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前回”2の8”では、リーマンの師匠であるガウスの素数定理について述べましたが。
今日はリーマンの先輩である、ディリクレの素数定理についてです。リーマンがこれ程の数学者になり得たのも、リーマン予想が数学史上の最難題となり得たのも、実はこのディリクレ(1805-1859)の存在が大きかったんですね。
話は変わりますが、リーマン予想は計数論理と計算論理の”大融合”から生まれたとされる。つまり算術の概念の一部が解析学の概念と結合し、”解析的数論”を生み出したとされる。当時これはとても衝撃的な事でもあった。
1837年までの従来の数学は、算術、幾何学、代数学、解析学の4分類に分けられてた。算術は数論に進化し、今ではリーマンが結びつけた解析的数論以外に、代数的数論や幾何的数論がある。
そこで、算術と数論の違いは?という疑問が湧き上がる。
解析学の躍動と不自然な数学的思考
19世紀初め、解析学(極限の研究)は一番若く、魅力的な分野で、若き精鋭たちが研究に没頭した。お陰で19世紀の終りには、一番進んだ分野になる。
しかし19世紀初めには、解析学のの基本概念である極限については、明確には理解されてなかった。かのオイラーもガウスも解析学に関しては、”無限大と無減少に関するもの”としか答えられなかったろう。
解析学の始まりは、ニュートンとライプニッツが1670年代に微積分を考案してからとされる。勿論、微積分に属さない解析はいくらでもある。例えばニコレ•オーレムの調和級数は、微積分がなかった頃の発見だ。
この解析学が扱う概念、つまり極限と連続性は把握し難く、微積分はとてもややこしい分野でもあるのもまた事実ではある。
数学的思考は、ある一定レベル以上となると、途端に不自然になる。つまり数学的思考は人間の思考と言葉の流れに反する。
言葉は複雑な概念を最も簡単に表せるが、数学的思考はそこまで単純ではない。”1は数である”を正式に定義するのは、厄介な事なのだ。
事実、「数学原理」の著者であるホワイトヘッドとラッセルの2人は、”1を定義する”のに345頁を費やした。故に、数学的思考はひどく不自然であるが為に、数学嫌いも多い。
しかしこの反感も乗り越えれば、その恩恵は計り知れない。例えば、”0”という概念をモノにする2000年に渡る努力を振り返れば明らかだ。このゼロという数が数学的に正当なものとして認められたのは、僅か400年前の事に過ぎない。もしゼロという概念がなかったら今頃はどうなってたろうか。数学は未だに指で数える学問であったろうか?
算術と数論とガウス
算術(arithmetic)は、数論(number theory=整数論)とは違い、数学で一番易しく解りやすい学問と広く受け止められてる。
つまり、算術とは整数と分数で成り立つ学問だ。整数は数えるだけでいいし、分数だって3/8と13/32との違いはすぐに判る。15/23と29/44も少し計算すれば、すぐにその違いは判る。
しかし、算術には特異な性質がある。言い表すのは簡単だが、証明するのが難しい。ゴールドバッハ(1690-1764)の有名な予想はその典型だろう。”2より大きな偶数は全て2つの素数の和として表される(1742)”は、今でも未解決だ。
つまり算術には、この手の予想が沢山ある。勿論証明されたものもあるが、未解決が殆どだ。
「フェルマーの最終定理」もそうだが、これらは算術というより”数論”である。しかし、算術と数論は、19世紀まで明確な区別はなかった。ガウスの数論に関する偉大な書である「算術論考」(1801)こそが、算術と数論の区別のきっかけを作ったとされる。
算術が小学校で学ぶ”算数”を指す様になり、”数論”が数学者により深い研究の対称を指す様になったのは、19世紀後半の事らしい。
しかしここに来て、算術と数論は同じ意味で使われる様になった。つまり高等算術としての数論。
