93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

エピソード

2020-09-30 21:10:49 | 想い出

南京支局長時代、社屋前で    従軍記者時代(みな故人)

父が大学出たころは「大学は出たけれど」という歌があるくらい不況でした。

夢破れ(司法界希望)伝手を辿って東京から名古屋へきました。

私が生まれた直後のこと(私は一応東京生まれです)

伝手とは同級生(愛知一中時代)の父上が新聞社の社長さん

会社が用意してくれた借家で3人で暮らし始めました。

新米記者はサツ回りから始めるようで、熱田警察署だった。

その借家に住んでかなり過ぎたころ、父は母に

「実はこの家は首つり自殺があった」と告げました。

母もさるもの近所の人から聞いてとうに知っていたと。

母は何も父に言わないところが面白い。二人で化かし合い?

「家賃が安くて助かった」とこのことがばれてからの父の弁でした。

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涼しくなったらあれもやろう、これもと待ち構えていたのですが

テキパキことを運べなくなりました。涼しくなりましたのに。

脱線も多いし、体も言うこと聞いてくれない。

それでも一つでも達成できた日は気分は上々です。

コメント (8)
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