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ベーブ・ルースの真実”その7”〜とうとうルースがアメリカを変えた

2018年02月14日 12時38分13秒 | ベーブルース

 ”怪人”ベーブ•ルース伝説も後半に入ります。いよいよ、ルースの"アメリカを変える夏"が到来します。


最悪のシーズン

 1925年は、ルースにとって最悪のシーズンになった。女優でモデルでもあり、数多くの名プレーヤーとの浮世を流した、クレアとの浮気が発覚したのだ。
 お陰で、妻との11年の夫婦生活は破綻をきたし、クレアとの関係はその後も続いた。
 ルースは元の悪童にすっかり舞い戻った。体重は123キロを超え、春のキャンプでは原因不明の熱病に犯された。暴飲暴食による腸炎や性病を患い、手術も受けた。
 6月に復帰したルースだったが、そこには若き"鉄人"ルー•ゲーリックがいた。

 ルースと監督は何度となく衝突したが、その都度オーナーもコミッショナーも監督に味方し、ルースも完全に負けを認めた。そして彼はとうとう孤立無援になった。
 彼はNYが好きだったし、他のチームでプレーするなんて考えられなかった。
 結局、98試合で25本、打率も初めて3割を切り、NYでは最悪のシーズンを終えた。
 私生活でも夫人との別居し、和解は不可能となる。これまで一緒に暮らしてきた、のどかな農場は売却された。

 しかしルースは、その後31歳から36歳にかけての6年間で年平均50本、155打点、.354という驚異の桁違いな数字を残した。それまで6度のWSでも傑出した存在であったが、その後のWSでも、更に華々しい活躍を魅せるのだ。


復活の兆しと大爆発の予感

 1926年は、ルースもチームも最初から火を吹いた。47本(2位は19本)、155打点、3割7部2厘の打撃4冠で完全復活だ。ルース、ミューゼル、ゲーリック、ラゼリーと続く打線は、まさに”殺戮”そのものだった。
 しかし、セントルイスとのWSでは、ルースの盗塁死で呆気なく決着がついた。WS新記録の4本を放ちながら、"シリーズの最低男"とバカにされた。

 そして、翌年の"1927年、アメリカを変えた夏"がいよいよ到来します。ルースにとって運命のシーズン。"裸の王様"の黄金時代は、まだまだ暫く続くのです。
 "リンドバーグが飛び、アル•カポネが暗礁し、ベーブ•ルースが打つ" 
 このフレーズはあまりにも有名で、思わずゾクッとしますね。
 この時代は、彼ら以外にも、自動車王ヘンリー•フォート、ボクシングのジャック•デンプシー、恐慌直前のアメリカの繁栄をリードした(何もしなかったのが吉と出た)クーリッジ大統領、無声映画の最後を飾った銀幕の女優クララ•ボウなど、往年のその時代を支配した伝説が次々と登場します。

 実は、ビル•ブライソンの「アメリカを変えた夏」を読んで、ルースの事を書こうと思い付いたんですが。その本の中では、ルースに関してそれ程ページを割かれていないのですが、やはりその存在感は圧巻のレヴェルです。
 あらゆる歴史上の事物や物語は、再現の可能性があるが、ルースは再現不可能だと思います。彼が残した記録もその存在も記憶も、その軌跡も再現不可能だと。
 大袈裟に言えば、過去のアメリカの著名な大統領を10人揃えても、ルースの衝撃には敵わないだろうと思わせますね。


アメリカをルースを変えた1927年の夏

 今やまさに、アメリカのやりたい放題の時代に突入です。1922年、ニューヨークはロンドンを抜き、世界最大の都市に君臨したのと同様に、ルースもまたこの世界一の大都市NYに、デンとふんぞり返るのです。
 コミッショナーやオーナーや監督やメディアや大衆に、散々扱き下ろされながらも、ルースはNYを愛し、NYから離れようとしなかった。
 監督のハギンズは、ヤンキースを世界最強の黄金に輝くチームに変えようと、マイナーから有望な選手を大金を使って引っ張り抜く。
 一方、32歳になったルースは、念願の10万ドルには達しなかったが、7万ドルの3年契約を結ぶ。