因みにガウスは、フェルマーの定理に参加しなかった理由に、”私には殆ど関心がない。この様な命題はいくらでも簡単に立てられるが、それを証明する事も反証すらもできないからだ”と語ってる。
つまり、算術とはガウス的に言えば、”証明も反証もできない曖昧模糊な領域”なのかもしれない。
計量と連続性と極限
ある量を測定する計量の精度には、理論上の限界はない、精度は無限なのだ。
これこそが”連続と極限”の関係であり、解析学を支えてきた。
これに対し、数を数える時は7と8の間には何もない。つまり連続ではない。例えば、リンゴが7つ半と正確に数えられない様に、正確な極限を求めるには、計量の領域に移す必要がある。
つまり計数と計量は算術と解析の関係でもある。この算術と解析の大融合は、1830年代にペーター•クズタフ•ディリクレ(1805-1859、写真)が素数を調べた結果としてもたらされ、リーマン予想で完結する。
このリーマンとディリクレが行った算数と解析を融合という偉業は、数学の歴史の中で大きな変化をもたらしたドイツ人の台頭によるものだ。
因みに1800年当時、世界に誇るドイツ人数学者はガウスを除いて一人もいなかった。
これが100年後の1900年となると、世界の”10人の数学者”のうち、ドイツ人は5人となる(カントール、カラテオドリ、デデキント、ヒルベルト、クライン)。
因みに、フランスは4人(ボレル、アダマール、ルベーグ、ポアンカレ)。
何故ドイツが現代数学の覇者となり得たのか?それは歴史が証明している。
プロシアは1806年イエナで仏軍に敗れ去り、近代化改革の刺激となった。同時に教育改革も制度化され、ドイツは科学•産業•教育•数学には好都合の場所となる。つまり、戦争の敗北が数学の土壌を作り上げた。
それでもやはり、ガウスの存在は大きかった。ガウス1人で並の数学者10人分に相当した。彼の存在は、世界の数学地図にドイツとゲッティンゲンが載る元となった。
リーマンの1つ前の世代の数学者であるディリクレは、そんな時代に育ったのだ。
ディリクレが眺めた素数定理と算術級数
ディリクレは、ライン地方の小さな町の郵便局超の息子で、ギムナジウム(中等教育)の恩恵を受けた最初の世代である。
16歳で既に大学入学資格をとり、ガウスの「数論研究」を宝に、大学はフランスで過ごす。卒業後はベルリン大学で教授に就き、教え子にはあのリーマンがいた。
ディリクレは、リーマンが尊敬するガウスに次ぐ存在であったが、オイラーが100年前に証明したオイラー積(以後、”黄金の鍵”と呼ぶ)に刺激され、ディリクレは1837年、解析と算術の考えをまとめ、極限のある算術の始まりとされる”算術級数の素数定理”(算術級数定理)を証明する。
ここで数学アレルギーのお方は、何なのよ算術級数って?と眉を顰めるだろうが。何て事ない、単なる”無限等差数列”の事です。
つまり、”算術級数の素数定理とは初項と公差が互いに素である等差数列には、無限に素数が存在する”という定理。
数学的に言えば、”互いに素である自然数a,bに対し、an+bと書ける素数が無限に存在する”という事。但し、n=1,2,3,...。初項がbで、公差がaですね。
そこで、任意の2つの自然数にて、一方の数を他方に繰り返し足すと、2つの数に公約数があれば、得られる結果にも公約数が存在する。
例えば15に6を足していくと、15,21,27,33,30,45,•••となり、全てに3の約数が含まれます。しかし、2つの数に公約数がなければ(互いに素)、その結果の中に素数が含まれる。
同じ様に、35に6を足していくと、35,41,47,53,59,65,71,77,83,•••となり、素数が沢山含まれる。この場合、a=6、b=35と互いに素ですね。
そこで、35から始まり十分な回数だけ6を足せば、N個よりも多い素数が出てくるのか?つまり、互いの素な2つの数からできる等差数列には無限個の素数が含まれるのだろうか?
