つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

数え切れないほどのみどり色の中で

2009年04月14日 | Weblog
とても言いあらわせられない程の
たくさんのみどりの中を
走り抜けていく。

あらゆる木々が春を迎えて
萌え立っている。
命の芽吹きに感嘆しながら走り抜けていく。

木々の芽ぶきは
こんなに鮮やかに見事に見えるのに
どうして人の芽吹きは見えないのだろう。
新しい旅立ちを迎えて、
きっとたくさんの命が輝いているはずなのに、
どうして、
人の芽ぶきは、
萌え立つ命の程はみえないのだろう。

人は
芽吹きの時さえ
知らないうちに過ぎ去って、

燃え立つ青春の時は
確かな自覚と共に燃えて過ぎてゆき、

ひたすら生きた時もまた慌しく

気がついてみれば
独りをしみじみと味わっている。

7月22日と印刷された入院食のメニューに
書き込まれたメモ。

前半は求め、獲得していく人生
後半は失い、充実させていく人生
誰のことばだろうか。

もはや求める人生ではないらしい・・。
何を充実させていくのだろう・・・。
そのためには捨てることが必要なのだろう。
さて何を。

寝たっきりだと歩行に関しては自立ってわかりますか?

2009年04月14日 | Weblog
要介護度の判定の基準が新しくなりました。
ところが大半がこれまでより要介護度が低く判定されるとのこと。
で、とりあえず今までより低い判定がでたら、
従来どおりとするということになったとニュースが流れている。

そんな実施も出来ない基準を何故法律として決めるのか、あまりにお粗末としかいいようがありません。
作成責任者は、労働厚生大臣でしょうから、責任をとってもらいたいものです。
先の給付金の事と言いとても信頼できないことが次々と決まっていきます。
政府として、責任あることが出来ないのですから、やめてほしいと思いませんか。

こんな馬鹿げたことがあるのです。
寝たっきりの人はそもそも立つことがないので、
歩くことに関しては自立していると判定するのだそうです。
どうしてこんな馬鹿馬鹿しいことが行われるのでしょう。

そんな判定基準に何故改定されたのか。

いわば先に結論ありきなのでしょう。
とにかくお金がかからないようにする。
そのための判定方式の変更なのです。

人間として最後までその尊厳を保って、生きるそんなことを保障するという理念が皆無なのです。

日本という国が、いかに人権に対する低い認識しか持っていないかという表れだと思うのです。