計算と数学の違い ギリシャの偉大なる数学者プラトンは、”計算と算術(数論)は全く異なるもので、算術は誰もが出来るものではない”と言い放ち、若き天才ガロアは”計算の上を行く数学”を唱えた。 多くの人は、”算数の延長上に数学がある”と思い込んでいる。勿論、間違いではない。 が厳密に言えば、算数は計算で正しい答えを出す事を目的とする . . . 本文を読む
前回「その5」では、証明の第1段階のおさらいも兼ねて、詳しく丁寧に説明しました。 アーベルは証明の第1段階で”yを表す為に必要な全てのべき根ᵐ√R,ᵐ√R²,…,ᵐ√Rᵐ⁻¹が、最初の5次方程式の解y₁,y₂,…の有理式となる事が示せれば、「不可能の証明」を完了させる事は難しくない”と主張 . . . 本文を読む
前回「その4」では、アーベルの不可能の証明の第1段階を紹介しましたが、一気に進みすぎたので、今回はその補足として、1つ1つ解説しながら振り返りたいと思います。 前回とダブる所が多々あるとは思いますが、悪しからずです。 アーベルの証明には、”解を添加する”という言葉が最初に登場する。 これは四則演算で閉じた体をFとし、それに新しい要素γを追加した時、Fの元と&g . . . 本文を読む
前回「その3」では、5次対称群と5次交代群と5次方程式の可解性との繋がりを、正12面体を使って証明しました。 ガロアが方程式のガロア群により代数的非可解性を証明したのとは対照的に、アーベルは方程式の可換性に着目し、非可解性の証明にこぎ着けました。 勿論、”可換な解の対称性”という視点では両者共に共通してますが、ガロアこそが解の置換を方程式の群として論じた最初の人物でした。 . . . 本文を読む
前回「その2」では、ガウスの代数的非可解性の”例外”を一般化しようとしたアーベルですが、ガウスの円周等分方程式をヒントに、”アーベル方程式”を発見しました。 アーベル方程式とは、重根を持たないn次方程式の解x₁,x₂,x₃,…,ₙにて、xₖ=Φₖ(x₁)、k=2,3,…,nと、xの有理式で書けるとし、任意のi,j . . . 本文を読む
数学は(数や計算ではなく)概念や観念の学問とされる。が故に、抽象的になりがちなのだが、一方で、こうした概念さえ見抜けば、数学に対する理解はずっと近くなる。 因みに、”概念”とは共通な性質を取り出してつくられた表象とあるが、物事の本質に過ぎない。深い考察(観念)により、その本質を見抜くのが数学なのだが、注意深く取り出さないと、痛い目にあう。 そういう私も、当り前に考えてた事 . . . 本文を読む
前回は、「アーベルの証明」(Pベシック著、山下純一訳)を参考にし、アーベルの代数方程式の非可解性の証明(不可能の証明)の概略について述べました。 少し整理すると、アーベルは背理法を使い、方程式が代数的解を持つ形を特定し、5次方程式での矛盾を示す事で証明にこぎ着けた。 そこで、一般の5次方程式をy⁵−ay⁴+by³−cy²+dy−e=0―①と . . . 本文を読む
アーベルは、5次方程式の非可解性を厳密な形で証明した1826年に、ルフィニの論文を読む機会があった。 ”私以前に一般方程式の代数的解法の不可能性を示そうと試みた唯一の人、その人こそがルフィニである。しかし、彼の論文はあまりにも複雑で、議論の正否の判定は非常に困難だった” 若干19歳のアーベルは、5次方程式の解法を証明した(1821)と信じ込み、大興奮した。だが、すぐにそれ . . . 本文を読む
僅か20歳のガロアは遺書の中の第1論文の序章で、”ある群が置換SとTを含めばその群は必ず置換STを含む”と「置換の定義」を簡単に述べてる。確かに、置換が群の定義である”結合法則と単位置換と逆置換S⁻¹を満たす”のは明らかで、”演算にて閉じてる”というだけで群の定義を保証した。 一方で、群の定義とは上の” . . . 本文を読む
前回では、江戸時代の和算が実用数学や娯楽として、広く当り前の様に普及してた様子を実例を示して紹介しました。 そこで今日の最終回では、和算の終焉と西洋数学の台頭の流れについて述べたいと思います。 和算は日本独自の数学である事のみが強調され、外国の数学の影響が殆ど無かったかの様に思われるが、中国からの影響があった事は容易に理解できる。だが、西洋数学(洋算)となると、それがどの程度導入されたのか?想像 . . . 本文を読む