”シビル・ウォー(Civil War)”とは”内戦”という意味で、アメリカでは”南北戦争”の事を指す。
1861年から4年以上も続いた内戦で、戦死者は両軍合わせて62万を数え、アメリカ史上最大の損害を与えた戦争となった。第2次世界大戦でのアメリカ軍の死者が40万だから、その規模の大きさが計り知れる。
つまり、”シビル・ウォー”の再現はアメリカにとって最悪の悪夢とも言えるが、それを映画化したのだから、作品の出来はどうあれ、話題にならない筈はない。
前半は、ロードムービー的意味深な視線で、そこそこ良く出来てはいたが、後半はケチなドンパチ系ギャング映画を見てるみたいで、一気に興ざめし、拍子抜けしてしまう。
映画の舞台は、分断が加速する近未来のアメリカで、連邦政府から19の州が離脱し、カリフォルニア州とテキサス州の同盟による西部勢力と政府軍による内戦が発生。戦場カメラマンを含むジャーナリストらは(1年以上も拒絶し続けてる)大統領への取材を行う為に、戦場ではなくホワイトハウスへ向うが、そこは戦場と化した場所であったのだ・・
分断から内戦へ〜混迷するアメリカ
”憲法で禁じられてる筈の3期目に突入し、FBIを解散させる等の暴挙に及んだ大統領に反発し・・”とあるが、これが近未来のトランプ大統領を喩えとしてるのは明らかだろう。
映画は「アメリカは内戦に向かうのか」(バーバラ・ウォルター著、2022)から着想を得たとされるが、トランプの大統領選再出馬が2度目の南北戦争を招く可能性をテーマにした著でもる。
著者は内戦を専門とする政治学者だが、世界中で起きる内戦の心理と条件のパターンを分析し、更に現代の紛争を拡大・激化させるSNSを考察する事で、アメリカ内戦の危機を明らかする。
本書では、武装した右翼過激派の主張がSNSを通じて拡散し、幅広い支持を得ていく構造が、トランプの登場で加速し、アメリカ内戦を勃発させる可能性を論じている。
最後には、民主主義を擁護する運動が紹介されてるが、昨今のアメリカ民主主義にそれだけの正義と救いがあるのだろうか?甚だ疑問ではある。
欧米の伝統であるキャンセル文化や暴力による現状変更は、もはや内戦や混迷しか生まないのが現実だが、それらの危機の中核にあるのが”人種間戦争”である事に異論はない。
全く、着想となる著が(そのテーマからしても)軟弱な母体に過ぎないから、どうしてもその着想の上に立つ映画も幼弱でおとぎ話っぽくなる。
確かに、現実的か否かで、この映画を判断すれば、専門家が思い描く近未来のアメリカに対する幼稚な空想にも思えるだろう。故に、あくまで架空の物語であり、世界中に散らばる莫大な数の米軍には全く触れないで、この映画は作られている。
つまり、”内戦や内乱が米国で起きたら”との前提であり、その時に”米国は・・いや米国ほど残虐に隣人を殺し始めるのでは”という深刻な危機を描いている。
仮にでなくとも、世界中で敵対する民族間で起きてる内紛や内戦が近未来の米国でも起こりうる可能性は高い。他方で、混乱や騒乱を気にもせず、知らぬ顔を決め込む市民や州も多く存在するだろう。その一方で、ジャーナリズムのあり方についても描かれてはいるが、映画の中のジャーナリズムは健全なのか?真実を映し出す鏡なのか?キャパの(捏造された)「崩れ落ちる兵士」を見てるみたいで、私にはよく理解できなかった。
もっと言えば、今の時代はいたずらにシャッターを切るだけでは時代を映し出す事は出来ない。つまり、何をどう切り取るか?が、この映画には欠けていた様に思える。
この作品の本質が(南北戦争以来の)単なる内戦の中にあるのか?人種間闘争という微妙な部分の陰に隠れてるのか?
