象が転んだ

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「BLACK BOX」の行方〜性被害者の為の戦いが底知れぬ悪意と裏切りに利用される時

2025年02月22日 15時58分14秒 | 芸能&三面記事

 ”善人は最後の最後で嘘をつき、一流の詐欺師は肝心な所で真実を説く”という諺があるが、先日の伊藤詩織氏の記者会見ドタキャンは、それを具現してるかの様に思える。

 映画「Black Box Diaries」の事は、某フォロワーの記事で初めて知った。
 数多くの映画祭に出品され、24年10月にはチューリッヒ映画祭でドキュメンタリー賞と観客賞を獲得。翌年には、米アカデミー賞で日本人監督初の長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされ、英国アカデミー賞のドキュメンタリー賞にも日本人監督として59年振りにノミネートされる。
 と、ここまではすこぶる順調だったのだが・・

 今や、日本発の性被害が世界中に認められつつある。但し、なぜこれ程までに称賛され、評価されたドキュメント映画が日本で公開されないのか?
 最初に、某フォロワーの記事を読んだ時、日本では性犯罪に対し、議論する文化や意識すらないのだろうか?と少し憤慨したもんだ。
 また、同じ様な映画に「コンプライアンス」(米、2002)というのがあったが、これも2004年に実際に起きた”裸体検査”電話詐欺を基にした作品だった。だが、30州で70件の犯罪という事件の規模ほどに、それに見合う衝撃は伝わらず(評価はされたものの)殆ど世に知られる事なく終わった様な気がする。
 事実、”コンプライアンス”(法令遵守)と言うより副題の”服従の心理”を描いた作品で、無抵抗のまま服従する若い女性にも大きな違和感を感じた。故に見終っても、何も感じる事も考えさせられる事もなかったのが正直な印象だ。


更なる悪意か?裏切りか?

 一方で、実際に性被害を受けた伊藤詩織氏自身が監督した本作は今や、世界中にいい意味でも悪い意味でも、大きな波紋が繰り広げられようとしている。
 (公平を期す為に)ウィキからの引用だが、伊藤の性被害訴訟で代理人を務めた西廣陽子弁護士らが、<裁判のみに使用する>と誓約で提供された映像及び録音された自身を含む打ち合わせの会話や刑事との会話の映像が”承諾無く使用されてる”として、この無断使用を是正するよう求めていた。
 更に、取材源秘匿や事実上の公益通報者を守らず、”人権侵害にあたる映像が公開され続ける事には問題がある”と内容の変更を求める記者会見を昨年12月末に開いていた。
 この指摘に対し、伊藤側は”不正確”と認識し、”名誉毀損の怖れがある”と抗議。プライバシーに配慮し、オリジナル映像とは異なる加工を施したもので”映画には公益性がある”と主張した。
 更に、今年の2月10日に伊藤は、これらの件に関する記事を書いた望月記者(東京新聞)に対し、”利己的な人物である印象を植え付け、名誉を毀損された”として、770万円の支払いを求め、東京地方裁判所に提訴している。

 全く、双方の主張が真っ2つに分かれた形となったが、どうやら私の考えが甘かった様だ。というのも、”恩を仇という悪意で返した”伊藤氏の実像が見え隠れするからだ。
 そこで、伊藤氏の元弁護団の主張を整理する。以下、「映画に無断で音声使われ・・」から抜粋です。

 同弁護団は2月20日に、都内の外国特派員協会で会見を開き、性被害を受けた伊藤氏が自ら調査に乗り出す様子を6年に渡り記録した映画「Black Box Diaries」を巡り、被害現場のホテルの防犯カメラ映像を本人やホテルの”許諾なしに使用した”と指摘。また、海外では公益通報者にあたる捜査官やタクシー運転手、裁判で代理人弁護を務めた西廣弁護士に関する”無断録音や無断録画などが晒されてる映像が流され続けてる”と指摘。
 西廣氏は8年半に渡り、伊藤さんの弁護を担当し、彼女を支え、22年7月の上告審で最高裁は性被害を認めたが、西廣氏は”無断録音を使われた当事者として、海外含め削除を希望します”と訴えた。
 また、ホテルの防犯カメラ映像においては”(18年4月に)<裁判手続き以外の場で一切使用しないし、報道やネット配信しない>との書面にサインし、私も彼女が守ると信じてサインした”と説明。”(21年には)<映画にする場合は事前に見せて欲しい>と言い、了承した。しかし、(23年12月に)米サンダンス映画祭に出品されると聞いたが、事前に完成した事も映画を見せてくれるとの話もなかった”と続けた。

