葉が落ちて庭の冬木が寒々しい。雲は風に吹かれ速足で流れていく。
最近の私は何事も「億劫」になりました。
老いからくる体力の問題と勝手に決めています。
それを解消するには目標と言うより目的を持つことが必要らしい。
「億劫」は仏教用語と知りました、とてつもない長い時間のこと。(サンスクリット語)
膨大な時間がかかり、長くて耐えられないことから、億劫は
煩わしくて気が進まない意味に使われるようになりました。
「億」が数字の単位であることは誰もが知っています。
一、十、百、千、万、億、兆 まで 小学校で習いました。
大人になって「京」を知った。
「億」は一万の一万倍です、「劫」の一億倍が「億劫」。
頭が混乱してきました。億劫(おっくう)なことです。
とてつもない長い時間を指すことから、「面倒くさい」「気が乗らない」となり
現在のような使われ方をするようになったようです。
億劫がらずに動きたいものです。
今まで使ったこと無かったのですが最近耳にします。
これは億劫とは違いますね(#^^#)
「億劫」今まで感じませんでしたが歳と共に増えていますがそれは仕方ないと思って居ます。
でも若い方からめんどくさいとか億劫とか聞くのは嫌いです。
そんな年から何を言ってるの!と叱りたくなりますがむやみに叱ることが今は出来ませんし('Д')
「億劫」の語源は仏教用語であること、初めて知りました。
そして、とてつもない長い時間のことであることも…。
私も最近、卓球と食料品の買い物(同時に済ませることが多い)
以外で外出することがとても億劫になりました。
お洒落して外出なんてめったにありません。
億劫がらずに、いろいろなことに挑戦することも大切ですね。
頑張ってみます。
どんな人なのでしょうね。
想像はつきます。
最近はぼーっとしていることが苦にならなくなり、
要注意と反省しています
外出はほんと、大切と思います。
家にいればだらしない恰好していますから。
使ってる言葉でもなぜ億劫と言うの?とか、
読書中は特に知らない言葉に出会うと調べたくなって
しまうのですよ。
外出も大事だと思います。
多少の緊張もありますし、一枚着替えて出ますから。
全てが億劫になり、ベッドでごろりと寝て
本でも読みながらうとうとしてればそれが楽とは
思いますが、その誘惑を跳ね除けて
少しでも動いていないと老いが加速する、
まさに億劫は老いの敵です。
遠い親戚などとの義理の付き合いなどなど、挙げれ
ばキリがありません。
その分自分で使えることが増え、億劫も悪くないと
独りよがりしてます。
遠からず食べることも、歩くのも億劫に感じる
時が来ますが、これも色即是空の世界と、早く
達観したいと思ったりもします。
暖かい部屋で、横になって時代小説を楽しむことが
唯一と言っていいほどの日々に反省しています。
外出するとなればよれよれのズボンの一枚も
着替えますから、やはり外へでなければとおもいます。
真の意味は理解できていません、
運転免許証、年賀状などとっくにやめていますが、
年賀状はいただくと嬉しいものなので
年賀状来た方には返事出しています。
最近は10通くらいです。
私は食べることだけは旺盛なので、まだ当分
生きていそうです。