私は自己啓発本というのが、どうも好きになれない。というか、癪(しゃく)に触るのだ。
単なる脊椎反射系成功者の自慢話や”受験の神様”的な詐欺物語や、それに叩き上げ系カリスマ経営者の幼稚な精神論などは、ウンザリするほどに聞かされてきた。
聞く度にアホ臭と思いながら、我ら大衆は成功の本質はどこに埋もれてるのか?と、知らず内に(カルト的で薄っぺらな)”成功の哲学”論に埋もれ、迷い込んでしまう。
しかし悲しいかな、こうした詐欺っぽい成功哲学ほど聞こえと見てくれはいい。これは、若くド派手な商売女にまんまと騙されるエロ爺をイメージすれば理解しやすい。
そういう私も、こうした”成功哲学”にはよく騙された方だと思う。
”滅びる企業は競争相手に負けたのではなく、日々刻々と変わる環境にうまく適応できかっただけの事”(京セラ創業者・稲盛和夫)
”突然変異種をどれだけ持ってるかが、企業の新たな発展の大きな力になる”(ダイキン工業取締役会長・井上礼之)
”世界的な営業網を充実させ、業績は伸びたが社員数は逆に減りました。むろん、リストラで減らしたのではなく、採用抑制による自然淘汰です”(近鉄エクスプレス元代表取締役・雲川俊夫)
流石に、ダイキン工業はいい事を言う。が、京セラと近鉄に関しては(企業のトップがこれでは)、日本はアジアの貧乏国に成り下がってしまったのだろうか。
言わずもがなだが、これらは典型の”強者の後理屈”であり、”実績を挙げた奴だけが優秀で他は愚劣だ”という、ウケのいい“ビジネス進化論”に過ぎない。
こういう企業奴ほど、”死ぬ気でやれば何でも出来る”と従業員のケツをひっぱたく。それでいて、本人は美味しい所だけを啜り、失敗は全て現場のせいにする。
まさに”令和の農奴制”という残酷物語が、今でも成功哲学や進化論を支配する。
多くの人は”進化”という言葉を聞くと、プラスや前向きのイメージを思い浮かべるのではないだろうか。
(LITERAで解説されてる様に)古生物学では、絶滅種の大部分は競争に敗れて滅びるではなく、単に”運が悪い”せいで滅びるという。
つまり、”理不尽”な理由でこの世から消されるのだ。競争は勿論存在するが、競争のルールそのものが運によって決まるという古生物学上の理論である。
しかしよく考えると、人間社会も企業の世界も同じ事が言えやしないか。
事実、産業構造や政治体制の変化といった“環境要因”は一個人や一企業の努力や能力でどうこうできるものではなく、殆どが運の問題である。
理不尽な進化と不都合な絶滅
「理不尽な進化」の著者の吉川浩満氏は、パワフルなユーチューバーとしても知られる。が故か分からないが、本書のレヴューでの評価はバラバラである。
だが、とっくに寿命が尽きた”勝者生き残り”的な古臭い進化論を思い切り粉砕した事に関してはアッパレであり、胸がすく。
つまり、進化も(退化も)絶滅も(繁栄も)時の運であり、同じ直線上にあると見れば当然ではあるが、進化とは人が思う程に特別な事でもなく、ごく普通に生きてれば、この2つは自然発生的に当り前の様に繰り返される。ただそれだけの事である。
言い換えれば、我ら大衆は繁栄や進化に酔い、退化や絶滅を蔑視する。悲しいかな、Darwinの進化論が大受けしたのは、こうしたおバカな大衆のお陰である。
私たちは、生物の進化を生き残りの観点から見る悪い癖がある。つまり、進化論は生存闘争を勝ち抜いて生存に成功する者、すなわち適者生存の条件をクソ真面目に問う。
そうする事で、生き物たちがその姿形や行動を変化させながら環境に適応してきたかを説明する。そこで描かれる生物の歴史は、所詮は幼稚なサクセスストーリーの歴史であり、何の根拠も実証もない。
