最近、インスタントコーヒーをよく飲む様になった。喫茶店に足を運ぶ程のコーヒー通でもないので、自宅でインスタントを飲む癖がつく。
そういう私も一時は、コーヒーの生豆を取り寄せ、フライパンで煎り、すり潰して飲んでた程のコーヒー通でもあった。
しかし、余りにも濃いコーヒーにハマり過ぎて胃を痛め、インスタントに鞍替えした。今でもたまにレギュラーを呑むが、やはり胃もたれを起こす。
スプレードライ
インスタントと言っても、高価なフリーズドライではなく、昔ながらの安価なスプレードライ。苦くてすぐに酸化し固まるヤツで、お世辞にも美味しいとは言えない。それも子供の頃は、コーヒーと言えばインスタントしかなかったし、ブランドもネスカフェ一色だった。
しかし時代は正直過ぎた。酸味が強すぎて、ビッグボトルがマンネリ化しすぎたのか、洒落たボトルデザインのフリーズドライに取って代わった。しかし時代は繰り返す。再び、昔ながらのスプレードライが復活しつつあるのだ。
因みにスプレードライとは、コーヒーをスプレーで霧状にし、熱風で乾燥させる製法。
一方フリーズドライ(凍結乾燥)は、凍らせたコーヒー液を真空近くまで減圧させて水分を抜く製法で、室温で簡単に沸騰し蒸発する。
故にコーヒーの香りを失わず、粒状にする事が出来る。
ネスカフェ•クラシック
その代表的な昔ながらの庶民の味でもある”ネスカフェ•クラシック”と言えば、泣く子も黙るだろうか。
コーヒー通からすれば、あんな時代遅れの酢を混ぜた様なものをよく飲めるなって、煙たがれそうだが。
典型のインスタントマニアである私からすれば、このネスカフェ•クラシックこそが”ソウル•コーヒー”なのだ。
100g200円で1杯あたり僅か4円。コンビニ店頭のレギュラーコーヒーの1/25、スターバックスの一番安い奴の約1/75。このコストパフォーマンスは圧巻の一言だ。
緑茶に最低300円出して飲む日本人がどれ位いるのだろうか?緑茶喫茶やウーロン喫茶とか出来たとして、立ち寄る人はいるだろうか?
コーヒーだからこそ、我ら日本人はお金を払ってまで飲み続けるのだろうか?
そういう私は、コーヒーもお茶も同じ土俵で考える。とても嗜好品としては考え難い。カフェイン飲料という感覚すらない。コーヒーは所詮コーヒーだ。”珈琲”になり得る筈もない。
喫茶店マニア
私の周りには不思議と喫茶店マニアが多い。ドトール、スターバックス、コメダ珈琲など全国チェーンの有名どころをちょくちょく利用するらしい。コーヒーというより、多彩なメニューや店内の洒落た雰囲気を味わってるみたいだ。
そういう喫茶店被れした連中に、インスタントコーヒーの事を話題にしようとすれば、咄嗟に見下される。
そんな喫茶店マニアに比べれば、まだ珈琲マニアの方がまだマシか。
そんなにコーヒーが美味しいか?
そんなに喫茶店のコーヒーが美味しいか。日本人には”緑茶”という、古来から伝わる千利休の文化があったじゃないか。
緑茶もコーヒーには何ら負ける所はない筈だが。戦後、喫茶店は異常なまでの勢いで繁殖した感じがする。事実、喫茶という名の付いた風俗店までもが繁殖した。
アメリカみたいに、朝からビールを出す”カフェ”ならともかく、中世フランスみたいに、ワインやコニャックが飲め、気軽に女を買える”カフェバー(サロン)”ならともかく。珈琲を呑んでそんなに楽しいか?
何故コーヒーしか飲めない軽食屋に、日本人がタムロする様になったのか?
そんなにコーヒーは美味しいのか?レギュラーじゃないと邪道なのか?緑茶や烏龍茶と比べ、そんなに美味しいのかって。
千利休が、昨今の喫茶店ブームを見たら何と激怒するであろうか。いちごにミルクを掛けたおもてなしに激怒した千利休がである。
その千利休なら、コーヒーにミルクを入れただけで激怒するのか?コーヒーの横に僅かなお菓子を添えただけでも激怒するのか?
それとも喫茶店の洒落た室内デザインを見ただけで、大きく落胆するのか?
