93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

東施効顰(成語)

2018-11-08 08:37:21 | 言葉

日本語では「西施の顰に倣う」と言っています。

 傾城の美女西施、あるとき胸が苦しくなり眉に皺を寄せると、

 一層美しく見えたので東施がこれを真似たら

 人が寄り付かなくなったと言う物語。

最近ブラウスの前だけインが流行っています。

若い人のを見ると、とてもカッコよくてお洒落です、

先日街中で私くらいの70代?80代?のお年寄りが同じようにしていました。

流行を取り入れた精神は天晴れですし、お見事と思いました。

敬意を表したいと思います。

何故か私は「西施の顰に倣う」を思い出しました

西施 ネットから拝借しました。

西施は楊貴妃などと共に中国四大美女の一人に数えられています。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一服の清涼剤

2018-11-06 13:38:19 | 読書

雨の朝・スモークツリー 11月6日

再読です。読書は私にとって「避難港」「清涼剤」小説ではありますが

時代背景、歴史も知り得ます。勿論一番は楽しみです。

  

医師高松凌雲は幕末、徳川昭武(慶喜の弟)の随行医として、パリへ。

そこで進んだ医学を学び,「神の館」(病院)ではお金持ちも、貧しい人も

同じ高度な医療を受けているのを目の当たりにし、凌雲は感動、

これがのち明治になって政府や財界を動かすことになった。

この留学で学ぶことができたのは、慶喜、昭武のお陰と感謝。

パリ滞在中に大政奉還、幕府崩壊を月遅れで知ることになったが、

昭武はじめ随行員たちが冷静な行動をとれたのは

選ばれた開明な人たちだったからだろう。

榎本武揚とともに函館に赴き、病院を作り、戦で傷ついた兵士を

敵味方なく治療した。 

明治になっても新政府は凌雲の技術、人格に敬意を払い

招聘を試みたが、あくまで自分の信念を貫き通し、

貧しくても治療を受けられる病院建設に力を注ぐとともに

若い医師たちの育成にも熱心だった。

この赤十字運動の先駆者は1916年満79歳で亡くなった。

しばらくは吉村昭本を再読することになりそうです。

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教会の永眠者記念礼拝

2018-11-04 19:59:21 | お出かけ

90年余の歴史がありますが、街中のこじんまりとした教会です。

毎年1回、このころ永眠者記念礼拝が行われます。1年ぶりの教会です。

別に郊外の復活苑(納骨堂)でも年1回春先に記念礼拝が行われます。

私のキリスト教行事参列はこの年2回だけです。

いつものように賛美歌を数曲歌い、頌栄にも和し、牧師さんのお説教に

耳を傾け、無事終わりました。

顔見知りもだんだん減りましたが、昔お世話になったmaseさんを見つけ

「生前は大変お世話になりました。お変わりなくお元気そうで・・・・」

お互いありきたりの挨拶を交わした後、別の知人とお話ししているうちに

このmaseさん、maseさんであることは間違いないのですが

ご子息であることが判明。

 冷静に考えれば30年、40年以上も前の容貌であるはずがない。

やはりお父上の永眠者記念礼拝に来られていたらしい。

何の疑いも抱かず挨拶した私を、

ご子息maseさんはどう思われたでしょう。

言い訳になりますが、瓜二つとはこのこと。

終わってすぐ帰られたので助かりました。

お父様と間違えました、と言うのもへんですし・・・・

出かけると、なにやかやとミスをしでかす今日この頃です。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年前のブログです

2018-11-01 19:55:06 | 病気

今日送られてきた1年前のブログで風邪のこと書いています。

1年前の風邪も今回の風邪も長引きました。

半月近くを経てようやく治る兆しが見えてきました。

毎年同じことをくり返して齢をとっていくのだと感じました。

進歩も進化もありません。でもこれでいいのかもしれません。

 
風邪、侮るなかれ
風邪の初期の対応を誤ったようで長引きました。お友達からメールで「RSウイルス」の事教えられましたが違うようでした。リウマチ科で風邪薬をもらい徐々によくなりました。齢......
 

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする