
「継続は無力なり」に寄せられたコメントに、”成功してる人は超短気な人が多い。二流の短気者は露骨に相手に怒りをぶつけ、一流の短気者はにこやかに相手を切る。つまり短気じゃないと絶妙な気遣いはできない。
短気な人の方が大衆の不満や怒りに敏感で、それらを解決する能力に長ける。私達が怒ったり不満やいらだちを感じる時にこそビジネスチャンスが転がってるからだ”とあった。
これを少し言い換えると、超短気な人はイライラの本質を見抜くのに長けてるので、どんな状況にても人を不愉快にさせない。故に、余計な努力をしないでも成功する。勿論、短期は損気というのが前提で、それを逆に利用する。数学で言う”逆もまた真なり”ってやつで、”短気も上手く振る舞えば成功を呼び覚ます”と言える。
つまり、顔や態度に怒りを露わにするのは短気の粒が粗いからで、短気の粒が細かい人は、角がない人と殆ど変わらない。
これは、更に角が増えると丸みを帯びた球体に近くなるからである。
短気は欠点ではなく、才能になる
「短気は治すと失敗する」では”短気な方が人生は上手くいく理由”として、具体例を使って、これを論理的に証明する。面白そうなので、一部を紹介します。
例えば、携帯電話を”これは不便だ”とか”もっと改良するべきだ”と、腹を立てた人がゼロならスマホは生まれなかった。
鈍行列車の遅さに不満を持つ人がいなかったら、新幹線が開発される事もなかっただろう。
つまり、短気でないと、世の中の”不満”や”悩み”を見つける事ができない。もっと言えば、世の中の不満や悩みを解決できれば”お金”になる。言い換えれば、大衆の不満や不安のストレスはお金に直結する。
短気で悩んでるアナタ、治す必要は全然なく、もっと短気になればいい。すると、だんだんトゲが増え、ある地点を超えると逆に穏やかになれる。つまり、短気は損気だが、超短気は穏便とも言える。
因みに、”短気は損気”の類義語に”急いては事を仕損じる”とか”慌てる乞食は貰いが少ない”とか”急がば回れ”などがある。が、少し捻りを加えれば、”機を見て急げば上手く行く”とか”慌てる金持ちは儲けが多い”とか”急がばもっと急げ”と言えなくもない。
こういうのを数学では逆理(パラドクス)とも言うが、トゲだらけの球体は逆に持ちやすい。つまり、トゲだらけの超短気の人は(いい意味で言えば)決断が適確で素早く頼もしいとなる。
一方で、穏やかな人と”事なかれ主義者”は表裏一体とも言える。つまり、従業員が気長な人ばかりになったら、そのお店は潰れるし、会社であれば倒産する。つまり、短気な人の方がお客様の”不満”を拾えるから、お店や会社は存続できる。
短気は”欠点”ではなく”才能”。凹ませるのではなく、どんどん伸ばして、棘だらけの触っても痛くない球体を目指すべきだと説く。
”ある人との出会い”と”普通に生きてたら知れない情報”を知る事で、2年という短期間で人生を変える事が出来た。結局は、”知ってるか知らないか”の差で、能力や才能やセンスではない。
最後は、”普通の人が知らない事”を知るだけ、ただそれだけで”自信もお金も人脈も全て手に入れる事が出来た”と締めくくる。
以上は、「2年で10億稼いだ人生逆転ストーリー」で紹介されてた事だが、どうも成金ぽく感じる所もある。因みに、”稼いだ”ではなく”稼ぐ事に貢献した”が正解らしい。
一方で、成功ネタや啓発本は好きになれないが、短気とか諦めという欠点を逆に利用し、成功に結びつけた辺りはとても新鮮に思えた。
ただ、”2年で10億”に貢献した事が成功と言えるのかは?私には分からない。
仮に、成功がお金だけで判断されるのなら、ハッカーや銀行強盗は最強の成功者でもある。大谷の通訳の水原被告も、一時は大谷の口座から24億円もの大金を動かす事に成功した。そういう意味では一時的にだが、稀に見る成功者である。
しかし、法に触れないやり方でマイナスの要素である筈の短気をお金に換えるという発想は、読んでて爽快でもある。
最後に〜継続よりも短気
成功と失敗とは表裏一体である。
一時の成功に酔いしれ、気がついたら絶望の海に溺れてる事はよくある事で、つまり安易な成功はリスク管理を甘くし、自分の首を絞めるだけである。
それでも大衆は一時の浅薄な成功を夢見る。多分その成功は障子紙1枚よりも薄く破れやすいかもしれない。
同じ様に、短気と継続も表裏一体である。”継続は力なり”と言われるが、人が思う程に継続は無力であり、成功には程遠い。
つまり、成功は思う程に忍耐強くはないのだ。言い換えれば、成功なんて殆どが気まぐれなのだろう。寧ろ、成功に理由や原因を探る事自体がナンセンスに思える。
一方で、短気は諦めを生みやすい。が、諦めこそが冷静な思考の転換を生み、成功をもたらすとしたら、短気も度が過ぎれば成功を呼び覚ますのも、ある程度は頷ける。
更に、短気も積み重ねれば人間を丸くする。一方で、短気により物事に敏感になり、短気の本質を見抜く事で、致命傷となる短気の負の要素を回避できる。
言い換えれば、短気のいい部分だけを抽出し、人生に役立てる。都合のいい成功者とは、そういう人を指すのだろうか。
だが、結局は”短気は損気”に帰着する。
勿論、短気だからこそ目先の勝利や成功に盲目になるのだが、かと言って、目の前に宝がぶら下がってるのに何も策がないというのも人が良すぎる。
ただ言える事は、基本的に”短気は損気”ではあるが、人が言うほど短気は悪いものでもない。
事実、私も敢えて短気に振る舞った方が意外に得するケースが多々ある。時と場合によっては、露骨に自分を表に出す事で、誤解なく自分の気持ちをストレートに表現できる。
ある程度の怒りがないと”ノー”とは言えないし、中途な感情で言っても失礼に思われるだけである。
従って、短気をどう上手に相手に伝えるか?これは人生をより良く生きる事に直結する。つまり、短気は伝え方次第では成功を呼び覚ますのだろう。
短気な人の方がギャンブルや釣りに向いてるとは、そういう事なのだろうが、人生一般においても、気長な人よりも短気の方が得してる様にも思える。
少なくとも、盆や正月に決まった様に延々と続く渋滞の波に呑まれながらも帰郷する、不特定多数の国民にだけはなりたくない。彼らは何が嬉しくて渋滞を求めるのだろう?私には彼らの気長さが理解できない。
人間、長く生きていると、そういう逆説に近い事をしばし教えられる。一方で、多くの諺が当てにならない事も教えてくれるが、殆どの諺は正反対の諺を持つ。
確かに、諺や格言に明白な矛盾はないが、普遍的な真理でもなく、それが正しいという保証は何処にもない。その場しのぎの使い捨ての教訓と言えなくもないが、状況に応じて使い分ける工夫も必要だろう。
つまり、短気も扱い方さえ間違わなければ、成功の潤滑油となるのだろう。
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