「死の家の記録」を読み始めて1週間近くが経つが、仕事の関係で時間が十分に取れないせいか、なかなか先へと進まない・・・というのは全くの言い訳で、レヴューにはドストエフスキーにしては”あっさりとして日記風で読み易い”とあったから、油断していたのも事実である。
実際に、青空文庫版「地下室の手記」でドストエフスキーの陰鬱さとユーモアに慣れたつもりでいた私がバカだった。そう、彼の小説は私が思う以上に、恐ろしく理屈っぽく、そしてクドいのである。
事実、主人公のペトロビッチが監獄に入れられた最初の3日から1週間で、140頁近くを、更に1ヶ月を190頁近くをを費やしている。(バルザック以上に)この用意周到な展開に、正直ウンザリにも思えた。
以下で述べるが、ここまで前置きが長いのには、ドストエフスキーなりのトリックと理由がある。つまり、この小説は(巷で言われてる様に)手記でも体験を元にしたノンフィクションでもなく、4年のシベリア流刑という壮絶な実体験を超えた純然たるフィクションなのだ。
言い換えれば、実体験に着想を得たドストエフスキーは、監獄の先にあるもう1つの景色をこの小説の中で見事に描いている。
事実、そう思って序盤の展開を自分なりに考察すると、そういう事が自然と理解できる様になるから不思議だ。
「死の家の記録」のレビューに関しては、別途記事で紹介するとして、「小説家が読むドストエフスキー」(加賀乙彦著)では、「死の家の記録」を始め、「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」の5つの長編における文脈の構造や伏線の張り方、登場人物の造形等を解き明かしてくれる。
簡単に言えば、加賀氏による(目がウロコ的な)ドストエフスキーの作家論及び作品論でもある。
著者は東大医学部の出らしく、超人的な読書家でもある。その人の全作品を読んだ作家は、バルザックにスタンダール、フローベールにドストエフスキーにトルストイと、19世紀を大小する欧州やロシアの巨匠がズラリと続く。
読書音痴の私もバルザックやゾラの長編を読み漁った記憶があるが、流石に全作品とは程遠く、ゾラはともかくバルザックに至っては1/10を僅かに超えた程だろうか。
今から思うと、若い頃に彼ら巨匠に出会っていたら、文学青年も夢ではなかったかもしれない(ウソ)。
以下、「小説家が読むドストエフスキー」を読んで、気になった所を簡単に纏めます。
巨匠たちの幻想とリアリズム
日本の近代文学が始まったのが20世紀に入ってからの事だから、歴史的に見れば、ヨーロッパ文学の影響をもろに受けた事は明らかである。だが、20世紀の日本文学ですら19世紀の彼ら巨匠たちのリアリズムには及ばないのでは?と加賀氏は疑問を抱く。
その加賀氏が初めてドストエフスキーを読んだのは大学生の頃で、「死の家の記録」を読んで衝撃を受けたという。
ドストエフスキーは4年間にも及ぶシベリア流刑の壮絶なる体験を最も力強く読者に伝える為に、(よく言われる手記ではなく)小説として書き進めていく。つまり、監獄体験の更に先を行く景色を敢えてフィクションとして描く事で、事実が装飾されて増幅し、詳細過ぎる程の壮大な囚人ドラマが完成する。つまり、小説は遥かに真実を超える。
ドストエフスキーは軍を除隊した後、「貧しい人々」など若い頃に幾つかの小説を書いただけで、加賀氏に言わせれば、大した小説家ではなかったという。事実、デビューこそ華々しかったが続く「白夜」や「二重人格」は酷評であった。
しかしその頃、彼が文学の集いで出入りしてた、ペトラシェフスキーを中心とする革命家集団がペテルブルグで逮捕された。だが、彼もその一味とみなされ、突然逮捕されて死刑の宣告を受ける。
