象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

挨拶って必要なのだろうか?〜挨拶を無視されても腹が立たない人間になる為に・・

2024年12月19日 06時15分37秒 | 独り言&愚痴

 ネタ的には少し古くなるが、元プロレスラーのジャガー横田が自身の動画チャンネルで、過去に息子(長男)が人気タレントの林修氏から挨拶を無視された”非礼”を暴露していたという。
 確かに、間近で頭下げて挨拶し、無視された上にガン視されたら、私だって腹が立つ。
 だが、家族一緒になって公の立場で実名を挙げ、悪口を公開するのは少しやりすぎか・・・事実、ネット上では彼女に対する批判の声も多い。

 そういう私も、過去に挨拶を無視された事は何度もあるが、あまり気にはならんかった。
 相手が私の事を知らなかったか?興味がなかったのかもしれないし、拙いタイミングで一方的に挨拶したのかもしれない。
 つまり、挨拶というのは”すればいいってもんじゃない”というのも勉強になる。
 というのも、私自身挨拶されるのが非常に迷惑に思える事がしばしある。故に、いつの間にか”挨拶が苦手な人”になってしまった。けれど、それはそれで仕事や日常に支障が出ないのも、これまた不思議な事ではあるが、挨拶って所詮は、そんなレベルのもんか?

 確かに、付き合いが上手な人は、挨拶が得意だし、挨拶される事も好むだろう。
 それは仕事だけではなく日常生活でも言える事だが、一方で私の様に、挨拶が苦手な人種も少なからず存在する。
 経験から言えばだが、挨拶が苦手な人は自ら進んで挨拶をしない方が誤解が少ない様にも思える。逆を言えば、挨拶が得意な人はどんな人に挨拶しても、100%近い確率で挨拶が返ってくる。
 つまり、挨拶とは相手との間合いを測る手段とも言える。言い換えれば、挨拶の跳ね返り方で相手との距離感が判る。


無視されても気にしない人

 「機嫌のデザイン」の著者・秋田道夫氏は”機嫌がいい人は挨拶を無視されても気にしない”と語る。まさに名言である。
 秋田氏は、機嫌よくあろうと心がけるのは自分を”景色”として考え、”綺麗な景色”でありたいと願うからだと説く。つまり、自身の機嫌は周りから見た景色の一部であり、世界が美しくあってほしいのなら、その景色の1部である自分の機嫌を整える。故に、機嫌に拘るのはそんな理由からだという。

 まず、機嫌をよく保つという事は”期待をしない”事に相通じる。
 例えば、初対面の人に対する挨拶は相手との適切な間合い(距離)を測る手段となる。こちらから”おはようございます”と挨拶をし、気持ちよい挨拶が返ってくるのか?全く無言で何も返ってこないのか?
 この違いにより、どの位の距離を保つべきか?の目安が掴める。すると、余計な摩擦を産まなくなる。
 因みに、イルカやコウモリは超音波を出し、仲間との距離を測るとされるが、超音波を自分から出して、相手から返ってこなかったとしても、それで摩擦を生む訳でもない。

 勿論、心地よい挨拶が返ってきた人と交流が生まれる可能性は高くなるが、それに拘る必要もない。つまり、”景色としての自分”を保つ気持ちでいれば、自然と気分的にゆとりが生まれる。
 結局は、何事につけ”期待するな”って事であり、世間にも家族にも友人にも更には自分にも・・である。

 確かに、自身の機嫌が良ければ、周りの景色は自然と美しく感じられる。その為には自分や周りに期待しない事が必要だが、そこは人間である。機嫌や感性や人間関係をどう上手くデザインしようが、上手く行かない時の方が圧倒的に多い。
 数学と人生には答えがない様に、機嫌をコントロールする万能のツールなんてある筈もない。だが、秋田氏の言葉からは、成功したデザイナーらしい感性らしきものが伝わってくる。
 結局は、挨拶ってのは見知らぬ相手との距離を探る為の手段に過ぎず、自分を機嫌よくする為のツールかもしれない。


最後に

 一方で、日本人はあまりにも礼儀や作法に拘り過ぎではないか?
 仕事上だけならともかく、日常も含め、様々な場面で挨拶を含めた礼儀作法は異常なまでに重要視される。まるで、挨拶をしない奴は無礼者だとかならず者だとか・・・
 アメリカや英国がユーモアの国なら、日本は挨拶の国である。
 言い換えれば、挨拶さえしてれば、無学でも無能でも仕事が出来なくても、上手く生きていける。逆に、幾ら有能でも挨拶が出来ない人はクビになる。
 日本で成功してる人の大半は挨拶が出来る人だ。上述の秋田氏もその1人であろう。勿論、恵まれた環境もよく出来た運もあろうが、誰にでも機嫌よく接する事も成功する秘訣ではある。

 一方で、欧米では礼儀や作法よりもユーモアを重視する傾向にあるが、挨拶よりも洒落の一言でも発した方が相手のウケはいい。つまり、ユーモアは相手の知能を計る即興の簡易ツールなのかもしれない。
 確かに、クソ真面目な挨拶だけで満足する日本人と、笑えないユーモアで相手の心の闇を探ろうとする欧米人とは、どれ程の知能の距たりがあるのだろうか?
 そう思えば、挨拶を大切にする日本人は、やはり平和ボンボンに出来てる民族なのだろう。



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