テレ朝の森山みなみアナが同局のワイドショーで、玉川徹氏を怖い表情で睨みつけた。
”初デートでファミレスはありか?”という調査では、男女とも半数近くが”アリ”と。また男性に(相手の反応を見る為に)”店を選んだ事があるか?”という問いに、”ある”が16%、”機会があればしてみたい”が28%にも及んだ。
これに森山アナは、”自分が楽しもうと思ったデートで試されてるって分かったら1秒で去ります”と怒りの表情。ただ、”試してると見抜くのは難しいのではないか”との声に、玉川氏は”見抜けるよ”と応戦、スタジオはビミョーな雰囲気に・・・
玉川氏は、(ぼくの話ではないとした上で)”可愛い子はチヤホヤされて育ってるから”と言いだし、森山アナは玉川氏をガン見した。
更に玉川氏は、”チヤホヤされて育ってるから、むしろ高いお店(僕らの頃はバブルで高級店)に行くマニュアルがあり、そういう所でも彼女たちは当り前なんです”と学生時代を振り返る。
そして、”逆に牛丼屋さんとかに連れてくと、高級な店は当り前に感じるが、(牛丼店などは)逆になに?ここは?とドキドキする”と吊り橋理論的なコメント。
これに森山アナは厳しい顔のまま、”ちょっとそれはないですね。試されてると思うと一気に冷める”と反論。玉川氏は”女性だって値踏みしてるんじゃないの?男だけじゃない”と返した。
以上、ディリーからでした。
吊り橋理論とは
不安や恐怖を強く感じてる時に出会う程に、恋愛感情を持ちやすくなる効果の事で、1974年にカナダの心理学者のダットンとアロンが、実際につり橋を使って実験した結果を元に提唱した学説である。
この効果は、外的な条件で興奮してる事と、恋愛感情により興奮してる事を混同する事か生じるとされている。因みに、女性がブスメイクで試した所、この理論は逆効果であると(笑)。
これは、映画「卒業」(1967)の中でも微妙な形で表現されてはいる。
ダスティン・ホフマン演じるベンジャミンは高貴な出の娘のキャサリン・ロス演じるエレインをデートを誘う時に、あえてストリップクラブを選んだ。
結果は歪なハッピーエンドで終わるが、このケースは二人が異常なまでに興奮してたから愛に昇華したのではなく、互いの愛を確かめ合う為にあえて場違いな場所を選んだのだ。
実際は、ベンジャミンがエレインの母親と不倫した事がきっかけで、二人の付き合いが始まるのだが、奇怪な不安が恋愛に大きな影響をもたらすのかを教えてくれる。
ただ、森川アナの”デートで試されてると分かったら1秒で去る”という冷めた発言には、(玉川氏でなくとも)アホ臭く映った。
こうした稚弱な白雪姫伝説を信じる女が日本にもいるという現実には、少し興味深いものを感じてしまう。
私の田舎にもこうした女は多い。
勿論、男がバカだから女もバカになるのかもだが、少なくともデートというのは(楽しむ所というより)お互いをよりよく知る場(Dating)でもある。
勿論、”楽しむ”という事も重要だが、お互いをよく知らない限り、恋愛は進展しないし、最悪は致命的な誤解を生む。
”付き合ってた時はこんなんじゃなかったのに”では遅すぎるのだ。
(28歳にもなる)森川アナがデート未体験という事はないだろうが、この人はどういう判断で結婚相手を決めたんだろうか?甚だ疑問に思う。
勿論、思春期で年頃の娘の生意気な発言なら、可愛くも幼くも感じる。”デートとは相手を知る為に行くんだよ。楽しむのは相手を知ってからだ”とおじさんは(偉そうに)アドバイスするだろうか。
しかし、30にもなろうとするご婦人がこんな発言をされたら、私は(玉川氏と違って)何も言い返せない。
デートは誰が為にある?
