今日は、著者ジャネットの本気が吐露される”あとがき”を紹介です。
コソボの平和維持軍の性的欲求を満たす為、貧困に喘ぐ東欧諸国から若い女性たちが、慰安婦としてかき集められたと、BBCが伝えてた。全く今の時代になっても、娼婦を買う男たちが正常で、その仕事に従事する女性は 異端とされる。売春と売春における女性の役割に対する誤解に、ジャネットは当惑と怒りを覚える。
彼女は、本書の中で一つの物語を語った。ただそれは、彼女自身の物語に過ぎない。彼女は自ら進んでエスコートエージェントと雇用契約を結んだ。当時も今もこの決心と契約を後悔した事はない。ピーチという良識ある要のいる組織、つまり、契約した女を決して食い物にしない組織の中で、比較的安心して多くの報酬を得る事が出来た?とも振り返る。
しかし、現実に世界中には、強制•レイプ•嘘など様々な手段で、家庭や日常生活から引き剥がされ、大した見返りもなく売春を強要される沢山の女性がいるのも事実だ。
しかも、性欲と金銭欲とを同時に満足させてるという誤った思い上がりから、彼女たちの客より劣った存在とみなされている。
捕食者に破壊される”性”
彼女達は、ジャネットのように選択の自由を持たない。我々社会の”捕食者”の様々な要求を満たす為、今日も若くて美しい女性の肉体が、際限なく供給され続けてる。
それに売春に携わる多くの女性が、ドラッグの奴隷となる。ドラッグは女たちを仕事の奴隷にする為、故意に押し付けられる。つまり、ある目的をもってその病の種がまかれ育てられ、他人の利益の為に女性の命が次々に破壊されていく。これは犯罪を超えてる。
ここら辺のジャネットの観察と洞察は鋭いですね。
この女性の肉体を蝕む不正な取引と搾取を食い止める為には、売春の合法化が必要だと彼女は考える。男である私が言うのもなんだが、これには全く賛成である。
売春の合法化が、規制と統制の道を開き、そこで働く女性たちの安全の確立に繋がるのではと、力説する。
ジャネットは、自分のこの夜の体験が売春に身を置く大多数の体験だとは決して思ってはいない。中級クラスのエスコートサービスの実態を疑問を晴らそうと、この本を書き始めたのだ。
これだけでなく、売春の世界について書かれたものをさらに読んでほしいとも訴える。
最後に彼女は、私を短絡的に淫売と呼んだり、忌み嫌ったり、裁いたりする事をやめてほしいとも訴える。
”私はあなた方の母親であるし、姉妹でもあるし、女友達でもあり、娘なのだ”
売春とはファンタジーを売る仕事?
この言葉には、著者の売春婦に対する深い理解と協調と愛情と同情と憐れみが含まれてる。
勇気あるジャネットの3年に及ぶ、この冒険とチャレンジを決して無駄にして欲しくない。そして、このジャネットの貴重なルポルタージュと私の拙いブログを無駄にして欲しくない。
少し生意気だが私が思うに、売春は罪ではなく、一つの職業であるべきだと。作家や芸術家や俳優やプロスポーツ選手が、立派に胸を張って仕事に従事してる様に。
”東京異邦人”ブログでも書いたが。昔は売春とは”プロスティトュート”と呼ばれ、天賦の才能を職業にし、お金を稼ぐ事を言った。
つまり売春とは、性を売るでも身体を売るでもない。ファンタジーを売る仕事なのだ。
ま、これには異論反論も当然あろうが、私はジャネットを支持します。
訳者あとがき
最後に、訳者の那波かおり嬢のあとがきで締め括る。
この本を読んだ若い友人は言った。”私がもし娼婦になるんだったら、これくらいの労働条件は約束してほしいな”と。実は訳者の那波嬢も同じ様な事を考えてたのだ。
訳している最中に、もしかして私にも出来るかなと。ジャネットのプロフェッショナルであるけれど、どこか素人臭さのある仕事ぶり。あちこちを瞑想し、それでも何とかなっていく日常。
エスコートサービスに所属するとは、ごく普通の女で特に美人という訳でもなく、”客と寝るのはブラインドデートのようなもの”と言われれば、ついつい気を許し、もっと詳しく教えて、とさらに深い所を覗き込んでみたくもなると。
勿論、高級娼婦の心得をとくと語られたら、尻尾を巻いて逃げ去るしかないが。
これも、本書の持つリアリティの吸引力と生々しさが読者を吸い寄せてるのかもと彼女は振り返る。
著者ジャネットのその後
「CallGirl」は、2004年に刊行され、全米で大きな反響を呼び、その年のブックフェアの話題を独り占めした。たちまち、ロシア•ドイツ•中国•オランダ•インド•ポーランドなど、世界14カ国に翻訳権が売れた空前のベストセラーだ。
昼の名はジェン、夜の名はティア。著者のジャネット•エンジェルが、昼は大学教師として教壇に立ち、夜は売春婦で稼ぐという二重生活に足を踏み入れたのは、同棲していたシャブ売りの恋人が彼女の預金をごっそり引き出し逃走するという、女としては甚だ不幸で不憫な事件が発端だった。
