餅(もち)が大好きな私は、年末には正月用の丸いお餅ではなく、(保存料が入った)安い四角の切り餅を買う様にしている。700gで300円程だったが、未だ半分ほど残っている。
今日も近くのスーパーに出掛けたが、半額で叩き売りされてる1kg入の切り餅が山の様に積み重ねられてた。値札に惹きつけられて見る人はいても、それを買う人は殆どいない。
なぜ?スーパーは余ると判りきってるのに、毎年同じ様にド派手に正月のお餅を山の如く並べたがるのか?それはお餅だけでなく、お歳暮やお中元の贈り物、バレンタインやクリスマス商戦でのチョコやフライドチキンでも多く見られる毎年恒例の光景である。
恵方巻きとフードロスに関しては、「恵方巻きビジネス」でも紹介したが、余ると判ってるのに食材を無駄に並べたがる店側の心理とは?・・・飽和状態にある生産性の限界か?マーケティング戦略の矛盾なのか?単なる卑しい商魂に過ぎないのか?
そこで、フードロスの現実と販促戦略の矛盾と限界の視点で、この不可解な現象を見つめていく。
以下、「フードロスと生産性のジレンマを考える」を参考に、店員同士の会話形式にまとめます。
構造上のジレンマ
以下は、某地方スーパーの店員さん同士の会話である。
”大方の予想通り、多くが余ってしまいましたね”
”年末は、とりあえず餅とか並べまくるもんなのよ”
”でも、絶対余ると判っててやってるようで・・”
”そりぁ〜店の事情もあるさね”
”承知の上って事ですよね”
”フードロス問題が大きな話題になってるけど、問題はそれとは別の所にあるのよ”
”恵方巻きや年末年始のお餅に限らず、クリスマスケーキなんかもフードロスが繰り返されてますが・・”
”ここまでくると、何か構造的な問題が背景にあるのではって勘づくよな”
”構造的って?”
”つまり、お祭り感やイベント感がないと高い商品が売れないって事さね”
”確かに、祭りやイベントって、ここ数年は増加いや増殖の一途ですよね”
”それこそが<お祭りだと売れる>っていう売り手側の暗黙の法則なのよ”
”ホワイトデーも恵方巻きも日本人が勝手に作ったイベント商品ですし、更にはハロウィーンやブラックフライデーなんかも便乗してますね”
先輩Aは店側の見え見えの販促戦略にウンザリで、後輩Bを納得させるのに必死である。
”つまり、店もお祭りやイベントをひたすら求めてるのよ”
”確かに、恵方巻きもそうですが、これでもかって具合に圧倒的なまでに並べる。これにより特別感やお祭り感を助長させ、客の財布が緩くなる”
”お祭りの屋台なんかも大した事ないのに、めっちゃ高いよな。コスパに煩い現代人にとってお祭りの高揚感とは、そんな感覚を麻痺させる効果がある訳だ”
”山の様に同じ商品が積まれてると、<1つ買ってみようかな>という大衆の同調心理が働き、つい買ってしまうと・・”
”祭りやイベントを多発させ、その都度商品を大量に並べて客を圧倒し、集団的同調圧力を促す。これこそが販促を含めたマーケティング戦略として有効に働くと思ってんだろうね”
”福袋なんかもそうですが、祭りやイベントなら集団心理を促し、大衆は喜んでお金を落とすけど、(逆を言えば)イベントがなければ誰もお金を使わないですよね”
”店としては<生き残る為に仕方なく・・>ってとこもあるのよ”
”祭りやイベントなどの非日常な世界に引き摺り込まないとって、店も必死でしょうが”
”その非日常の演出こそが、過ぎたシーズンイベントと山の様に積まれた恵方巻という訳だ”
後輩のBは、それでも店側の戦略に少なからず疑問を浮かべている。
”でも、食品が大量に並べられた結果、その多くは確実に売れ残るんですよ”
”勿論、廃棄在庫やフードロスの様に一見したら無駄にも思えるが、店側から見ると広告費や販促費と何ら変わりはない”
”キャンペーンの為に大きなモニュメントを置き、華やかな飾り付けをするのと同じで、販促の為のディスプレイと同様のマーケティング効果を<売れ残る食品たち>が担っている訳ですね”
”食べる為の商品ではな、く<客に高揚感を与える為の飾り>とみなせば、(その効果が十全に発揮されるならばだが)店側にとっては無駄ではなく、合理的販促となる”
”でも、食品を売る側も買う側も<判っててフードロスを容認する>という致命的な問題がある様にも思いますが・・”
”つまり、イベントを無理矢理捻出し、余ってでも大量に陳列する。でも、そうしないと売れないし、生き残れないという構造上の問題と見れる”
”確かに<生産性が低いなら、努力や工夫で生産性を上げろ>って、昔から言われてましたよね”
”つまり、<生産性を上げろ>とは<高い商品を沢山売れ>と同じで、必然的にイベントを無造作に増やし、廃棄を厭わず商品を大量に陳列するというジレンマに陥る。だが、それがもたらす大衆の高揚感こそが小売店の売上げを伸ばし、生産性を高める”
”つまり、フードロスと生産性は表裏一体で、フードロスを抑えれば生産性は下がるし、生産性を上げたいならフードロスは容認すべきだし・・こんな構造上のジレンマが存在するんでしょうね”
”とにかく、店側は売って売って利益を上げる事しか頭にないんだよ”
”何だか判った様な判んない様なです”
ダラダラと続いた会話の後で、何時もの様に自分たちの担当の売り場へと戻っていく2人の背中には、やりきれない思いが映し出されていた・・