私が中学生の頃は(田舎という事もあってか)、男女が人前で付き合ったりデートをする事は、不謹慎で不良な行為とされたもんだ。
事実、隣町のアーケード街で他校の女子中学生と一緒に歩いてただけで、不良から因縁をつけられた事もある。
という事で、人前で心置きなくデートができたのは、大学生になってからだろうか。
そういう意味では、”20代の独身男性の4割がデート未経験である”という2022年の調査結果も理解できなくはない。逆に、昔も統計をとれば、”結婚式が初デート”というもの多かったのではないだろうか。
しかし、大切なのはデートの中身である。
例えば、理想(運命)の女性が目の前に現れたとしても、なかなか話も出来ないし、お互いを知る事もできないとしよう。
合コンで茶化す事も可能だが、そういうのが苦手な人もいる。いきなり初対面でデートを申し込んでも、”この人、何かありそうでヘン”とか”試されてそうでイヤ”と言われればそれで終りである。
つまり、デートとはお互いの理解と許容がない限り、成り立たない。勿論、互いにデート慣れしてれば簡単に成立する筈だが、男が小心者で女のガードが堅いとなれば、デートはまず成り立たない。
しかし、(私の様に)小心者の男ほどガードの堅い女に惚れるという矛盾も発生する。
人は(息をする様に)必ず恋に堕ちる。お金やモノや地位に恵まれても、恋に恵まれなかったら、廃人と同じである。
どんな所でデートしようが、それが”試される”デートであろうが、デートそのものに罪はない。
デートもSEXも男と女を成長させる為にあると思う。デートは良くてSEXはダメとか、デートがダメでもSEXはいいとか、そういうのもおかしい。
つまり、デートだけでは相手の全てはわからないし、SEXだけでも同様である。
今と違って、昔は(人前を避ける様に)隠れてデートをしてたケースが多かった様に思える。そういう意味では、今の方がデートする環境やマニュアルは充実してる筈だ。
しかし今は、デート自体を時代遅れのものとして遮る何かが存在するように思える。
援助交際やデートクラブでは、大枚を叩けば(いやそうでなくとも)どんな若い女ともデートやSEXが出来る。金銭上の付き合いと割り切ってるとは言え、恋愛関係に発展しないとも言い切れない。
デリヘルやスケベパブといった風俗も”性を楽しむ”という点では、(無機質だが)簡易なデートと言えるかもしれない。
これはデートの多様化とか陳腐化と言えるかもだが、お互いを知るという本来のデートの目的には、大きくそれてる様な気もする。
最後に〜デートというシビアな現実
そもそも、デートの本質を見抜いてれば、”ファミレスで初デートはありか?”なんて議題は起こり得る筈もないが、日本では未だにデートというのは、大勢で派手に楽しむ”ムラ社会のお祭り”みたいなしきたりが残ってるのかもしれない。
何処でどんな店でデートをするかが問題ではなく、デートで相手の本質を見抜くのが重要なのだろう。そういう意味では、玉川氏の言う(相手の反応を見る為に)”試す”という事もアリだと思う。
しかし、(森川アナの様に)日本にはそういうのを毛嫌う女性も多い。
愛する男性の本質を見抜くには、”試す”いや”試される”という行為を楽しむのもデートの醍醐味であり、本質である様にも思える。
確かに、デートを”値踏み”する機会とみなせば誤解も生じるかもだが、人間という強欲に塗れた醜い生き物を理解するには、それくらいで丁度いいのではないか?
デート(Dating)とは、その名の通り”日付”である。
”君の事で少し聞きたい事がある。何時にここに来てくれ”というのも、純然なデートでと言えやしないか。
相手をよく知るという事は、自分を守る事でもある。
相手をよく知ったつもりで好き勝手な事を言えば、当然誤解やトラブルを生む。それは、長年連れ添った夫婦でも付き合ったばかりの恋人でも同じ事であろう。
知ってるつもりは知らない事と同値であり、こうした歪な誤解や最悪のトラブルを避ける為にもデートは存在する筈だ。
高級レストランや牛丼屋という設定ではなく、どのタイミング(日付)でデートをするかも重要なポイントと言える。
つまり、デートにおいて”試す”事や”値踏み”は本質であり、”楽しむ”事はオプションの1つに過ぎない(多分)。
しかし、試される側からすれば、(私を試すんであれば)”高級な店で美味しいものでも食べたいわ”って言いたくもなる。
勿論正論である。試される女性もドレスアップしてめかしこんで、それに応えるべきだろうか。
故に、日本人が思う以上にデートは(お祝い事というよりも)現実的なものかしれない。少なくとも、田舎の宴会騒ぎではない筈だ。
そういう意味では、互いをよく知り合う(食事を兼ねた)面接の様なものかもしれない。
今回、森川アナの(玉川氏の口撃に対する)ガン見は、彼女がデートの本質を見間違えた結果の様にも思えるし、”初デートでファミレス”というテーマ自体に無理があった様な気もする。
ともあれ、デートというのは日本人が思う以上にシビアで現実的なのかもしれない。
だから男性は無理してお金を使う必要はないし、女性は無理してメカシコムこともない?
究極の結婚は、できちゃった婚が理想的かもしれない?
なんてこと、若い頃は考えもしなかったことですが、年取ると考えてしまいます。
また論点のずれたコメントになってしまったかもしれませんね。
タイミングってものもありますよね。
好きになる前にデートするのか?好きになってからデートするかでも、印象は大きく違うでしょうし・・・
好きになって、愛し合ってからゆっくりデートするのもありかなとも思うんですが、どんなに試されても好きあっていれば誤解はない筈なんですが。
人それぞれですかね。
こちらこそ勉強になります。