スピーディーな展開と赤裸々な語り口が、読者をグイグイと夜の世界へ引きずり込む。
男勝りの直線的な気質と、現実を噛み砕き、飲み下すタフネスな咀嚼力。飲み込む前にしっかりと味わうという強かさに全く畏れ入る。
彼女の眼差しは常に、他者に対する健康的な好奇心に向けられ、それは彼女の肯定と受容から伺える。人間の懐の深さ故か、「カーカスレビュー」では、著者の鋭い観察観察と批評を、”ごく限られた女性にしか到達しえない、人生の卓見”と称賛された。
ハーバード大で教鞭の助手を教授の助手を務め、MITの教壇にも立った。2つの仕事の間の極端な隔たりこそが、人生に大きなエネルギーを与えた。それに、エスコートサービスで働く事が、社会的なタブーであるから尚一層だ。そう、秘密をもつ事は楽しいのだ。
毎日が綱渡りだった。この綱渡りほどアドレナリンをみなぎらせるものはなかった。
ジャネットは細心の注意を払い、しかしドラッグに溺れるなどかなり危うい目にも会いながら、何とかこの3年間の危険でファンタジーな綱渡りをやり遂げた。
その後はフルタイムの教職に就いた事もあったが、アカデミックの世界から足を洗い、小説家に転身する。
第1次世界対戦時の飛行士の実像を描いた「Wing」と「Flight」。19世紀フランスを舞台にした幻想小説「Legend」。サスペンスタッチの法廷ドラマ「The Illusionist」と、4冊の小説を書き上げ、5冊目の本として初めてのノンフィクション「CallGirl」を書き上げた。
この本て世界中で翻訳化されたベストセラーだったんですか?知らなかった。転んださんが本気になるわけだ。
どうしても東電OLのイメージと被るから、日本人からすればまたかよってなる。でも内容は全く違いますね。全てを読んだでもないのですが、ルポルタージュに近いと思う。
以前、『マンハッタンコールガールの日記』をチラッと読んだ事あるのですが。こっちの方が東電OL系に近いと思った。それに戯曲に近く、最初から映画化を意識してた様な感じに見えました。
この著者のトレーシークワンも娼婦上がりの作家だが。プログラマーとしても有名だとか。
案外、コールガールって知能が高いというか多才というか。かのシルビアクリステルさんも知能指数が160以上あったとか、自称でしょうが。
”マンハッタンコールガールの日記”は、少しウエブで調べた程度ですが。ウエブ日記みたいな軽いエッセイの様に見受けられます。
表紙はイケてんですが、中身はどうだかって感じです。コールガールの敵ではないと思いたいです。
スンマセン、答えになってなくて。
これは、人の性欲は、きれいごとでは済まされないという典型的な事件だと思うのです。
そんなことから鑑みてみれば、売春というのは、社会にとって必要悪かもしれないということです。
それならそれで、赤線復活は、ある意味、社会の要請といえるかもしれません。
ジャネットは頭のよい女性であったからこそ、そのことに気づけたのでしょうね。
> つまり売春とは、性を売るでも身体を売るでもない。ファンタジーを売る仕事なのだ。
と、
> 私はあなた方の母親であるし、姉妹でもあるし、女友達でもあり、娘なのだと。
には、深く同意します。
政治家も不正に塗れた連中は去勢ですね。乱暴な奴や傲慢で強欲な奴は、全て去勢すると、勿論サイコパスも。そうなれば、売春も非常に安全な仕事になるのだろうか。
ま、これはほんの冗談ですが。実際にそこまで思い切らないと、極悪な性犯罪はなくならないか。
ジャネット嬢は知能が高かったから、危険な目に遭う事は少なかったが。それでも一歩間違えれば廃人になってますね。
実際に売春が、社会的な公の職業として認められるには、様々なハードルをクリアする必要があるでしょうね。口で言うのは簡単ですが。
著者のトレーシークワンの物語ですが。ジャネットの作品の中に出てくるソフィー(だったですか)の物語のほうがずっと興味津々です。
ブログとは関係ない話題ですが。娼婦として生まれ、娼婦として育ったクワン嬢とジャネットやソフィーを同じコールガールという土俵で比較するのも無理があると思う。
でも、女性から見たら、軽いノリ?のツイート風の本の方がストレスは感じないでしょうか。案外、ジャネットの方が男性受けするかもしれません。
そのコールガールももうオシマイなんですか、少し寂しいです。『マダム』が日本で刊行される事を望みます。
マンハッタンコールガールよりも、ソフィーの物語の方がずっと傑作になりそうですね。
でも、コールガールの世界も色々とあるんですね。勿論、ボストンとNYでは夜の世界も違うでしょうし。
でも、コールガールもこれで終わりかと思うと、何だか寂しいです。あと一回で最後ですが、最後まで宜しくです。