど、ガンダムもセーラームーンも知らなくてもまったく問題ありません。論旨が整然としているゆえ、個別の作品を知らなくても総論として読むことができるし、それが可能なほど分かりやすい文章で書かれているということです。
ことフェミニズムの話題になったとき、斎藤氏の筆舌はひときわ鋭く冴え渡り、私は喝采せずにはいられません。

斎藤氏にはぜひ、われらが東京女子大に女性学講師としてお越し頂きたい。
うちの大学はジェンダー関連の分野で文部科学省のなんとかという御墨付きをもらったのですが、御墨付きを頂いている以上、斎藤氏くらい気鋭の論客を招かなければハクがつかないぞ。
もしお越しくださるのなら、私は片道2時間半の通学時間にもめげず聴講生として再び大学に通いつめる所存です。

かえる日和

2007-06-13 23:44:57 | カエル偏愛
昨日突然暖かくなったため、今夜はかえるさんが大幅増員しました♪うれし~。
活動中の子は4人。小さいのに果敢に巨大な(もちろんかえるにとってだけど)虫にチャレンジしている子もいて、いじらしいけどちょっと心配です。
頑張ってたくさん食べてね~。

昨日「うちでやってるダンスが二大人気ダンスになってて驚いた」なんて話を書きましたが、かえるもこのごろ巷でとみに人気なようで、私としてはこっちも驚愕しています。
だってねえ。一昔前まで、かえるといえば「けろけろけろっぴ」グッズしかなかったですもん。
選択の余地がないからとりあえずけろっぴ買いあさってましたよ。まあ、けろっぴも可愛いからいいんだけど。
けろっぴのファミコンゲームとか未だに持ってる人、ものすごく少ないでしょうなあ。

ただけろっぴが出回ってて困ったことは、私の描くカエルを「けろっぴ描いて~」と言ってくる子供(って同級生のことです)がやたら多かったことですね。
「バンビ」を子鹿の代名詞にしてしまったディズニーもすごいけど、子供に「カエル=けろっぴ」と思わせてしまうとは、なかなかやるなサンリオ。
でも私ゃけろっぴが出るより遥か前からカエル描いてたんですよ。けろっぴの誕生はせいぜい'80年代末だから、正確には私がカエルを描きはじめた後なんです。
それにしても、ほとんど赤ん坊の時分からカエルばっかり描いてる子供ってのもなあ(笑)。

それが今やカエルグッズ選び放題なのですから、世の中わからないものです。
おかげで、大勢と会話して意気投合した子だけを選べるようになりました。
しかし大量に並んだカエルグッズを見ると思わざるを得ません。このグッズを手に取っている人たちは、かえる(もちろん本物含む)の背骨からお尻にかけてのカーブとか、ちっちゃな水かきのついた手とか、ウェストをひねったポーズや、黒いつぶらな瞳や、キュッと曲がった口角などに萌えを感じておいでなのでしょうか。
とてもじゃないけど、私のごとくマニアックなカエル要素に萌える人がそんなにたくさんいるとは思えないんですけど。

しかしながら、このごろではカエルブームに便乗した商品だけではなく、明らかにカエル萌えを理解してないと作れない悩殺カエルグッズが増えています。
私が見ると、グッズの作り手にカエルへの愛があるかどうかは一目で分かりますね。
つまり、今までも潜在的にカエル好きはたくさんいたのではないか(自覚の有る無しは別として)。そういう人の一部が昨今のキャラクターものブームに乗じてせっせと偏愛者用かえるグッズを作ってくださっており、我々一般偏愛者はその恩恵にあやかることができる、まことにありがたい時代がきたのではないかと思います。

1位&2位!!

2007-06-12 23:32:09 | ダンス話&スタジオM
私は見逃してしまったのですが、昨日テレビで凄いことを言っていたのだそうです。
曰く、人気の習い事1位がフラ、
2位がベリーダンスですと!!!