つまり、生き残った生物は何らかの点で生存に有利だったからこそ生き残ったのだからと大声を上げる。
しかし本書は(それとは逆に)絶滅という観点から生物の進化を捕捉しようと提案する。敗者の側から見た失敗の歴史、日の当たらない裏街道の歴史を覗いた物語でもある。
生物の歴史とは裏街道の暗黒の歴史でもある。これまで地球上に出現した生物種のうち、実に99.9%が絶滅してきたという事実がそれを証明している。私たちを含む0.1%の生き残りでさえ、いずれはDarwinの進化論と共に絶滅するのだ。
40億年ともいわれる生命の歴史は、ひと握りの生き残り事例の歴史であると共に、それを圧倒的に上回るスケールで演じられた絶滅事件の歴史でもある。更に、生き物たちが不本意にも滅んでしまう事で、革新的な進化が実現されるチャンスが提供されるという事に、多くの人は気づかない。
ならば、絶滅こそが生物の歴史の本質を語る鍵であり、絶滅の観点から生物の歴史を眺めると、生き残りの成功哲学と全く異なる眺望、それも理不尽に満ちた眺望が開けてくる。
大いなる自然は恵みをもたらすだけではなく、理不尽な絶滅をももたらす。進化を支えてきた生物の多様性も、こうした理不尽な歴史の産物なのである。
最後に〜本当の進化論とは
今、アメリカで頻繁に起きているヘイトクライムや人種差別による銃乱射事件などは、絶滅へ急ぐ白人の突然変異的退化とも言える。
一部の白人至上主義者たちは、自らを人類の頂点に立つ選ばれし存在として、仲間以外の者たちを罵倒し、挙げ句は無差別に射殺する。
Darwinの適者生存を愚かにも鵜呑みにする彼らは、家畜を屠殺するが如く他者を排他する。結果、過激で危険思想を持つ一部の白人至上主義者は淘汰と排他を繰り返し、やがては共食いを引き起こし、絶滅するであろうか。
一方で、そんな無教養で学のない白人連中が権力の座に座ってるのも”理不尽な偶然”といえる。
偶然の産物で成功したにも関わらず、それを”選ばれた民”と考えるのは勝手だが、排他する側と排他される側のバランスで人種差別は成り立っている。
これを同じ理屈で言えば、捕食する側と捕食される側のバランスが少しでも崩れれば、生物界は死滅する。勿論、人類が生物界の頂点に君臨してると勘違いしてるのなら、一番最初に死滅するだろう。
つまり、捕食する側はやがて捕食され、捕食されてきた側はやがて捕食する側に回る。つまり、捕食者と被食者が共食いをする事で肉食系の生物は絶滅する事になる。同じ理由で、過酷な競争原理に生きる我々人類も互いを潰しあい、死滅する。
一方で、進化は絶滅を生み、絶滅は進化を促すとも言える。故に、進化の本質が絶滅にあるとすれば、退化や絶滅こそが最高の進化論であり、繁栄や進化こそが最強の退化論と言えるのではないだろうか。
つまり、敗者から流れた進化論とはそういう所に落ち着くのだろう。
言われる様に
大衆の思考はAIに支配される時期はもっと早まりますかね。
コロナパンデミックなんか、グレイトリセットの典型ですが、大衆の思考停止もAIの進化に大きな変革をもたらすかも知れません。
確かに
AIがどんな形で大衆の朽ちた思考に貢献するかは興味がありますね。
コメント有り難うです。
近い将来「グレイトリセット」が起こる?
それは核戦争なのか、ウイルスなのか、気候変動なのか?
その後、生まれる種は人類とは違う種なのか、SF小説で語られるような「覚醒した人類」なのか?
というわけで、僕たちは人類の転機にいて、プラス思考で考えれば面白い時代に生きていると思います。
AIが人類の知能を超えるシンギュラリティは近々起こると言われていますし、僕はそれまでは生きていたいと考えています。