93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

「FOUJITA」

2015-12-19 18:02:09 | 日々の暮らしから

「FUJITA」ではなくて「FOUJITA」が正しいのです。 フランス語表記なそうです。

この映画もまた戦後70年と無関係ではないでしょう。
戦争中は多くの芸術家が意に染まぬ作品を発表したと思います。
一人藤田嗣治だけではない。
戦後まもなく作家の集まり「文芸協会」(名称は違うかも)から
みなにかわって一人罪を負ってくださいと言われた藤田は日本に居場所はないと感じ、
フランスに渡り、その後フランス国籍を取得かの地で亡くなった。
なんだかスケープゴートにされたみたいに思えます。

本人会心の作と言ったらしい「アッツ島玉砕」の画が彼をフランスに追いやることになったのだろうか?

前半はパリの風景が素晴らしい。貧しい生活から「乳白色の肌の女性」を描き一躍人気を博す。

映画後半は日本へ帰り(戦争のため)疎開生活を送る。その風景がまた美しい映像で描かれ見事!
しかし、何の脈絡もなくお人形が浮かび出てきたり私には理解できなかった。
啄木ではありませんが、「石をもて追わるるごとく・・・」日本を去りました。
そして自身のため教会を建て、藤田画伯はここに眠っています。
幸せな人生だったのか、そうでなかったのか私にはわかりません。

↑投稿写真、kimayumiさんから拝借致しました。

※一年ぶり以上の映画で(手術後初めて)少し冒険でしたが、終演後よろつきはしましたが、
無事帰宅しました。鑑賞中も固まらないように動いていました。
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キャッチコピー

2015-12-16 10:47:19 | 日々の暮らしから
侘助(だと思います)


久しぶりに駅前の大型書店へ立ち寄った。疲れていたがところどころにある椅子は空いていなくて残念、
大きな書店は活気があっていいものだ。
買う予定はなかったが、キャッチコピーに惹かれて、またまた曽野綾子さんと、ひ孫の絵本購入。
間もなく2歳のひ孫は感受性豊か、贈り物に口をすぼめて「おー」と反応、喜ぶ。大人もかくありたい。


曽野さんの本を売り出すときのコピーはなかなかうまいと思う。
本の題名のつけかたもお上手だ。
凄腕のコピーライターがついているのだろうか?
コピーライターと言えば糸井重里氏くらいしか浮かばないが。
曽野さん自身で考えることはないと思うが?どうなのか?
出版社の編集者とか、広告代理店の人と考えるのだろうか?


コピーや本の題名に惹かれて買うのは私ぐらいのものかもしれないが、
本屋さんではあちらこちらの目立つところに置いてある。
ともかく曽野さんの出版物の多いこと、多作の人ではある。
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アマゾンはすごい!

2015-12-14 20:55:08 | 日々の暮らしから
葉牡丹と銀梅花


最初の書籍リーダーkindleを水に落して駄目にし、二台目fireを購入して便利しているが
二台目購入後まもなくこんな勧誘が来た。

アマゾンは私が水に落したことを知っているわけないが、あまりのタイミングにびっくり、そして呆れた。
ことほど左様に「水難事故」に遭うタブレット利用者は多いと言うことか。
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「収穫」

2015-12-12 20:11:04 | 日々の暮らしから
助っ人を頼んで主に桜の落ち葉を集めました。



桜の冬木


アオダモも裸になりました。


ドウダンとかえでも最後の競演です。


落ち葉の量は桜以外は大したことなく、ぼつぼつやれば私の手に負えるかもしれない。
掃除の事を気にすると、母がよく言っていました。「埃では死なないよ」と。

庭の落ち葉ならなおの事ほうっておいてもいいのですが、やはり気になります。
桜の葉は硬くて強いので土に返るまで待てません。
その点カエデや他の木々は早めに土になるようです。
庭の隅っこにはまだたくさんの落ち葉がある、
中心部だけはまあきれいになったので良しとしよう。


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中島飛行機の終戦

2015-12-10 21:34:49 | 日々の暮らしから
今年は終戦70年、数々の本が出版されましたし、
メディアにも取り上げられました。
この本もその一貫ですが、お友達から頂きました。

その友人は私より少しだけ年長、博識、記憶力もよく、尊敬しています。
詩人の茨木のり子さんのような信念の人、強い人です。
会えばいつも刺激を受けています。

名古屋はこの中島飛行機はじめ三菱航空機など航空機生産の中心地でしたから
学徒も全国から動員され(男女で1万人位)犠牲者も多くでました。
この友人も間一髪で命拾いしたそうです。本の中で証言もしています。
動員学徒の年齢は主にS2年~S6年なので、S6年生まれの私はぎりぎりで動員されたわけです。
私は神戸製鋼名古屋工場へ動員され、飛行機の部品作りに励みました。
鋳物工程の「中子取り作業」でしたが、急ごしらえの「工員」ですから多分歩留まりはよくなかったでしょう。
↓  左から2人目が私です。食料不足の時代にしては丸い顔しています。
   父の関係で新聞社の取材を受け当時の新聞に載りました。
私も知っているカメラマンでした。
   女学生も工場で・・・と言うような見出しだったかもしれません。
左隣に座るsigekoさんは空襲警報が出て退避の途中、
焼夷弾の破片で足を怪我しましたが、命に別状はありませんでした。
      

当時の中島飛行機の技術陣には、かの宇宙開発の父と言われる糸川英夫さんはじめ東大技術の英知が集まっていた。
小惑星探査機「はやぶさ」は中島飛行機の誇る戦闘機「隼」からの命名です。
また小惑星「イトカワ」も糸川氏に因んで命名されたこともよく知られています。

終戦の混乱時、先ず学徒を父母の元に帰し、半島からの徴用工にも旅費など与え帰したりと
列車もいつ動くかわからない混乱の中で想像を絶する大変さだったでしょう。
中島飛行機の職員たち自身明日もわからぬ身の中でよく戦後処理に当ったと感動した。
なかにはどさくさにまぎれ、自己中心の行動に出た人もいただろうが
全般にはさすが日本人の誠実さがなければできなかったと思う。
後数年で歴史の証人もいなくなる時代、よい本が出版されたと思いました。
コメント (17)
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