自民党の総裁選挙が連日の様にワイドショーでは報じられてはいるが、TOP3は石破、高市、小泉と順に続くが、どうやら人気先行で総裁が決まる勢いである。
一方で、政治家には資質というものがあり、総裁になるには器というものがある。更に、人間としての完成度の高さも求められるし、表面上の学歴ではなく知能の高さも求められる。
特に、国家の主としての最大の武器は外交にある。この外交は、主に知能の高さに支えられる。少なくとも経験や世襲や精神論ではない。
こういう事を私の田舎で言えば、”頭でっかちでは政治家は務まらん”と跳ね返されるだろう。事実、政界の頂点に立つには、知力や能力よりも権力に寄り添う事が優先されるのだ。
実際に、小泉進次郎は菅義偉が裏で仕切ってるとされるが、バカもあそこまで晒け出されると、知能の浅い女性有権者までも引いてしまう。つまり、バカが上に立つと国民は不幸になる事は、過去の歴史でも、特に、安倍や菅のケースで実証済なのだ。
そこで、バカに権力をもたせると悲惨な結果になる事を、まずは東条英機を例に挙げて実証する。
実は、以下の記事は「バカが上に立つと国民は不幸になる」のタイトルで、ずっと前に書き溜めておいたものだが、ここに来て出番が来たようである。
東條英機のケース
”目の前の犬(旧日本陸軍)が怖くて、ライオン(アメリカ)に喧嘩を売った様なもんだ”と、東条英機の失政を揶揄しておられたが、まさに正論である。
NHKBSPの番組「英雄の選択」では”東條英機 開戦への煩悶”というテーマで議論が成されていた。今更、東条英機もなくはないが、日本人は何度もこの男の失政から色んな事を学ぶべきである。
つまり、覚悟も知恵も勇気もプランもない人物が国家の主導者になり、困難に対処すれば、国民は500%不幸になる。
それに、戦時の東條内閣とはいっても、所詮は薩長で樹立した暴力革命政府に過ぎず、”開戦ありきの内閣だった”との声もある。
日米開戦を決定した首相・東條英機。彼の側近の肉声が新たに発見された。東條の首相就任から開戦やむなしの上奏までの約2週間を検証する。
日中戦争での成功と天皇への忠誠心によって栄達を遂げる東條は、1941年10月に首相となると、12月の開戦後には権力強化を志向し、陸軍大臣と外務及び内務大臣、そして1944年には参謀総長をも兼任した。
以前から強硬に対米開戦を主張してきた東條の首相就任は、”戦争遂行”内閣発足とされてきたが、東條を推した内大臣・木戸幸一にはある“奇策”があった。それは開戦派の東條を敢えて首相に据え、陸軍を押さえ、”戦争回避の道を探る”というものである。
東條英機は戦争回避の道を探るべく煩悶した。最終的に、東條英機はいかにして開戦に踏み切り、どのように戦争を指揮したのか・・・。
以下、「戦争指導者としての東條英機」PDF版(戸部良一)やウィキを中心にまとめます。
譲歩外交は降伏に過ぎない?
東条英機と言えば、日中戦争での活躍や”北方にはソ連を、南方には英米との戦争を決意すべきだ”との2正面作戦の無謀な発言で知られる。しかし、近衛内閣の下で陸軍大臣だった東條は、日米交渉で妥協点を見出し、日米衝突を回避しようとした近衛首相に対し、”中国大陸からの陸軍の撤退はありえない”と尽く反発した。
開戦前の総力戦研究所より日米戦争は”日本必敗”との報告を受けたにも関わらず、東條は”譲歩するのが外交ならそれは降伏に過ぎない”と日米開戦を訴え続けた。
暴挙とも言える東條の政策だが、次第に異を唱える者は少なくなり、更に米英が交渉に応じる確証もなく、外交解決を見出せなくなった近衛は”戦争には自信がない。自信がある人がおやりなさい”と言い放ち、辞職する。
事実、東條は近衛辞任後もゾルゲ事件によって近衞とその周辺を抹殺する事を考えてたというから、まさにバカ(東條)が上に立つと国家は滅びるの典型でもある。
その後、内大臣の木戸幸一は独断で東條を後継首班に推し、昭和天皇の承認を取り付けてしまう。
この木戸の奇策については、対米開戦の最強硬派であった陸軍を抑えるのは東條しかなく、また天皇の意向を絶対視する人物だったので、昭和天皇の意を汲んで”戦争回避に最も有効な首相だった”と考えられる事が多い。
