93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

花街と思い出

2018-10-18 15:57:49 | 想い出

父の赴任先南京から帰ってしばらく新聞社が用意してくれた

中村の借家に住まいました。

近くに有名な中村遊郭があり、

そこから通うクラスメートがいて1度だけ遊びに行ったこともあります。

昼間の廓は子供心にも寂しい感じがしました。↓

今は老人のデーサービスに変身しているとか。

        

中村小学校4年生で光子さんと出会いました。

家へ行ったこともありますが、なぜか表札は違う姓でした。

母は光子さんと遊ぶことを好みませんでしたが

父はそれを嗜めていました。

彼女のお母さんはきれいな方でした。お家へ入ったことなかったですが

お母さんはとても喜んでくれ、飴玉などもらった記憶もあります。

いま思えば「小股の切れ上がった女性」と言うのでしょうか。

その後交流が途絶えましたが、長じてハガキがきました。

住所は岡崎市板屋町、母は住所を見て

「やっぱりね」と交流を好みませんでしたが、

もう大人になっていましたので構わず交流を続けました。 

板屋町に今も残る建物 ↓

板屋町は岡崎の花街です。

結婚後しばらく文通し家へも遊びに来ました、

そして20年くらい前病院で亡くなりました。悪性貧血だったらしい。

病院に入院中、お見舞いに行き「また来るね」と約束したのに

なかなか行けなくてそのうち彼女の従姉妹?からハガキで

死の知らせがありました。

お見舞いの品を用意していましたのに・・・・・

薄幸の生涯でした。

いま受けている講座の先生が吉原誕生の本を出されたり

小説でも遊郭の話がよく出てきますので、そんなとき

彼女のことをいつも思い出します。

コメント (10)
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