大学時代、イヤ〜な数学の教授が結構いた。
ある教授は、”人の嫌がる事を率先してやりなさい”と説教をタレた。
私は内心、”アホ臭”と思った。
今のプーチンじゃないが、人の嫌がる事をしても周りを敵に回し、自らを追い込むだけである。
数学バカも堕ち溢れると、こういう事を平気で言う様になる。このバカの頭がおかしくなってるのは、その目を見た時に理解できた。
こいつの目は人間の瞳ではなく、(ゴーンの様な)猛禽類の目つきである。笑ってはいるが、明らかに中身は狂ったままである。
「数学を読めない文系バカが日本をダメにする」(高橋洋一 著)の本のタイトルは、一目見ただけで大受けする。
確かに、科学的論理的思考力を欠く(官僚やメディアも含めた)多くの文系人材が時間と金の無駄である事は、事実ではある。
著者の高橋氏だが、与えられた複雑な条件下にても(数学者らしく)最適解を導き出す思考力を備え、また中央政府(小泉政権と第一次安倍政権)における”戦略立案と実務経験を持つ貴重な理系人材”と、表向きには評価されてはいる。
しかし、コロナ騒動を”さざ波”と発言したりと、彼のコロナ予測はことごとく外れてしまった。挙げ句は、財務省の矢野康治事務次官から”バラマキ合戦のような政策論”と批判された。
その一方で高橋氏は、”財務省のキャリアは基本的に東大法学部。(矢野の様な)一橋大出の事務次官は異例だ”と、苦し紛れの反論で対抗した。
悲しいかな、東大出のエリートもここまで腐ると手が付けられない。
事実高橋氏は、数学で有名になった学者ではなく、(悪名高き)竹中平蔵の補佐官として手腕を振るった人だ。
道路公団を潰し、郵便局を民営化させた官僚の一人でもある。それに(これまた悪名高き)大阪維新の会の顧問をやってた時期もある。
日本がここまで零落した責任は、安倍元首相も勿論だが、彼にもある。
道路公団を潰した事で、逆に地方財政が苦しくなり、豪雨で土石流が発生しやすい環境になった。郵便局民営化のお陰で、340兆円もの潤沢な資金が国内ではなく、海外に逃げてゆく構造を作った。
数学でもそうだが、(答えが出たら)その答えが正しいのか吟味する必要がある。実は、この作業がとても大変なんだが、この数学バカは肝心な作業を怠ったようだ。
数学バカと専門バカが日本をダメにする
つまり、”数学が読めない文系バカが日本をダメにした”のではなく、プリンストン大学で欧米の世界観に浮かれきった(当時の)官僚らが、日本の本質を理解せずに政治改革を行なった結果、日本社会が機能しなくなったのだ。
数学は、今ある世界を(いや数年後の将来を)分析するに、大きな威力を発揮する。
しかし10年先や20年先の遠い未来を予測するには限界がある。つまり、文学や哲学で訓練された優雅で柔軟な感性や、それに想像力や斬新なヴィジョンも同時に必要なのだ。
未来は不確定要素が多すぎる。故に、直観や想像力で補うしかない。しかし、ガチの数学バカの高橋氏には、文系の柔らかな閃きがなかったと言える。
結局、どんな天才も道を踏み外すと狂人になり、老人になるとボケてしまう。特に専門バカは急速に脳みそが劣化する。そういう私も歳をとる毎に、天才やエリートを無能呼ばわりする様になる。
(無機質な)専門用語で散りばめられた、この本の内容を理解できるのは約20%程で、それを基に議論ができるのは約5%程。残りの大多数は、眺めるだけで解った様な幻覚に陥り、”イイね”をポチるのがやっとだろう。
言葉や音や感情で訴えないと、会話は成立しない。殆どの人間の脳の構造はそうなっている。ワイドショーのコメンターが、思慮深そうなバカ面で大声で捲し立てるのもその為だ(多分)。
巻末にはアドバイスや教訓が書かれてるが、頭で考え自身の行動を変えられるのは上記の5%、他の95%は理屈でなく情けで動く。
この5%の人は、教訓が無くてもロジックで動ける。残りは、難しい能弁を垂れられても行動には反映しない。結局、ロジカルな能弁は意味がなく必要ですらない。
確かに本のタイトルには笑えるが、現実にはそのタイトルと逆の事が露呈してるという矛盾にも、大きく笑えた。
つまり、数学の抽象性や多様性や難解さを会話をする様に伝えなければ、数学は世の為・人の為にはなりえない。
数学はウイルスと同じで単体では生き延びれない。
宿主がいなければ生き延びる事は不可能だ。数学の毒性はとても強いが、感染力はとても弱い。キチガイや変態呼ばわりされれば、それで終わりである。
故に、数学バカが文系バカを見下してる間は、数学者が自滅するのは時間の問題でもある。
トップレビューにもある様に、数学バカこそ文系のヴィジョンと想像と哲学が必要なのである。(ワイドショーの様に)大衆を説得させ、唸らせる巧みな話術もこれからの数学者には必要なのだ。
以上、レビューを参考に主観を混ぜて軽く纏めました。
数学と多様性(ダイバーシティ)
ここ数年で、すっかり定着した”多様性”(ダイバーシティ)という言葉。
狭義の意味で”女性活用”として利用される事も多いが、性別・国籍・年齢などの多様化で、本当に組織の力は高まるのだろうか?