しかし、東條は(対米交渉最大の難問であった)中国からの撤兵に関し、”米国の主張に屈したら支那事変の成果は壊滅する。更に満州国をも危うくするし、朝鮮統治も危うくなる。支那事変は数十万人の戦死者や負傷者、それに数百万の軍隊と一億国民が戦場や内地で苦しんでいる。駐兵は心臓である。譲歩・譲歩・譲歩を加え、更にこの基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。これは外交ではなく降伏だ。支那に対して無賠償・非併合を声明してるのだから、せめて駐兵くらいは当然の事だ”と、自ら譲る気配は全くなかった。
但し、東條をスターダムに押し上げた日中戦争が成功とは程遠いものであり、暴挙だった事が彼の必死の声明からも読み取れる。
しかし、内閣組閣後の東條は、この陸相時の見解とは全く相反し、戦争回避を希望する昭和天皇の意思の実現に全力を尽くそうとした。
当然ながら、東條政府側の提案はルーズベルト政権には到底受け入れられず、組閣から約40日後には崩れ去る。これにより、東條内閣は交渉継続を最終的に断念し、対米開戦を決意するに至った。
因みに、開戦日の未明、首相官邸の自室で一人皇居に向かい号泣しながら、東條は天皇に詫びている。こうして東條内閣は、戦時下の戦争指導と計画に取り組む段階を迎えたのである。
外交で勝敗が決まる時代
番組では、日米開戦を回避する”臥薪嘗胆”論を、なぜ?東條が受け入れなかったのかが、大きなテーマになっていた。
勿論、旧日本陸軍がしでかした日中戦争を起点とした一連の植民地政策は暴挙に近いものがあった。がそれでも、(多めに見ればだが)多少は大日本帝国としての戦略なり、思惑があった様にも思える。
しかし、日米開戦は暴走と言う名の暴挙でしかなかった。
勿論、当時のアメリカに戦争を回避する意思も理由も殆どなかったのだから、”東條内閣だけに開戦の責任を押し付けるのは間違いだ”との声もある。
確かに、和平交渉を熱望してたのは日本側で、米国は適当にあしらっていたのも事実。その上、米国は、フライングタイガースなる偽装義勇軍を1938年夏に中国戦線に送っている。つまり、真珠湾以前に(中立法に反して)戦争の準備をしていた事になる。
しかしそれを言えば、東條だって前述したように、以前からソ連と英米を敵に回すという”2正面作戦”を計画していた。つまり、日米開戦はルーズベルトの意向と東條の野望が一致した結果でもある。
一方で、山本五十六と海軍トップが戦略的に愚かな真珠湾攻撃を行い”全てを打ち壊した”と言う声もあるが、東條はこの計画を事前に知らされており、天皇からは勝算を問われたとされる。
事実、マレー沖海戦も含め、これら海軍の奇襲攻撃が立て続けに成功を収めた時、東條は得意顔で”予想以上だった。ルーズベルトも失脚だね”と勝ち誇ってたという。
つまり、全ては東條のシナリオ通りに動いた訳である。だが、冒頭でも述べた様に、東條の戦時内閣もかつては薩長で樹立した暴力革命政府の劣化コピーに過ぎず、やがては崩壊するのも目に見えてた筈なのだが・・・
勿論外交次第では、日露戦争時の小村寿太郎の巧みな外交術にもある様に、”休戦という名の降伏”が勝利に繋がる事もあるだろうし、太平洋戦争の様に”臥薪嘗胆”と言う名の交渉が無条件降伏に繋がる事もあろう。
だからこそ、小村寿太郎みたいな巧みな交渉が出来る(身体は小さくとも)”知の巨人”が今の日本には必要なのである。
少なくとも、ヒトラーを研究し、彼を真似て軍隊を統率した東條みたいな無能で無策な人物は、国家を破壊に導くだけである。
最後に〜何度も言うが、バカが上に立つと・・
確かに、アメリカは自分の都合で戦争を進める悪い癖がある。これは後の朝鮮戦争の矛盾やベトナム戦争での敗北、2度の湾岸戦争での失態でも繰り返された。
日本政府がどんな気持ちで和平交渉に挑んだかをアメリカは無視した。自分の都合だけを押し付け、他人の迷惑は顧みずのアメリカ白人至上主義的な、いや大国主義的な致命的欠陥は未だに直ってはいない。
