ハルク・ホーガンとロード・ウォーリアーズは対戦した事がないと思っていた。だが、アメリカでは一度も実現していない黄金カードが、何と1991年の日本で組まれていた。
偶々、ニコ動画で見つけたのだが、今に見ても凄いバトルである。この世紀の壮絶バトルは後で述べる事にして、今回は、昭和末期のプロレスが空前絶後のブレイクを放ったロード・ウォーリアーズの話題からである。
私の様な昭和のプロレスファンが強く願ったのは、ホーガンやブロディとウォーリアーズの対決であり、ぜひとも見たかったビッグマッチだったが、ホーガンvsブロディもブロディが絡んだウォーリアーズとの対決も結局は実現する事はなかった。
それに不思議なのが、ハンセンは友人でもあるホーガンやライバルのウォーリアーズとも戦ったが、ストイックで神経質なブロディはホーガンもウォーリアーズ(特にアニマル)をも避けていた様に思える。
勿論、”自分と組み手の合わない”相手をブロディが嫌ったというのもあるが、晩年のルーテーズやビルロビンソンをして”間違いなく世界最強”と言わしめたブロディの真の強さをホーガンやウォーリアーズ相手に発揮してほしかったというのが正直な気持ちである。
但し、ブロディには喧嘩やセメントの資質はあるが、レスラーとしてみれば、打撃それも蹴り技だけで寝技や関節技が殆どないから、長生きしてたとしても(プロモーターならともかく)レスラーとしては大成しなかったと思えなくもない。
それでも、日米を通じて”世界最強”とはっきりと言わしめたのは(私に言わせればだが)、150kgあった頃のブロディだけである。
ウォーリアーズとステロイドと心不全
そんなブロディに、一度だけウォーリアーズとの対戦が組まれた事がある。だがブロディはその対戦を辞退し、ハンセンは急遽ハリーレイスと組んで、当時AWA世界ダック王者のウォーリアーズと戦った。初来日した1985年の事だから、人気ではハンセンとブロディを凌ぐ勢いの頃だったろう。
しかし大方の予想通り、消化不良的な展開で、少なくとも昭和のプロレスファンの心を満たすものではなかった。”ブロディがいたら?”と思うファンも多かったろうが、その頃のブロディは既に壊れかけつつあったのだ。
勿論、相手を一方的に破壊し、殆ど技を受けないウォーリアーズの衝撃いや襲撃的なファイトスタイルもあろうが、お互いに技を受けあうのがレスラー同士の暗黙のルールであり、が故に”秒殺”なんて存在しない筈だが、それはそれでプロレスファンの心を満たしてくれるものではあったのだが・・・
興行を基本とするプロレスは一種の”ショー”である。が故に”所詮は八百長じゃないか”って声もしばし聞かれるが、プロレスファンは(興行の裏舞台は知らなくとも)勝負とショーを行き来しながら、プロレスを楽しむ術を持ち合わせてる。つまり、プロレスを味方にするか否かは、民主主義と同様に寛容と譲歩の精神が必要なのだろう。
そういう私も中学生の頃までは典型のプロレスファンだったから、そんな風にプロレスを見ていたし、その意味では昭和とはまだまだ豊かな時代だったのだ。
勿論、プロレスを純粋な興行としてみれば、色んな議論が湧き出てきそうだが、勝負もショーも興行も全ては”見た目”である。更に言えば、強さも巧さも見た目で決まる。
そんな意味では、ロード・ウォーリアーズは昭和の最後に生まれ出た、見た目を強く意識した世界最強のタッグとも言える。ステロイドでガチガチに固めた筋肉とモヒカンと逆モヒカンの奇抜な髪型に加え、顔に塗られた対称的なペインティングは、それまでのプロレスの常識を覆すものだった。
更に、ウォーリアーズが登場した80年代後半は、アメリカプロレス界は再編期にあり、大きな激変の流れを受けてた事もウォーリアーズには追い風となった。
個人的には(技という技もなく)単調な力任せのプロレスは好きではない。ただ、(ステロイドとは言え)ホークの筋肉美は称賛されるべきであり、アニマルのリフトアップは見てて、ある種の美しさを感じる。
だが、昨今のレスラーは見た目の肉体美を重視する為に、大半がステロイドを常用し、心不全で急死するケースが多い。
事実、ホークは46歳で、アニマルは60歳で心不全により他界した。レスラーの絶頂期とされる40代半ばでホークが死んだのは驚きだったが、それ以上に晩年のアニマルの肉体の衰えには、流石に落胆を隠せなかった。
つまり、日米を圧巻したロード・ウォーリアーズといえど、ステロイドによって人工的に作り出されただけの”悲しい怪物”と言えなくもない。
ホーガンvsウォーリアーズ、夢の対決
ハンセン・ブロディとロード・ウォーリアーズを見たいという願望は、日本に人気絶頂のウォーリアーズが来日する際に、ギャラの問題でブロディが全日本を離れ、新日本に移った頃から、ブロディの言動が怪しいものとなった事により白紙に戻ってしまう。
一方で、ホーガンが天龍と組んで、ウォーリアーズと対峙した事実はとても興味深く新鮮に思えた。というのも1991年と言えば、ウォーリアーズが新日本プロレスに初参戦し、一方でホーガンはWWFのシングル王座に君臨し、スーパースターへの地盤を着実に固めつつあった頃だったからだ。
WWFの人気を2分するホーガンとウォーリアーズの夢の対決は、流石のホーガンも気合が入りすぎていた様に思えた。