ドストエフスキーを含む30人程の革命家らは目隠しにされ、4組に分けられ、順番に銃殺されていくが、彼は2番目の組だ。当然、彼は”自分はここで死ぬ”と観念したという。だが、これは時の皇帝ニコラス1世の憎い演出だった。
当時28歳のドストエフスキーは死刑こそ逃れたが、4年のシベリア流刑を受け、32歳で釈放されるも、その後の5年間はシベリアの小さな町で兵役を強制されながら細々と小説を書いていた。その細々とが「死の家の記録」である。38歳で故郷のペテルブルグへ戻ったドストエフスキーは「罪と罰」を書くが、「死の家の記録」が習作となったのは明らかで、監獄の状況がこんなにも生き生きと描かれた小説は、トルストイの「復活」以外は見当たらないと、加賀氏は感嘆するが、トルストイは「死の家の記録」を何度も読んで「復活」の参考にしたという。
欧州の小説家はよく監獄を題材にしたがるが、閉ざされた空間という孤独の心理は小説家の好奇心を奮い立たせるのだろう。事実、チューホフの「シベリアの旅」は小説と言うより観察及び調査記録に近い。
孤独という点で言えば、ドストエフスキーは監獄に閉ざされた4年間に1冊の聖書だけを繰り返し読んだ。お陰で、「死の家の記録」には聖書に纏わる色んなエピソードが登場する。
この小説の大きな特徴として、人物の描写が生き生きと描かれてる事にある。バルザックもフローベルも生き生きと人物を描くが、ドストエフスキーに至っては、その描き方が傑出していた。
例えば、本作の主人公であるアレキサンドル・ペトロビッチを最後まで色々と世話をするアキーム・アキムイチの人物描写は酷く皮肉っぽいが、詳細過ぎる程の描き方をしている。
更に、超怪力男のガージンも非常に印象的で、この屈強なタタール人は大酒飲みで凶暴だが、人懐っこく商才があり、大勢の男を引き連れ、大量の酒を盗んでは売りさばき、自分もベロベロに酔い潰れ、挙げ句は10人程の囚人からフルボッコにされる。
彼らは憎めそうで憎めない奴だが、そんな中でもトルストイが凄く感心した人物がイサイ・フォーミチというイスラム教徒のユダヤ人だ。彼は普段は周りから嫌われ差別されてはいるが、金貸しに長け、獄内では比較的いい暮らしをし、誰も入りたがらない熱湯風呂では、”神様がいらして金がありゃどこだって極楽さ”と1人大声を上げて歌い、意外にも人気がある。
因みに、ドストエフスキーが大好きだった夏目漱石は「吾輩は猫である」で、この描写を参考にしたとされる。
何度も繰り返される詳細で緻密な人物描写
この作品の中で際立った存在と言えば、ペトロビッチと同じ貴族出の”A”という若い美男子で、この異次元のサイコパス野郎は少佐や看守と裏で繋がる密告屋で、囚人からも慕われている。その上、画家を名乗る男は高度な教育があり、多彩な才能を持つが、道徳的感情が全て欠落し、苦痛も悔恨も感じない。
まさに冷酷非道の極致にあり、”歯と胃袋だけの粗暴で獣的な渇望を持つ肉塊”の様な化け物だ。が最後には、少佐の肖像画が捗らずにカンカンに怒らせ、重労働を強いられた挙げ句、看守と脱走を試みも呆気なく捕まる。
この様に、憎きAにより全てを毒されかけたペトロビッチだが、彼に四六時中尽くすスシーロフの存在も毒舌に匹敵する。何の取り柄もない雑魚の様な小男だが、極刑のミハイロフの罪を銀貨1枚だけで引き受け、囚人から虐められながら誰もやらない見張り番を1人続けている。退屈な前半部の最も印象に残った人物だ。更に、もう一人よく登場するのが、ペトロフという男。獄内の最も命知らずの爆発男で、獄内での人殺しも平気でやるが、不思議と面倒見がいい。
