数日前に降った雪、すぐに消えましたが、当地では珍しくて写真撮りました
2003年8月1日、ホームページ開設しました,無料のサーバーもありましたが
掲示板が欲しかったので有料(確か月400円くらい)で借りました。
以来、8年近く続きました。時にお友達が旅行記や写真も投稿してくれました。
一番投稿の多かったある友人は去年自殺しました
HP上に雑記帳と称して、読書感想文、旅行記や写真、日々感じた思い等々記していました。
HP閉じたとき雑記帳残したくて、せっせと自分でプリントしました。
今思えばその労力に我ながら感心し、恐れ入るばかりです。
今ではその雑記帳を読む根気もなく、捨てるのも残念で如何したものやら。
HP閉鎖と同時のblogはじめまして現在に至っています。
>捨てるのも残念で如何したものやら
絶対捨てないほうがいいですよ(きっぱり!)残されても困るほどのものではありません。
私は今まで「捨てると入用になる」という法則で、何回後悔したかわかりません。
私もブログでなく、つれづれなるままに書き留めているものはありますが、残して参ります。
後継ぎが処分したければ、燃えるゴミへポイで処分は簡単なのですから取っておいた方が後悔無いかもと(*^^*)
少しは後の人に迷惑?をかけたっていいじゃありませんか(^_-)-☆
なんだか名古屋と似ていますよね。
日記帳の類は私は残さないです。私の息子たちも
残されても困ると思うので。
ただ、息子との思い出を綴ったノートだけは
残そうかな〜と思います。
主に飛騨の歴史や風俗、登山記録などが主な内容です。
飛騨を去るに当たって閉じましたが、プリントも
していないので、one clickで全て消えました。
紙と違って、デジタル記録は処理が楽でいいです。
たとえ先が短くても、未来を語るのが大切かも知れませんね。
置いておきたい物はしっかり別にして。
薄情ですが姉の整理をして思いました「これは何で大切に?」とか反対に大切なあれはどこに?
後の人の事を考えますから自分で捨てています。
処分してしまうことは、心の中に残るとは言いますが、
大切な思い出が失われてしまうようで寂しいですよね。
でも取り出して見返すこともないとなると、家族のために残しておくものかどうか、
また悩みますね(笑)
「おばあちゃん 何になりたい 孫が聞く」
京都銀行川柳劇場として読み上げられるのをラジオでよく耳にして、いつもクスッとしています。
○○になりたかったなあ、とは答えられるでしょうけど。
胸のつかえがおりた気持ちです。
私は潔くない性格のようです。
ひとに迷惑かけてもいいとはなかなか思えなくて。
今になって自認しています。最終的「終活」の今
悩ましいことの多い昨今です。
足元の雪は困りますよね
ただでも転ぶ危険がありますから・・・
「終活」も最終段階に入り処分に困ることが
多くなりました。またアドバイスくださいね。
お恥ずかしいことです。
飛騨でのユキちゃんと雪の中のトレッキング、
熊が表れ写真拝見等々思い出されます。
たとえ先が短くても、未来を語るのが大切かも知れませんね。
>そのお言葉にはっとしました。残り短くても
大切に活きなければいけないと思いました。
遺されたものがたとえ一瞬でも処分に迷わないかと思いまして。
「終活」のことばかりに明け暮れていますが
一向に捗りません。
あと何年今の生活が続けられるか?こんなことばかり
考えています。
「おばあちゃん 何になりたい 孫が聞く」
さてさて私は何になりたかったか?思い出せませんが
父が司法関係に進んでほしいようなこと言っていました。
戦後の混乱期でも父は先を見据えていたのでしょうか?
大変だったとお察しします。
おっしゃるように、業者が皆処分してくれると
友人も話していました。
その方がさっぱりしていいかもしれませんね
ありがとうございました。