 1927年、アメリカもヤンキースもルースも絶好調だった。史上最強と謳われたこの年のヤンキースは、全てが桁外れであった。
 ゲーリック3割7分、ルースとクームズが共に3割6分、ラゼリー3割9厘。打点もルースとゲーリック共に164、ミューゼルとラゼリー共に103打点。投げては、ホイト22勝、べノック18勝、ショッカー18勝に、抑えのムーア19勝。と何とまあ、オウマイガーですな。
 当然、チームは独走し、二位アスレチックスに19ゲームの大差を付けてブッちぎる(110勝44敗)。圧巻は24歳のゲーリックだった。
 8/10時点での38本は、ルースに3本の差をつけた。このHR競争は全米中の話題となった。結局、その後ルースが25本を打ち、ゲーリックが9本に終わる。

 特に、ルースは最後の僅か17試合で10発を叩き込み、何と60本の大台に載せた。"おい60本だぞ!これに挑戦する奴がいたら、お目にかかりたいもんだ"
 勿論、この年のWSではパイレーツを4タテし、4年ぶりの世界一へと輝く。


若きゲーリックの存在と

 翌年のルースは、主力6人が戦列を離れるも、不振に喘ぐチームを嘲笑うかの様に打ちに打ち捲くった。8/1までに42本を放ち、記録更新が期待されたが、残り2ヶ月で失速して54本に終わる。
 自身4度目の50本超えと3期連続のHR王、それに打撃6冠と全く申し分ない成績だったが、彼の膝は既に悪化しつつあった。

 前半不振のチームは、怪童ルースの踏ん張りで、夏以降は首位をキープし、そのままブッちぎる。期待のゲーリックも本塁打は27本(リーグ2位)だが、3割7分と142打点は、リーグでも傑出した数字であった。
 WSでは再びカージナルスを4タテし、世界一を連覇。このシリーズでもルースのバットは火を吹き、シリーズ6割2分を残した。因みに、今でもその記録は破られていない。1試合3本のHRは自身2度目のオマケ付きだ。

 若きゲーリックも5割5分、4本9打点と負けてはいない。今度は2年前にやられた、アレクサンダーのカーブを滅多打ちにし、雪辱を果たすのだ。この若きゲーリックの存在も、ルースの快進撃とチームの黄金時代を大きく支えた。


ルースという人

 ルースは確かに、下品で粗野な人間だった。野蛮に思える事も、酷い事もやったし、人を傷付けても平気だった。しかし、彼が笑えば、全てが解消された。
 彼は人生から得るより与える事の方が多かった。彼は教養も殆どなく、そんな物自体必要なかった。食欲も性欲も半端なかった。食欲と同様に、女郎部屋の全ての娼婦を、僅か一晩で平らげた。

 "ルースのセックスの中に全てを見る"事が出来る。休む事なく動き回る無限のエネルギーと攻撃的性格、豪快なホームランとスピード狂、大きく声量ある声、酒、葉巻、チューインガム。これらが全てセックスと結びつく。
 しかしそれら以上に、桁外れの忍耐力がルースの持ち味だった。
 ただ、頑丈な身体の割には、非常に怪我も多く病気がちだった。ルースは巨漢だったが、ユニフォームの縦縞とダークブルーの靴下にする事で細く見える様にした。そのアイデアはオーナーのルパードだった。
 翌年の1929年には、初めて背番号が導入された。当時は打順によって背番号が決めらた。故に、ルースの番号は"3"なのだ。

 ルースは、派手なナイトクラブやレストランには滅多に行かなかった。知人が経営する町外れの部屋を借りて、娼婦やガールフレンドと過ごすのが常だった。
 孤児院での嫌な経験もあり、大勢と戯れるのは好きでなかった。彼は女以上に子供が好きだった。孤児院や病院や施設をよく訪問した。
 ルースは誰をも愛し得なかったと言われる。彼が傷害孤独だったのは、誰も愛さなかったからだろうか。
 