ドストエフスキーは、こうしたあらゆる属性を持つ登場人物を監獄という陰鬱な空間の中に上手く絡め、必要な所で何度も再登場させ、以前とは異なった矛盾した存在感いや属性を放ち、読者の頭に積み重なる様に焼き付いていく。全く、こうした手法は非常に効果的で、長い出来事を描く時は最初の1月を濃密に描く。そして、メインになる人物を何度も書き出し、最後まで印象に残る様に読者の頭の中に焼き付けておく。
気の遠くなる作業だが、これをやる事で読者には10年という長い月日が経った様な気分になる。つまり、再現・再登場の手法により、10年という長い月日を最初から最後まで生き生きと描き出していく。
「死の家の記録」では最初の1年を全体の4/5程を割いて描くが、その中でも興味深いのが、囚人の精神分析にある。例えば、「悪霊」の中で登場する根っから悪人であるスタロヴローギンは知能抜群の美青年だが、Aも彼の様に成り下がっていく。
因みに、実際のドストエフスキー家は僅かな領地しか持たない小貴族で、父親は救済病院の院長だったが、とても残忍な人で領地の農民らを虐め、彼らの反感を買って殺されるが、そうした父の姿を悪人の描写に重ねたのかもしれない。
Aもスタロヴローギンも情緒欠落型で、今では反社会性人格障害と呼ぶのだろう。事実、「精神病質人格」(K・シュナイデル著)に分類される、ほぼ全てに合致する人物をドストエフスキーはこの小説の中で全て書いている。
そんな囚人の中でも、東京拘置所の医務技官を務めた加賀氏が特に注目したのが、囚人の大多数を占めるとされる”使い走り”であり、シュナイデルは意志欠如性異常人格者と分類した。つまり、自分の意志や思考を持たず、常に人の影響を受け、周りが悪ければ悪人になり、周りが善人なら無類の善人になるタイプで、一度悪の世界に手を染めると徹底的に悪い事をしでかす、最もタチの悪い犯罪者でもある。
事実、加賀氏に言わせると、窃盗犯(ノビ)がこの部類に属し、ドストエフスキーが小説の中で書いてる様に、人が見てないとどんな悪事でもするが、人が見てると途端に善良になる。但し、これと対称的なのが強盗犯(タタキ)で、人が見ていようがいまいが平気で悪い事をする。
その他には、フォーミチは発揚型の異常人格者に分類されるが、加賀氏はこの小説の中には”異常人格者はいない”と語る。つまり、殆どの囚人が何らかの意味で誇りを持ち、大切なこれだけは譲れないものを持っていると・・
一方、ドストエフスキー自身は癲癇持ちで有名だが、父親が殺された時に初めて癲癇を経験し、監獄の中でも起こした。加賀氏に言わせれば、癲癇の天才というのはドストエフスキーだけで、多くの天才は(コッホも含め)統合失調症だとされる。
確かに、「地下室の手記」と「死の家の記録」の2作品を読んで感じる事は、ドストエフスキーの小説の特徴は”しつこい”という事に尽きる。だが、これは癲癇気質の特徴だとされ、精神医学では超社会性とか粘着気質と呼ぶらしく、加賀氏は、このしつこさこそが大好きなのだと語る。
つまり、出来事をしつこく独特に緻密に再現する。良く言えば、よく推敲し、緻密さに長けた作家とも言える。
ドストエフスキーとバルザック
近代小説の始祖と言えば、真っ先に上がるのがバルザックで、特に彼が編纂した「人間喜劇」は全部で90編にも達し、人物再登場法により其々の物語が横に結ばれ、全体として巨大で緻密な小説世界を形作る様は壮観でもある。
この様に、加賀氏がべた褒めするバルザックだが、ドストエフスキーもバルザックの熱烈な愛読者だったとされる。事実、処女作の「貧しい人々」を書き上げる前年には「ウジェニー・グランデ(現代史の裏面)」を翻訳していた。
つまり、天才は国境を超えるのだ。
但し、バルザックの縦横に巧みに描き分ける人物造形法と、ドストエフスキーのそれとは随分と異なると加賀氏は主張する。