ただ、武装した右翼過激派兵士が”アンタはどんな種類のアメリカ人だ?”と中南米風の記者に問いかけるが、その言葉こそが私には衝撃的に映ったし、昨今のアメリカ白人の心の叫びにも映った。
一方で、この言葉に”一筋の希望”を見いだしたアメリカ白人も多い事だろう。つまり、アメリカ白人だけが生粋のアメリカ人なのだ。
私にとっても、この言葉だけが映画の本質を抉り出す、唯一のヒントになったようにも思えた。
最後に
因みに、リンカーン大統領が介入した南北戦争だが、重工業で栄えた北部は奴隷制反対と保護貿易を主張し、綿花産業で栄えた南部は奴隷制と自由貿易を主張して対立が激化。南部11州がアメリカ南部連合を結成し、リンカーンがこれに抗し開戦。
1863年の奴隷解放宣言が起点となり、南部の奴隷の離反を誘い、外国勢力の干渉を防いだ事でリンカーンの北軍が勝利する。
元々、リンカーンは先住民族(インディアン)に激しい弾圧を行っていたが、南北戦争でも開放された黒人奴隷が先住民族を駆逐した結果となる。つまり、南北戦争といえど、北部vs南部、保護貿易vs自由貿易、重工業vs綿花産業、奴隷制賛成vs反対、黒人vs先住民という雑多な対立の下で生み出された事が判る。
故に、単純な人道的な理由だけで内戦にはなり得ない事も理解できる。
確かに、武装した右翼過激派がSNSを通じて拡散する事は否定できないが、現実的に見ても、単なる暴動が幅広い支持を得るまでには至らないし、今回のトランプの再選で、アメリカ内戦が勃発する可能性が加速する事もありえないだろう。
つまり、物事は映画の様に絵空事でも単純でもフィクションでもなく・・専門家が思う以上に複雑に、いや意外にも単純に出来てるのだろうか。
某心理学者によれば”パニックは映画の中でしか起こらない”とされるが、第2次南北戦争が映画の中で描かれた様な、幼弱な次元の小競り合いに終始するのだろうか。
1938年のラジオ版「宇宙戦争」以降、80年以上も”火星人の襲来”をアメリカの国民は頭の中で描き続けてきた。
そして今、トランプ再選により、第2次南北戦争を描きつつある。映画では南北戦争ほどに大規模な内戦に拡散する事はなかったが、トランプ壊滅と内戦を結びつけるには、昨今のジャーナリズムでは脆弱すぎる様に思えた。
つまり、現代のジャーナリズムも世界中に拡散するSNSも所詮は儚い空想に過ぎず、この映画で描かれた内戦もまた、おとぎ話のレベルの1シーンに過ぎなかった。
少なくとも、”ジャーナリズムは剣よりも弱い”事を曝け出しただけの様に思えた。
内戦時のジャーナリズムのあり方でもないし
分断し混迷するアメリカを描いたわけでもない。
特に最後のシーンは
何だかな〜?って思いました。
話題になったと言っても
タイトルが南北戦争の再来を意味したからで
実際に映画で描かれたのは局所的な銃撃戦だけでした。
これと言った民衆のパニックも起きず
第2次南北戦争を期待した人はガッカリだったでしょうに
でも、”トランプ再選=アメリカの分断”といった縮図は、ジャーナリストや専門家でなくとも簡単に頭の中で描ける事ですが
この映画は幼弱すぎました。
昔、映画「日本沈没」(1973)が大きな話題となり、大ヒットしましたが、この時は小松左京氏の原作がしっかりしてたから、最後は怪獣映画っぽくなりましたが、何とか体を成してた気がします。
でも今回の「シビルウォー」は、参考にした著作が幼若で、映画もまたおとぎ話っぽく成り下がりました。
そういう私も一応は期待したんですが、想定通り以上のガッカリでした。
何だかパクったようなタイトルで
それだけで嫌になる。
スリラーに分類されるように
この映画には内戦という質感がないんだよ。
戦場カメラマンのリー役を演じたキルスティン・ダンストともかく、記者ジョエルは安っぽく、駆け出しの写真家ジェシーも幼稚に映った。
最後は、リーが銃弾に倒れる所で幕を閉じるけど、結局はリーもジェシーもシャッターを切り続けただけで、ジャーナリストとして得たものは何もない。
転んださんも指摘していたが
混迷のアメリカの<何をどう切り取るかが>この映画には欠けていた。
<アメリカ最後の日>という副題だけで
この映画の幼弱な質感が判断できますよね。
映画では、アメリカ内戦の中に”崩れ落ちる大統領”を再現するつもりでしたが、単なる妄想で終わった気もします。
一方で、今のアメリカの有権者はアメリカの病んだ部分をどう切り取るかを模索してると思いますが・・・その明確な答えが見つからないまま、今に来ています。
ただ、今の前バイデン大統領の恩赦の権限を強引に行使してるのを見ると、更にアメリカの混迷は続きそうな気がしますね。
そのまま「アメリカ内戦」で良かったと思う。
それにジャーナリズムをメインにせず
ひたすら現代のアメリカの内戦を描く。
TVドラマ「コンバット」みたいに延々と銃撃戦が展開され
それにアメリカ軍が加わり
その米軍も真っ二つに分かれ
局地的戦闘から広域な戦争へと向かう。
戦争って理屈じゃないんですよ。
始まったらどんな汚い手を使ってでも絶対に勝つ。
負けたらその時点で全てが終わる
そういう視点で描いたら面白かったと思う。
ジャーナリズムの視点は余計でした。
私も同感です。
ただ、映画の中の”内戦”は単なる局地的で突発的な銃撃戦で、内戦とは程遠いものでした。
故に、ジャーナリズムが介入する程のものでもなかった。
それにアメリカの分断はずっと前に小説にもなっていたし、今更ジャーナリズムの視点で捉えても目新しさはないですよね。
結局はトランプの再選に合わせ、慌てて即席的に作ったが為に、おとぎ話程度に成り下がったんですが・・・
コメント参考になりました。