妻の変死とルースの再婚

 しかし、この1929年は、ルースにとって、非常に恐ろしい年となる。
 別居中の妻ヘレンが、歯科医のキンダー博士の自宅で焼死する。2年前から2人は、養子のドロシーと共にキンダー博士と一緒に暮らしてたのだ。
 2人は夫婦として市民登録されてた筈だが、キンダー氏は否定し、雲隠れした。故に、真相は未だ闇の中である。それに自宅が燃えてた時、ドロシーが幼稚園にいた事も腑に落ちない。彼女は幼稚園には通ってなかったのだ。

 しかし、妻の変死により、ルースは愛人のクレアと再婚した。知り合ってから6年の事だ。ルースはひたすら愛に飢え、ひたすら女を求めた。野球は、満たされない感情と才能が融合した爆発に過ぎなかった。彼は終始、己の満足と人々の賛同を渇望したのだ。
 ハギンズ監督もそれ以降はルースの父親役を果たし、クレアは口喧しい女になり、母親の役を果たした。以降、ルースは2人に反抗する事もトラブルを持ち出す事もなくなる。

 しかし、GMのバローは彼を一つの商品として考えた"野球の天才"でもあった。彼はヤンキースを20年代と30年代に渡り、2度作り変え、2度の黄金期を創り上げた。
 バローは独裁者であり暴君でもあった。しかし、オーナーのラパートだけには従順であった。
 ただルースだけは正当に評価しなかった。彼にとって最高の打者はワグナーであり、タイカップだった。ルースは"最大のスラッガーに過ぎない"と吐き捨てたのだ。



4 コメント

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大谷いいですね (paulkuroneko )
2018-04-05 03:28:01
こんばんわ。
ひょっとしたら、メジャーを変えた夏が到来しそうですかね。

ま、そこまではないにしても、インパクトは強烈ですね。野茂もイチローも松井も凄かったですが、大谷の場合異質な凄味があります。

このままスンナリ上手く行くとは思えませんが、彼らと並んで、強運の持ち主である事は確かです。
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Re:大谷いいですね (lemonwater2017)
2018-04-05 04:53:31
"北のミサイルが飛び、トランプが暗礁し、大谷が打つ。まさに、2018年のアメリカを変えた夏”という事になるのでしょうか。

 1918年、二刀流のベーブルースが誕生して以来、丁度100年。今度は若き日本の侍が、1世紀ぶりにアメリカを支配するのか。因みに、ルースの二刀流のこの最初の年は、11本塁打&13勝であった(その3参照ですよ)。

 最も激しく輝いた百年前のアメリカ。あの頃の黄金児の野球が復活するのか。
 まさかとは思うが、期待はしたいものです。歴史は繰り返すとはよく言ったもの。

 でも、正直オープン戦を見る限り、二刀流は夢物語だと思った。そういう私も難題が転がり込んで落ち込んでた時だから。
 とにかく、何も考えずに突っ走る事ですな。周りの事を考えた時点で終わり。自分の事だけ考えて、自己満足の為だけにプレーすれば、何とかなりそうかな。いや、そんなに甘くないか。
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ひょっとしたら大谷 (ootubohitman)
2018-04-06 03:07:54
大谷いいですね。
二試合連続本塁打です。
まさにベーブルースの再来を予言させます。
天国にいるルースはこの日本の若者をどう思って眺めてんでしょうかね。

全米中にこの大谷の衝撃が広まりつつあります。何だかすごい予感がしてきますよ。
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Re:ひょっとしたら大谷 (lemonwater2017)
2018-04-06 04:51:22
おはようございます。

 大谷いいじゃないですか。大谷についてブログが書けそうな雰囲気になってきました。ベーブルースのブログが終り、少し寂しくなってきた時に、絶妙のタイミングで大谷が躍動しかけてます。

 何も考えずに好き勝手にやった方が、いい結果が出るの典型ですね。人間バカになったが勝ちですな。
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