例えば、バルザックが描く登場人物の性格は、別の作品においても変わらない。つまり、人間の性格を平行に描いた作家であった。しかし、ドストエフスキーやトルストイが出てきて、登場人物の造形法が一変する。ロシアは英仏よりも50年ほど遅れて小説を書き始めるが、ロシアによる現代小説の基礎はプーシキンの「大佐の娘」が始まりだとされる。
ドストエフスキーはバルザックの真似をせず、ロシア独自の造形法を編み出した。つまり、ある人物の中に様々な矛盾ある側面を描き、不透明な厚みのある(読者が見通す事の出来ない様な)人物を作り上げた。この手法の先駆者こそがドストエフスキーなのだ。
確かに、彼の描く人物は矛盾に満ち、物語は錯綜し、その展開は混沌としている。極悪人かと思えば善良な面もあるし、温厚かと思えば突然凶暴になる。更に、真面目で勤勉かと思えば平気で人を殺す。
私には、あまりに意外な面が次々と現れ、ついていけない部分も多々あったが、これこそがドストエフスキーの巧みな仕掛けでもあり、最大の求心力でもあるのだろう。
”20世紀の作家は全てドストエフスキーの肩の上に乗っている”と評される様に、一度でも彼の著書を読めば”離れる事は出来ない運命にある”との埴谷雄高氏(1909-97)の言葉も理解出来なくはない。
事実、加賀氏も”ドストエフスキーを読まずして小説を書き始めた人は私の周りにはいないのでは”とも語る。
最後に〜文学に国境はない
ここまで書けば、ドストエフスキーが如何に傑出した巨匠である事が、彼の著書を読まないでも大方理解できよう。
元々読書嫌いだった私が、初めて文学と言う名の付く小説を読んだのは高校1年の頃で、大江健三郎の小説だった。それから夏目漱石や武者小路実篤や森鴎外、そして永井荷風に移行した様に思う。
勿論、全てを読破できる程の読解力もなく、受験に必要だろうと思い、代表作を幾冊か読んだだけである。だが、この時期にドストエフスキーの小説に触れてたら、私の読解力も大きく昇華していたであろうか。
私が中学の頃はアンネ・フランクやヘレンケラーやナイチンゲールの伝記などが教材になっていた記憶があるが、正直琴線に触れる事はなく、感動すら覚えなかった。
国語の教諭はどう思うかは疑問だが、この時期に幼稚な伝記ではなく、巨匠らの純文学を読むべきだとつくづく思う。つまり、教壇で口酸っぱく伝記を教えても、知力は向上せず、知覚は鈍いままだ。「死の家の記録」も伝記ではなく小説だったから、あれ程の絶大なる評価を受けたのである。
それに、伝記なんて編集者の都合のいい様に幾らでも捻じ曲げ、脚色できる。アンネの日記もナイチンゲールの手記も今に思うと、明らかに眉唾臭いものだ。読むだけ教えるだけ無駄だとは言わないが、事実、野口英世や山本五十六らの英雄伝は今では信憑性にすら欠ける。
因みに、学力を手っ取り早く向上させるには、文学小説を読むのが一番の近道であり、受験勉強や塾通いは確実に脳を腐らすだけだ。
ハードルは厚くそして高いかもしれないが、青少年よ(大志を抱かなくていいから)今こそドストエフスキーを読むべきだ。そして、現実の先にある景色を描く力を身につけるべきだ。勿論、それなりの読解力は必要だが、世界と対峙できる日本人になるには一番の近道だろう。
実際に、ドストエフスキーもバルザックを読んで、ボードレールもポーに憧れて小説家になった。同様に、日本の若者も異国の巨匠を読んで大きくなるべきである。
最後に、加賀氏の言葉で纏める事にする。
ドストエフスキーは20世紀の文学に絶大なる影響を与えた小説家であるが、更に21世紀の文学の扉をもこじ開けようとしている。彼の長大な小説群は主題も構造も複雑で、読み解くには知識の積み重ねが必要である。一方で、文学には色々な門があるが、ドストエフスキーの門は広く奥深く、そして愉快で楽しく、豊穣な文学世界の醍醐味を味わう道に繋がっている。