”これがプロレスだ。ドーム最高記録6万4618人が震えた”との日刊スポーツの見出しはダテではなかった。昭和から平成になったばかりの頃だが、当時の解像度の低い映像を見ても、昭和のプロレスの香りはプンプンと臭ってくる。
試合開始早々から、ホーガンとホークが血相を変えてやり合う。一方、沈着冷製な天龍だがアニマルにほぼ一方的にヤラれる。早速、場外ではホーガンとホーク共に流血し、血生臭いドロドロの展開にファンは酔いしれている。
アニマルとホーガンの対峙も迫力満点だった。アニマルがホーガンをリフトアップすると場内は最高潮に湧く(下図)。負けじとホーガンも必殺のアックスボンバーでやり返すが、アニマルもカウンターの逆アックスボンバーで返し、両者ノックダウン。
これぞ、まさに”夢の対決”。昭和のプロレスファンが恋い焦がれたビッグバウトが、雑な映像とは言え、目の前で繰り広げられていく。
空前絶後の壮絶なラフファイトに、ホーガンは我を忘れ、興奮の真っ最中にあった。一方で、ウォーリアーズの特にアニマルに至っては終始冷静に戦ってる様に見えた。
事実、ホーガンは力み過ぎなせいか、天龍だけが孤立し、試合を支配しきれないでいた。その天龍がアニマルに肩車され、ホークにラリアットを食うも、何とか跳ねのけ場外に逃れる。
リング外で伸びたままの天龍をよそ目に、ウォーリアーズは待ち構える興奮したホーガンを場外で釘付けにし、隙きを見てカウントアウト寸前、リング内へと滑り込む。
結局、勝敗を分けたのはチームの連携に徹したウォリアーズに対し、いつもの余裕がなせるパフォーマンスを忘れていたホーガンの暴走気味のファイトにある。事実、連携という点では(急設のホーガン組よりも)ウォーリアーズの方が1枚も2枚も上手だった。
僅か14分のリアルな激闘だったが、最後はウォーリアーズに疲れが見えていたし、もう少しホーガンが冷静に戦ってたら、後半に行く程に失速しつつあったウォーリアーズを天龍が仕留める事も不可能じゃなかった筈だ。
”充実感はあったけど、満足という感じじゃない”との、試合後の天龍のコメントは正直な気持ちだったろう。
最後に〜プロレスの惑星
ともあれ、たまたま見たニコ動画で、昭和最後の”世界のプロレス”の真髄を見れたのは非常に幸運であった。
まさに、昭和のプロレスファンからすれば”たかがプロレスされど・・”なのだ。
悲しいかな”夢の対決”となったが、ブロディとウォーリアーズ、ブロディとホーガンの戦いが実現していれば、(先述した様に)150kgの体重があった頃ならば、ステロイドで固めた筋肉の鎧を身につけたウォーリアーズやホーガンですらも、(薬物に一切頼らない)超ストイックなブロディの超人的な破壊力には、対抗できなかったのではないか。
但し、当のブロディは”膝に負担が掛かりすぎる”と減量を決意したらしいが、それでも135kgの巨体が大股で脚を振り上げ、ランニングする姿は圧巻で、やはり彼は超人であった。
でも、昭和のプロレスファンからすれば、ブロディとハンセンの超獣コンビを除き、ロード・ウォーリアーズの超破壊タッグも”超人ハルク”の名で全ての世代から愛されたホーガンも、プロモーターが画策してメディアが加担した、リング上の”見世物”に思えてしまう。
私が子供の頃に憧れたジン・キニスキーやビル・ロビンソンら昭和を代表するレスラーと比べると、見劣りこそしないが、ある種の不足を感じないでもない。
確かに、昭和世代を沸かせたレスラーたちは、引き出しの多い多彩な技と熟練されたファイトスタイルで、我ら大衆を魅了した。
多分それは、メディアという見せかけだけの薄っぺらな媒体に抗う、彼らの自負と誇りにあったのだろうか。
ともあれ、ホーガン、ロードウォーリアーズと、現代のプロレスを支え続けてきた彼らは、TVだけでなくエンタメやメディアをも支配し、時代の先頭を突っ走ってきた。
ステロイドで作られた肉体とは言え、彼らの存在は絶対でかつ不滅であり、これらかも語り継がれるであろう。
つまり、プロレスとはそんな彼らとそれを支え続けるファンらが作り上げた文明でもあり、言い換えれば、地球は”プロレスが支配した惑星”とも言える。
今更だが、”昭和のプロレス”に乾杯である。
昭和のプロレスに乾杯。
同感です。
人智を超えた怪物揃いの外人勢には、
恐れおののいたものです。
中でもブロディは確かに強かった。
しかし、文中で貴兄が書いているように、
彼は神経質だったようですね。
レスラー同士の協力・信頼で成立するプロレスで、レスラー兼ブッカーに刺殺されるのは、やはり性格に問題あり?
今となっては真実は闇の中ですが、
そんな風にも思います。
日本での入場シーンでピンクフロイドをバックに鎖を振り回していた雄姿が思い浮かびます。
では、また。
ブロディはフットボールでもスーパースターでした。
今で言う、超の付くリアル二刀流です。
親友のハンセンによれば、大学時代はとても怖い先輩だったとか・・
言われる通り、完全主義者な所もあり、プロモーターとはトラブルが絶えなかったらしいです。
知能も高く、ブッカーからすれば扱い難く疎い存在だったのかも・・
天才数学者が生前は中々認められない様に、傑出し過ぎた才能というのは、大衆にとっては理解を超えた存在なのでしょうか。
実に惜しい事だと思います。
コメントいつも有り難うです。