今朝早々レッスンに来た生徒さんたち(今日のメンバーの多くは両方やっています)が、興奮しながら教えてくださいました。

しっかしうちとしては、ただただ驚くほかないですね。
こんな事態、誰が予測できたでしょう?よりによってうちでやってるダンスのうち2つが1位2位を独占するだなんて。
マミちゃんは流行の先端をいくのが好きではありますが、うちでベリーダンスのクラスを始めたのさえ11年から前で、フラに至ってはあの人のハワイ留学から考えると優に30年以上になります。いくらなんでもそんな先まで見通せませんって。偶然にもほどがあります。

だから、こないだも言ったように「このダンスはかれこれこういうもので」なんて説明しながら踊ってきた身としては、この現状にはひたすらビックリです。
特にひねくれ者の私なんか、「私のやってるダンスはいかんせんマニアックでねえ」とのたまうのをなかば誇りにしていた感すらありますから(笑)、未だに自分がもはやメジャーなダンスをやっているということを認識しきれていないありさまです。
ひねくれ者なりに、自分の20年以上やってきたことがようやく市民権を得られたことは嬉しいですけどね。

まあでも私たちがすべきことは、真摯に学ぼうとしてくれる人たちに対していままでどおり誠意でもってお応えしようとすることのみです。
いえ、こういう時代だからこそ「真摯に学ぼうとしてくれる人」の存在はとりわけ大切ですね。

流行るよりずっと前からやっていて何よりありがたいことは、すでに長く来ているメンバーが少なからずいて、そういう人たちが安定した「ウチの教室の雰囲気」を作ってくれてあるということです。
ちなみにスタジオMの雰囲気というのは、先輩後輩に拘泥せず、メンバー間の対立を厭い、もちろん早い者勝ち意識もなく、レッスンにおけるスタジオ前方の位置をむしろ競って人に譲ろうとするあの雰囲気ですね(笑)。
10年前と比べると明らかにテンションがあがっているのはやはり流行の影響かもしれませんが、それでも時代に流されずに我々がやりたいことをやっていけるのは、長い年月をかけて出来上がってきたこの雰囲気をうちの生徒さんたちが守ってくれているからこそだと私は思います。

究極の梅雨グッズ

2007-06-11 23:40:07 | カエル偏愛
裏の窓近辺に住むかえるたちも二人に増え、間もなく梅雨がやってまいります。
雨だと普段以上に眠くなるし、外出時に降られると困ることもあるけれど、かえるたちが雨に喜ぶなら、それもいいさ。

というわけで、梅雨時を素敵に過ごせそうなブツをゲットいたしました。
これは決して極楽浄土の図ではありません。って、極楽浄土でこんな景色が見えるのは私くらいかもしれない(そもそも私が極楽にいけるかどうかは別として)ですが、星空に浮かぶ大勢のかえるたちというまったく夢のような景色を描いているのでございます。

これを店頭で発見したとき、一瞬の迷いもなくゲットすることに決定したのはいうまでもありません。
しかし発見した場所が問題でした。なんとハワイ島・ヒロのダウンタウンの一角だったのですね。
そういえば、オアフ島では傘を見かけることってめったにないですが、ヒロは雨の多い地域ゆえ傘がほうぼうで売られているようです。
ちなみにヒロで降る雨を「Ka Ua Kani Lehua」と呼びます。ハワイ語ではしばしばこういうふうに地域ごとに雨や風の名前が付いているんですね。

私はこれからヒロ→ホノルルの国内線に乗り、数日後には成田行きの国際線にも乗らなきゃいけません。この傘は到底スーツケースにおさまるサイズではないので、それらの機内に手荷物で持ち込まなければならないのです。
しかもテロ警戒で荷物検査が厳しくなっている昨今、はたして許可が下りるのか!?と不安は過りましたが、カエル傘の魅惑の前ではそんなのごくごく些末な事柄に過ぎません。
かくて合計10時間に迫るフライトを、この傘とともに乗ってきたのでした。

ちょうどヒロを発つ時、我々は雨に降られました。
そこでわざわざ空港の屋根の下から離れ、この傘にカ・ウア・カニレフアをたっぷり浴びせかけておきました。
なんとなく縁起がよさそうな気がしてやってみたのですが、複数のことに同時に注意の払えない私ですから、傘に気を取られてスーツケース思いっきりぶっ倒しました。バカテンポ。

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