事実、ディリクレが証明した様に無限個の素数が出来るのだが、ガウスはこれをも予想してたんです。このガウスの直感を引き継いだ、ディリクレの1837年の論文での証明こそが、算術と解析の大融合の第一部という訳です。
ディリクレの素数定理
これをもっと深く突っ込んでみよう。
例えば9と9以下の互いに素な自然数は、1,2,4,5,7,8の6つである。この6つの数に9を足してみよう(以下、太字は素数)。
1,10,19,28,37,46,55,64,73,82,91,100,109,118,127,•••、
2,11,20,29,38,47,56,65,74,83,92,101,110,119,128,•••、
4,13,22,31,40,49,58,67,76,85,94,103,112,121,130,•••、
5,14,23,32,41,50,59,68,77,86,95,104,113,122,131,•••、
7,16,25,34,43,52,61,70,79,88,97,106,115,124,133,•••、
8,17,26,35,44,53,62,71,80,89,98,107,116,125,134,•••、となる。
上の6つの数列には、何れにもほぼ同じ割合の素数がある。このどの数列も、134辺りではなく、非常に大きな数N近くまで延せば、もし(ディリクレの時代は証明されてない)素数定理が正しければ、どの数列にも1/6×(N/logN)個程の素数があるとディリクレは予想した。
実際、N=134の時、1/6×(N/logN)=4.559833...個である。上で示した素数は平均すると、(5+5+4+5+4+5)/6=4.666666...個と、殆ど変わらない。
ここで何故1/6なの?って思う人も多いだろう。これはオイラーのφ関数が大きく絡んでくる。φ(N)は、NとN以下の互いに素な自然数の個数を表すから、φ(9)=1/6となる訳ですね。
故に、π(N)~N/logNに対し、π(N,a,b)~π(N)/φ(N)~1/φ(N)×(N/logN)、(x→∞)とディリクレは予想した。これを”素数定理の拡張”(ディリクレの素数定理)と呼びます。
前述した様に、”算術級数定理”を証明した当時、素数定理も証明されてなかった為、この形も予想に過ぎなかった。
つまりディクリレは、素数の性質や分布が全くの未知な領域であった時代に、この算術級数(無限等差数列)の中に”得体の知れない素数”が一定して並んでる事を突き止めたんです。
因みにこの事は、aで割った時のφ(a)通りの余りbに対し、素数がほぼ同数ずつ存在する事を示してました。後に、プーサンとアダマールにより素数定理が証明され(1896)、このディリクレの予想も同時に証明されたんですね。
ガウスの合同算術と算術級数定理
ディリクレはこれを証明する為に、ガウスが「数論研究」の中で紹介してる”合同算術”、つまり”モジュラ計算”(剰余計算)を使った。
ここで数学アレルギーな民は、モジュラって何よ?と思うだろう。これも何て事はない、単なる”時計上の算術”と考えればいい。
8時に9時を足せば5時になる。これこそがガウスが発明した”合同算術”です。
これを数式で書くと、8+9≡5(mod 12)となる。日本語に訳すと、”8+9は、12を法(mod)とし5に合同”となる。つまり、8+9を12(mod)で割れば、余りは5という事。
因みに、十分に大きい素数をpとすると、ディリクレの算術級数定理は、p≡b(mod a)となります。
この合同算術とゼータの変形である”L関数”を使い、ディリクレは、”aで割ってb余る素数pが無限に存在する”事を証明しました。
つまりディリクレには、1737年のオイラー積”黄金の鍵”が頭の中にあり、算術(合同算術)と解析(L関数)を繋いだ最初の人物と言えますね。
因みに、このディリクレの算術級数の素数定理を証明するには、かなりややこしい。
それに同じディリクレのL関数と言われる、ゼータ関数の一般化を用いるので、ここでは省きます。L関数に関しては、”新その3”で紹介する予定です。
但し、この算術級数の素数定理(算術級数定理)の初等的考察ですが、例えば4で割って3余る素数が無限に存在する事は、”ユークリッドの背理法”でも証明できます(”2の2”参照)。
簡単に言うと、Nを4で割った余りが3という事は、素因子の中に4で割った余りが3である様な数が存在し、これは任意の素数P以外の素因子であり、有限個の素数から新たに4で割った余りが3である様な素数が作れる。