無謀な販促戦略と一攫千金の儚い夢
確かに、フードロス削減と生産性の向上は両立しない様に思えるが、いくらフードロスを犠牲にして(仮にだが)生産性を上げれたとしても、大量のフードロスに掛かる対費用効果で考えると、生産性向上で得た利益はフードロスの処分でチャラ又は損失になる。
つまり、フードロスと生産性は表裏一体どころか、全く独立した問題であり、フードロスが存在する限り、いやフードロスに掛かる処分費用が存在する限り、効率のいい生産性は望めない。もっと言えば、フードロスを前提とした生産性向上というマーケティング戦略に大きな致命的欠陥がある。
勿論、戦略にすらなり得ないので販促やマーケティングと呼べるのかも疑問だが、そもそも後先考えずに、無差別に生産する事自体が矛盾であり、フードロスという言葉が誕生する前からこうした矛盾は指摘されてはいた。
「恵方巻きビジネス」の後半でも書いたが、自由市場では、その市場価格は対数的なランダムウォークを辿り、平均値の周りに正規分布を作る。つまり、突飛な事は滅多に起こらない。一方で史上価格の予想は無理だが、ボラティリティ(価格の暴れ方の指標)なら予測可能とされる。
この市場価格が暴れる原因として、単純な消費(需要)量と供給量だけでなく、値段の上下に関する大衆の思惑が売買の量に影響するからだ。例えば、祭りやイベントでは高い値をつけたものが山積みに展示され、自分も買う事が合理化されて集中強化現象、つまり集団的同調圧力が起きる。だが、史上には原因と結果のループが生じ、不安定性を生み出す。
このプロセスは、一種の自己触媒反応とも言える。例えば、A→Bとの反応にて生成されたBが反応の触媒の役目を果たし、反応速度を速め、更にBができ、反応に加速がつく。が、フラスコ内の化学反応では、(原料がなくなり)化学平衡に達すれば、反応は落ち着く。
一方で大きな市場の様に、外部から供給が延々と続く流通系では、ボラティリティ(化学用語で揮発性)は簡単には収まらない。
こうして価格変動が大きくなると、一種の博打性が生じ、博打は一攫千金の夢を与えるから、更に多くを惹きつける。また、追い詰められた売り手の多くが、ヒット商品やブームに傾斜するのは、こうした一発大逆転の夢があるからだ。
確かに、バブルの時代はボラティリティの媚薬に惑わされた時代でもあり、それまでコツコツ真面目な日本人が”賭けの文化”に変貌した。バブル崩壊後の”失われた30年”は希望のない時代であり、多くの企業は夢を追い続けるだけの虚しい”賭けビジネス”に傾倒する。
投資もヒット商品狙いもフードロス覚悟の販促戦略も、価格変動の高い市場での”賭け”と取れるが、この博打を後押しをするメディアもボラタイルな夢を常に追いかけるビジネスである。
現代のビジネス界ではGAFAが巨人として君臨するが、彼らも一般消費者向けビジネス(B2C)を基盤とする。故に、大量のデータを集め、AIを駆使し、少ない労力で大きく急成長できた。また、B2Cは消費者という多量のデータを基盤とするから、AIはB2Cと相性がよく、学習データという消費者データの量が生命線となる。昨今の価格変動が大きな社会では、消費者情報の蓄積と解析が最も重要で、その情報により大衆をコントロールする。つまり、情報の制御こそが絶対権力なのである。
最後に
追い詰められた小売業も巨大企業に負けじと、大量のデータを集め、AIを駆使し、消費者の動向を探ったつもりが、逆にその消費者に裏を付かれてしまう。結果、莫大な量のフードロスを招き、大赤字となる。
一方、AIを導入する前に、どの価格帯が一番売れ易いかの最適値を数理モデルで探る必要があるが、売り手の多くはそこまで頭が回らない。つまりデータを集め、AIに集計させるだけでは、最適解は導けない。
ただ、情報を幾ら集めても有限個のデータの集合に過ぎず、”暴れやすい”需要と供給を収束させる事は不可能だし、何度も修正し、シュミレートを重ねる必要があった筈だが、それでも素人裸足では均衡解すら得られないだろう。
売買という行為は人類の存在が有限であるが故に、混乱と限界と寿命が存在するのは当然であり、そうした事に気づかずに、ひたすら売買に縋る事自体が矛盾である。つまり、人類の存在も商売と同様に、度が過ぎると死滅に繋がる。
故に、人類がこれからも生き延びていく為には、無駄に無制限に積み上げられた文明や文化などの人類の創造物を1つ1つ切り崩し、排除する勇気と覚悟が必要であろう。
フードロス問題は、売り手側の強欲に基づく一方的で矛盾したマーケティング戦略でもあり、大衆の危険で狂気的な集団心理をも含め、そういった今そこにある人類存続の普遍的な危機を示唆してる様にも思える。
むしろ、フードロスよりもメーカー側の逸脱した販促戦略や、それに大衆の病的な集団心理と狂信性こそが、真の意味で致命的な欠陥と言えるかもしれない。
多分、今年も例年と同じ様に莫大な数の恵方巻きが店頭に並ぶだろう。そして、決まった様に莫大な数の売れ残りが出る。そうやって、恵方巻きビジネス、いや幼弱な販促戦略の負のスパイラルとアホ臭なジレンマは永遠に続くのだろう。
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