父の赴任先南京から帰ってしばらく新聞社が用意してくれた
中村の借家に住まいました。
近くに有名な中村遊郭があり、
そこから通うクラスメートがいて1度だけ遊びに行ったこともあります。
昼間の廓は子供心にも寂しい感じがしました。↓
今は老人のデーサービスに変身しているとか。
中村小学校4年生で光子さんと出会いました。
家へ行ったこともありますが、なぜか表札は違う姓でした。
母は光子さんと遊ぶことを好みませんでしたが
父はそれを嗜めていました。
彼女のお母さんはきれいな方でした。お家へ入ったことなかったですが
お母さんはとても喜んでくれ、飴玉などもらった記憶もあります。
いま思えば「小股の切れ上がった女性」と言うのでしょうか。
その後交流が途絶えましたが、長じてハガキがきました。
住所は岡崎市板屋町、母は住所を見て
「やっぱりね」と交流を好みませんでしたが、
もう大人になっていましたので構わず交流を続けました。
板屋町に今も残る建物 ↓
板屋町は岡崎の花街です。
結婚後しばらく文通し家へも遊びに来ました、
そして20年くらい前病院で亡くなりました。悪性貧血だったらしい。
病院に入院中、お見舞いに行き「また来るね」と約束したのに
なかなか行けなくてそのうち彼女の従姉妹?からハガキで
死の知らせがありました。
お見舞いの品を用意していましたのに・・・・・
薄幸の生涯でした。
いま受けている講座の先生が吉原誕生の本を出されたり
小説でも遊郭の話がよく出てきますので、そんなとき
彼女のことをいつも思い出します。