私は深入りのブラックに飽き足らず、生豆をもっと深く煎りそのまま囓ってた時期がある。その時コーヒーの限界を感じた。それ以来コーヒーが美味しいと思う事はなかった。
カフェインがもたらす刺激と幻想
コーヒーが、緑茶や烏龍茶が美味しいというレベルと、どの様に異なるのか?勿論、緑茶や烏龍茶がコーヒーよりも、嗜好品としての程度や質が落ちる筈もない。高価な緑茶や烏龍茶ならコーヒーにも負けない筈だ。
目の前に綺麗な日本女性がいるのに、敢えて恐竜みたいな白人女に惹かれるのと、同じ原理なのだろうか。
こんな屁理屈を言うと、”フォアグラとカラスミをゴッチャにするんじゃない”とお叱りを受けそうだが。或いは、「美味しんぼ」の山岡士郎から、”水出しコーヒーを知らんのか”とバカにされそうだが。
コーヒーの苦味に敏感な人がコーヒー好きになるのは、”カフェインにより引き起こされる刺激を学習し、カフェインを好む様になった”との研究報告がなされてるが、果たしてそれだけだろうか。
事実、カフェインは興奮作用を持ち、世界で最も広く使われている精神刺激薬でもある。それにアデノシン受容体に拮抗する事で覚醒作用、解熱鎮痛作用、強心作用、利尿作用などを示すとある。
つまりある意味、喫茶店マニアは”カフェイン中毒”と言えなくもない。
純喫茶に群がる女たち
以下は、週刊ダイヤモンドの「昭和の空間”純喫茶”に若い女性が惹かれる理由」を参考です。
かつては中高年男性の聖域だった昭和世代の”純喫茶”を訪れる若い女性が増えてる。クリームソーダやホットケーキ、レトロな内装やオーナー拘りのカップなど、昔ながらの”純喫茶”には女性が喜ぶものが沢山あるという指摘がある。
結局、コーヒー云々というより喫茶店内の空気と雰囲気を楽しんでるに過ぎないのだ。
それにメニューやアイテムが充実し、喫茶店の”絵面”が良くなり、SNSでアップする事も一つの大きなステータスになってる。ある意味、SNSが広げた喫茶店ブームだと。
これら純喫茶でしか感じられない“独特な空気”の魅力とは?
”純喫茶には、その店特有のノスタルジックな雰囲気が漂ってます。時代が街の風景が目まぐるしく変わる中、純喫茶はオバちゃんの家にいる様な懐かしさを感じさせてくれる空間。店内は常連客とマスター、友人同士のお喋り等様々な“声”で溢れてる。ネット上の繋りが普及する現代で、アナログ的な繋りを大切にできる稀有な場所としての魅力も大きい”と。
つまり、コーヒーを味わうというより、喫茶店の独特で特異の空間を味わう。こうした”喫茶女子”と言われる人たちには、平日は1~2軒、休日は3~4軒の喫茶店に足を運び、旅先では最高で13軒のお店をハシゴする”ツワ女”もいるという。まさに純喫茶巡りが生活の一部となってるのだ。
その一方でチェーン店とは異なり、ローカルな喫茶店の個人経営は、体力的にも精神的にもかなりキツいとされる。いつまでも当たり前の様にあると思っている田舎喫茶が、突然なくなる事もある。
インスタントコーヒーは本当に不味いのか
よく喫茶店の美味しいコーヒーを呑んだら、インスタントには戻れないとか。インスタントを飲むと胃もたれがするとか、インスタントは体に悪いとか、徹底的にインスタントを扱き下ろし、ウンチクを垂れるバカがいる。
しかしコーヒーには、レギュラーであろうとインスタントであろうと、カフェインという劇物が含まれ、飲み過ぎは明らかによくない。
故に美味しいコーヒーは、結果的に飲み過ぎてしまい、身体に悪影響を及ぼす事になる。
そういう私がレギュラーを飲まなくなったのは、カフェイン中毒というより、胃が凭れる様になったからだ。
事実、日本製のインスタントは作為的にカフェインを抜いてあるので、胃には優しいとされる。インスタントが不味いと言われるのは、そのせいだろうか。但し最新の研究では、ノンカフェインでも胃は凭れると。
最後に
結論、コーヒーそのものが美味しいというより、喫茶店で呑むコーヒーが美味しく感じるだけの事だ。そう言われてみれば、喫茶店で食べるナポリタンは不思議と美味く感じる。ホント不思議だ。
我々サピエンスは、虚構と暗示に異常なまでに弱い。見知らぬ人にまんまと騙されたり、旅に出ると衝動買いしたり、少しでも褒められると天狗になる。
レトロな骨董品屋を見ると、詐欺臭いと解りつつも門を叩いてみたくなる。美しく着飾った女性を見ると、途端に恋愛を妄想する。
珈琲の2文字を見ただけで、喫茶店のノスタルジックな空間を頭に描く。
そうなんです。特に日本人は、珈琲が提供するという虚構の空間に騙され続けてるだけなのだ。イヤそうでもないか。
ビコさんの頃の喫茶店はまだ質素だったから本を読むのに好都合でしたし、ナンパするにも好都合だったんですかね。あの頃も今に劣らず喫茶店ブームだったし、学生が哲学や政治論を口酸っぱく議論し合ってた様な光景が目に浮かびます。
しかし今の喫茶店はテーマパーク状態で何でもありの子供騙しの遊園地みたいです。そういう意味では昔のローカルな喫茶店は不思議な魅力がありましたね。
そう言えば、徳島の蔦が覆う喫茶店はとても幻想的でした。四国には個性ある喫茶店が多いのにもびっくりでした。
私は酒呑みなので、コーヒーだけを飲ませる喫茶店はやはり苦手ですね。