 更に、24年7月24日の都内での試写では”ホテルの映像が使用されていた。私の通話が無断で録音・収録されてる事に気付いた。それまで、タクシー運転手・捜査官の映像や音声でショックを受けてた私の心がズタズタにされた瞬間だった。<また相談させて下さい>とハグされたが、ハグを拒否する気力もなかった”と続けた。
 西廣氏は”幾度も約束は守られなかった。彼女側からは<底知れぬ悪意を感じる>と非難された”と主張。”私は8年半、彼女を守る為に費やしてきた。何て惨めで、長期に渡って戦い、信じてた人の問題点を指摘する辛さに押し潰されそうです”と声を詰まらせた。
 一方で裁判を振り返り、”真実を勝ち取った事や誹謗中傷を繰り返さない為に訴訟し、闘ってきた事は事実で、多くの人を勇気づけてきた事は間違いない”と語る。その上で”それを映画にしたければ、相手の承諾を取る事は精力的にすべきで、約束を守り、人を傷つけない事もできた筈”と訴えた。


恩を仇で返すな

 伊藤氏の性被害の経緯だが、彼女が米国の大学に在籍した13年12月に元TBS記者の男性と知り合い、同氏が15年4月に帰国し会食した際に、”意識を失いホテルで暴行を受けた”と主張。準強姦容疑で警視庁に被害届を提出した。一方、男性は”合意に基づく性行為だ”と反論し、東京地検は16年7月に嫌疑不十分で不起訴とした。翌年5月に伊藤氏は不起訴不当を訴えたが、”不起訴を覆すだけの理由がない”として不起訴相当と議決。
 伊藤氏は、同年9月に男性を相手に民事裁判を起こし、19年の東京地裁での1審は勝訴。男性の控訴を受けた22年1月の控訴審でも勝訴した一方で、男性の反訴も一部認容された。
 双方が上告して迎えた22年7月の上告審では、最高裁は双方の上告を棄却し、男性に約332万円の賠償を命じた。一方、伊藤氏の自著「Black Box」などでレイプドラッグを使われた可能性があるとされ”名誉を傷つけられた”として、男性は1億3000万円の損害賠償を求めたが、”著書には真実性が認められず”名誉毀損に当たると判断し、伊藤氏にも55万円の支払いを命じた。

 こうした元弁護士団の一連の反撃を受け、ジャーナリストの伊藤詩織さん(35)は20日、都内の外国特派員協会で開く予定だった会見を体調不良を理由に、突如キャンセル。
 これにより、同会見後、「Black Box Diaries」の日本版を上映後、伊藤氏の会見が行われる予定だったが、映画の上映も共にキャンセルとなった。
 一方で、元弁護団は”伊藤さん側の会見は、むしろ歓迎でした。私たちも伊藤さんの理由を聞きたかったから・・昨年7月からコミュニケーションが取れない中で、今日の会見は伊藤さんの考えを直接聞く事ができる機会だと考えていた”と語り、”結果として、会見がなされない事と、伊藤さんの説明が聞けない事は2重の意味で残念です”と続けた。
 以上、日刊スポーツからでした。


最後に〜”Black Box”スキャンダル

 正直、伊藤氏の元弁護団が主張してる事が真実であれば、性被害を受けた伊東詩織も何らかの法的な訴えを受ける可能性がある。
 更に、名誉毀損で言えばだが、彼女に作品賞やノミネートを与えた世界中の各映画祭側からも何らかの批判がなされるだろうし、少なくとも、彼女の作品に大きな汚点とケチがついた事は確かである。
 全く、性被害者が加害者になるとしたら、これ程の皮肉がどこにあろうか。 
 事実、22年1月まで伊藤の代理弁護士を務めた角田氏は”西廣弁護士の8年半に渡る誠心誠意ある活動がなかったら勝利はなかった”と西廣氏を評価し、その上で”恩を仇で返すべきではない。我が身に遭った屈辱を害(裏切り)で返してはいけない”と伊藤氏に訴えた。

 確かに・・である。
 悲しいかな、私は今回の件を直感で判断した事で、大きな誤解と勘違いをしてた様にも思える。事実、「Black Box Diaries」が日本でも公開され、世界だけでなく日本でも大きな話題になれば、性犯罪に対する日本人の意識と認識が大きく覆されると感じたからだ。

 日刊スポーツの記事では、伊藤詩織の紹介が映画監督からジャーナリストに変更されてるのには少し拍子抜けしたが、性被害者としてはともかく映画監督としては失格となるのだろうか。
 勿論、ドキュメンタリー作品という属性を考えれば、今回の失態と裏切り行為は彼女の人生においても大きなマイナスとなる筈だが、せっかく掴みかけた成功の機会を”会見拒否”という形で失う事も勿体無い気もする。
 従って、「Black Box Diaries」には思わぬ所に”Black Box Scandal”という落とし穴が待っていた訳だが、自分を支え続けてくれた大切な味方や仲間を裏切っては、彼女を信じ、支持してた性被害者らも報われない。
 悲しいかな、仲間を裏切ってまでも作り上げた作品が、彼女の自著のタイトル通り”BLACK BOX”になるとは笑えない話でもある。

 つまり、性被害者の為の戦いが底知れぬ悪意と裏切りに利用される時、性犯罪を巡る訴訟ゲームは、再び振り出しに戻るのだろう。 
 そう考えると、性犯罪を議論する時は細心の注意を払って事を進めるべきで、被害者だから何でも許されるという次元で物事を考えるべきではない事を教えられた気がする。



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