さあ諸君、文学を志すのなら、ぜひドストエフスキーを読みたまえ。
ドストエフスキー、僕は未読です。
「白痴」「カラマーゾフ」「罪と罰」等
何度か著作に向き合いましたが、
読み進むうち迷路に迷い込んだような、
ツンドラの原生林で遭難したような、
そんな気になり断念しています。
彼の文学を理解するには、
カトリックでもプロテスタントでもない、ロシア正教の知識が必要。
そう思い、勉強しているところです。
本年も貴ブログを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
では、また。
ロシア文学と言えば、堅苦しいプロレタリア文学だと思い込み、敬遠してたんですが、読んでみると目から鱗ですね。
ドストエフスキーは空想的社会主義に傾倒し過ぎて逮捕され、シベリア流刑に送られ、出獄後は科学的社会主義を批判し、弾圧が強くなると、キリスト教的人道主義へと思想を転化させたとされます。
しかし、出獄後に書いた「死の家の記録」では聖書に従い、既に宗教的側面も色濃く描いてます。勿論、社会主義にも矛盾と限界はありますが、最後は思想や論理による革命ではなく、ロシア正教的な”赦し”を訴えたんだと思います。
一方で狂人プーチンも、スターリンに弾圧されたドストエフスキー作品を愛読したとされますが、「カラマーゾフの兄弟」に登場する暴君の父フョードルはプーチンそのもの。でも、フョードルはドストエフスキーが一番嫌う人物像なんですよ・・(笑)
故に、プーチンは彼の本意を理解してなく、政治的に利用してるだけだと思います。
多分、ドストエフスキーは監獄の初日に思想や理念も含め全てを喪失し、聖書だけを頼りに4年間を過ごしました。
つまり、りくすけサンは実にいい所ついてると思います。
旧年はお世話になりました。今年も宜しくお願いします。
ロシアと対立するウクライナも同じロシア正教であり、ウクライナを支援する西側EUも同じキリスト教国家に属してます。
大まかで言えば、ロシア-ウクライナ戦争は同じ神様の下で行われている戦争と言えますね。
しかし、日本でも明治維新以降は仏教が戦争に加担し、国家神道の道を歩み出し、神様が国家と一体化して日清・日露・日中戦争、そして太平洋戦争へと向かいました。
このように仏教もまた、戦争を外国大陸へ布教を広げる好機とみなしました。
さらに太平洋戦争時の仏教は、ロシア正教による対ウクライナ戦争への協力以上に戦時資金の加担をしたとされます。
やがて国家権力と結びついた宗教は暴走し、赦しや救済という本分を忘れ、結果的に宗教自身も瓦解します。
転んだサンが言われる通り、ドストエフスキーはロシア正教の中に赦しを見出しますが、プーチンは侵略と破壊を映し出してるように思えますね。
例えば、中東のテロリストらも平気で”聖戦の名の下に”と叫ぶし、2度の湾岸戦争も”正義の名の下に”は大嘘で、単なるテキサスの金持ちとアラブの金持ちの見栄っ張りの喧嘩に過ぎませんでした。
今回、ドストエフスキーの作品に触れる事で、ロシアの文学の巨匠らが(平和を含む)戦争や革命の上を行くビジョンを持ってたのには新鮮な驚きがありました。
ドストエフスキー自身も2度に渡り、皇帝に忠誠を誓わされたとされますが、お陰で彼の小説の中には様々な仕掛けやトリックが散りばめっれてます。
勿論、単に読むだけでなくそれらを見抜くのが大変ですが、深遠で無限の興味をそそられる所でもあります。
因みに、ドストエフスキーはリーマンとほぼ同年代なんですよ。まさに、天才は天才を呼び寄せるの典型ですね。
もっと早くドストエフスキーに出会ってればと思いますね。