故に、4で割った余りが3である様な素数は無限に存在する。
次に、4で割った余りが1である様な素数も無限に存在する事も、2以上の整数aで割って1余る素数Pが無限にある事も、以下の様な流れで証明できます。
前述した”算術級数定理”である、p≡1(mod a)を各aに対し1つずつ選び、これら素数群がそれまでに得られた最大の素数よりも大きい事を順に示していきます。
最後に、ガウスの”平方剰余の相互法則”を用いれば、a=8で、余りが3,5,7の時も、p≡3(mod a)、p≡5(mod a)、p≡7(mod a)なる素数Pが無限に存在する事が証明出来ます。
ディリクレはL関数を使う前に、これだけの膨大な初等的考察を準備してから、彼は”算術級数定理”の完全なる証明に挑んだんです。これは30代の若い時だから、成し得た偉業だとも言われてます。
ガウスは完全主義者でした。完璧な論文でも公表しませんでした。
ディリクレはもっと完全主義者でした。友人のヤコビをもって、”ディリクレの証明ほど完璧なものはない。それはガウスを超えている”と言わしめた。
算術と解析学の大融合
ディリクレは素数定理の証明の過程で、算術と解析学の繋がりを拾い上げ、それを本格的に使った最初の数学者でした。
つまり、”黄金の鍵”を回し、算術と解析学を繋げたんです(「素数に憑かれた人たち」)。
そして、算術と解析学の大融合の完成形である解析的数論が満開の花を咲かせたのが、22年後のリーマンの論文である。
事実リーマンは、この論文の冒頭でディリクレの名をガウスと共に挙げている。故にこの解析的数論を発明したのはディリクレと言っても過言ではない。
ディリクレが拾い上げ、回したとされる”黄金の鍵”の真相とは?ディクリレがその100年後に見つけた、オイラーとディクリレを結びつけた”黄金の鍵”とは?
次回”2の10”では、この”黄金の鍵”について述べたいと思います。
ディリクレはオイラーとリーマンの橋渡し的な言い方をされますが。実は素数定理とリーマン予想の土台を作り上げた、偉大すぎる程の数学者です。師匠にガウスがいなかったらもっと有名になってたでしょうか。
あとカントールにデデキントにヒルベルトにクンマーと、ドイツはよくもこれだけの数学者を揃えたもんです。
それとガウスのモジュール計算は、RSA暗号にも使われてます。転んだサンの暗号の仕組みでも書かれてますが、素因数分解と剰余計算はRSA暗号の2本の柱ですもん。
ガウスの偉業はディリクレに引き継がれ、そのままリーマンにバトンタッチされた。算術と解析の融合は、ガウスが夢見てた事かもしれません。
全く我ながらクンマーを忘れてたとは、paulさんの指摘には目を覚まされます。
因みに、デデキントはクンマーの理想数を素数を素イデアルにまで引き上げた。素因数分解の拡張としてイデアルの抽象化を考えついた偉大な数学者ですね。
そのためにディリクレは互いに素な等差数列を書き並べ、素数分布を予測したんですかね。しかし、オイラー関数×n/logNの割合で素数が並んでるというのも、数学の美しさ所以ですか。
最後の素数定理の初等的考察がかなりややこしそうで、頭混乱しそうですが。オイラー→ガウス→ディリクレ→リーマンと続く、素数定理の流れは過去の偉大な数学者の異常なまでの執念を感じさせます。
こんな長く厄介なブログを書く転んだサンも一苦労ですが、謎の素数定理に挑んだ数学者たちの苦悩と苦悶はとても想像付きません。
この素数定理だけでも2000年以上も掛った訳ですが。数学者の執念にはホント頭下がります。
でもディリクレって凄くハンサム。こんな教授から個人指導を受けてみたいわね。
ではバイバイ👋
性は数なりですか。すると、ファンタジーは極限となる。悪くはない発想です。
数学者は皆ハンサムなんですよ、例外を除いてはね。美的探究心がないと務まらない学問ですから。
このディリクレも、超人的な努力で素数定理を証明したんですが。今の時代に生きてたら、超モテモテだったでしょうに。
コメント有難うです。
『数学妖怪キャラクター』たちで掴む
⦅自然数⦆は、
[絵本]「もろはのつるぎ]で・・・
数学妖怪キャラクターとか初耳でして理解を得ないんですが。
数論とは数の学問から量の学問へと発展していったんですかね。
何だか自分で言ってて抽象すぎて判りづらいんですが。
コメント有難うです。
[離散性]と[連続性]との
[双対性]で、
コスモス ⇔ カオス
に融通無碍する[数の言葉]の⦅自然数⦆を
『自然比矩形』や『幻のマスキングテープ』に可視化したいなぁ~
この言葉こそが数学の可視化を具現してますね。
コメントどうもです。