一方で、東條も所詮は、目の前の陸軍の猛反発に怯え、”開戦ありき”の態度で交渉に臨んだ。結局、何のプランも策もないまま、日米開戦に踏み込んだ。海軍の奇襲のお陰で出だしは絶好調に思えたが、様相が逆転し、追い詰められると自殺を図る。
しかし、神様は東條を殺さなかった。彼が戦犯として処刑されるのを見たかったのかもしれない。事実、自殺未遂に終わったが、”大東亜戦争は正しき戦いであった。国民と大東亜諸民族にはまさに気の毒である”と振り返っている。
が、まさに、こんなバカが上に立つと国民は気の毒である。
事実、戦史家のA・J・P・テイラーは、大戦時の戦争指導者を扱った記述の中で、ルーズベルト(米)、チャーチル(英)、ヒトラー(独)、ムッソリーニ(伊)、スターリン(ソ)をそれぞれの国の戦争指導者として挙げているが、東条英機を日本の戦争指導者としては認めてはいない。
これは、総理大臣・陸相・参謀総長を兼任し、大きな指導力を発揮できる筈の東條の権力が中途で曖昧だった事を示している。
最後には、国家の敗北よりも陸海軍の摩擦や衝突を回避しようとした東條だが、結局は国を治め、軍を指揮する力もなく、その素質も能力も備えてはいなかった。
”何としても勝つ”と、戦時会議では繰り返し強調したが、具体的なビジョンや指針を示す事はなく、失敗した時の代替案を提示する事もなかった。
つまり、政治家としても指揮官としても無能だった事が伺える。ただ人格だけは不思議と良かったとされる。
令和時代の日本で、これと全く同じ事が再現されようとしている。
小泉進次郎に比べたら、少しは東條の方がマシかもしれない。だが、バカが上に立つと国民は500%悲惨な事になる。
これだけは確実に言える。
というのが国民の殆どの声ですよね。
何故こんなボンボンが
総裁に立候補したのかも理解に苦しむけど
メディアも持ち上げ過ぎ
それに
菅も進次郎を推したことで終わったね。
世襲4世もここまで腐るのかって
誰もが思ってますよ。
以前、進次郎が環境大臣になった時、バカ呼ばわりしたら、反論の声もチラホラあったけど
今回は彼を擁護する声は殆ど聞こえない。
世襲4世ですが、多目に見て1世代毎に半分腐るとして、6.25%しか先祖の優秀な遺伝を受け継いでない事になります。
つまり、約94%はバカで無能で無知となる。父親の小泉純一郎も12.5%しか受け継いではいません。
それでも、首相になれる。
如何に、能力よりも権力(派閥)が幅を効かせる世界なんですよ。
つまり、ここで世襲族を潰さない限り、自民党の悪政は日本沈没まで永久に続きますね。
故に、進次郎を排除するだけでも日本の未来は大きく違ってくると思いたいです。
戦後のA級戦犯系世襲バカが
派閥を牛耳ってるから
こうした世襲4代バカが誕生する
世襲バカを駆除することで
日本の将来は明るくなる
権力は世襲にも依存するから
なお厄介である
純粋に能力や資質や知能で
政治家が判断される日は来るのでしょうか
台湾有事の議題でも”クールに行こう”とか言うんでしょうね。
でも今は人気も信用も急落中だから
最悪のケースになる事はないでしょうが。
戦後、世襲議員は”党内に2人まで”とか、法律で規制すべきでした。
一方で、世襲も権力も政治家の資質や能力ならば、今までもこれからも政治は腐敗し、我々は政治に代わる何かを模索する必要がありますね。
石破氏が自民党の総裁になった訳ですが
決選投票になれば、石破が勝つのは目に見えてましたね。
善戦と言えば
進次郎でした。
3世代世襲という威力をまざまざと見せつけられた気がしました。
無能で無学なボンボンがここまで議員票を集めるんですから
未だに日本では世襲というのは絶対的な権力なんですよ。
恐れ入りました。
そういう意味でも、石場氏の当選は古い慣習を取り払うカンフル剤になってほしいです。
余計な事はせんでいいから、”自民党も変わったな”っていう与党政権にしてほしいですね。
進次郎は組織票が殆どでしょうが
世襲や派閥の影響を強く受ける投票制度は考え直さなアカンですね。
でもこのバカが自民党の選挙対策委員長ですよ・・・