「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」(入山章栄 著)にも、”性別・国籍・年齢など、その人の<目に見える属性>についての多様性は、組織パフォーマンスには影響を及ぼさない”との分析が記されている。
むしろ、”マイナスの効果をもたらすこともあり得る”という興味深い研究成果もある。
そこで今日は(今更感だが)、”多様性”を数学の視点から眺めてみたい。
以下、「32×32=?算数の問題から多様性のあり方を考える」から一部抜粋です。2016年と古い記事ですが、意外にも興味を覚えました。
”32×32”という掛け算を、どの様なプロセスで解答するだろうか?
娘と妻と私で、ヨーイドンで取り組んだ計算だったが、1024という解答を導き出した順序は、娘→私→妻の順であった。
即答に近かった娘は、”知っていた”という。妻は、自分とは違う方法で解答を導き出した。たった3人の家族、三者三様全く異なるプロセスで問題の解答を導き出していた。
一番遅かった妻(文系出身)の解答はそのまま計算しただけで、算数が苦手な人でも(紙と鉛筆さえあれば)10秒程度で答えを導き出せるだろう。
最も早かった娘(小学5年)の解答だが、32×32=1024を既に知ってたので、約1秒で即答。これは思考力の差でなく、(前提にある)知識(暗記)の差だ。
今の日本の受験制度が、思考力ではなく単に(浅薄な知識である)暗記力を競ってる愚かな現実が理解できますね。
2番目に早かった私(理系出身)の解答は、高校の数学で鍛えられた事もあり、自然と(a+b)²=a²+2ab+b²の公式が頭に浮かんだ。32×32=(30+2)²=900+120+4=1024と、約10秒弱でギリギリ2着に滑り込む。何とか、父と夫としての威厳をキープ。
その他の解答プロセスでは、32=2⁵とできるから32×32=2⁵×2⁵=2¹⁰=1024となる。視点を変えれば知識として変換され、即答に近いスピードで答えに辿り着く。
こんな些細な出来事でも、改めて”多様性とは何か?”という問題を考えるきっかけになった。
本来、多様性を推進する目的とは、変化の激しいビジネス環境にて、多様なものの見方や価値観や能力を効果的に組み合わせ、組織の活性化や継続的な企業価値の向上を図る事である。故に、単純な“目に見える属性の多様化”が目的ではない。
先の書籍にも、”(実際の業務に必要な)能力・経験の多様性が重要であり、組織メンバーの各々が持つ、教育バックグラウンドや職歴・経験の多様化が、組織にプラスの効果をもたらす”とある。
同じ問題に直面しても、その捉え方や解釈や解を導き出すプロセスは”違う”という事こそが多様性の効果であり、むしろその違いから何を学び合い、組織としてどの様な価値を見出すのか、が問われている。
今の我が組織には、問題の捉え方や解釈、解を導き出すプロセスに“意味のある違い”(多様性)を作り出す事ができてるのだろうか?
そして何より、組織で起こる様々な出来事は数式の様に単純ではない。現実世界には環境の変化があり、人の感情があり、簡単に予測できない事ばかりだ。
例え属性が近い集団であっても、導き出される答えにもバラツキがあり、真逆になる事すらあるが、これを”多様性の高い組織”と言うには流石に無理がある。
そして今我々は、”多様性のあり方”を考える分岐点に来ている。
以上、READCREATEからでした。
最後に〜目に見えない多様性
見た目の多様性ではなく、思考や経験の多様性に注目した点はとても興味深い。
性別・国籍・年齢などの”目に見える多様化”は、メディアでも大げさに取り上げられてきた。
しかし今、我々が注目しなければいけないのは、”目に見えない多様性”である。
(外見や性格も含め)経歴や経験も所詮は見に見えるものだ。一方で、思考や価値観や感情や倫理観、それにヴィジョンや想像力や感性は、目に見えるものではないし、評価の基準や物差しすらない。
仮にそれらを理解できたとして、多様性に結びつけ、どう組織に活かすのか?
我ら庶民は人柄を見た目で判断し、学歴で知力を判別する。それ以外にも”この人はいい人だ、いや悪い人だ”という単純な二項規準で判定する。
コロナ渦を”さざ波”と予言した高橋洋一氏によれば、”東大以外はバカ”に見えるのだろう。コロナウイルスですら、教育を受けてない毒性の低い雑菌に思えた事だろう。
しかし、ウイルスの多様性を無視した結果、世界は何度もパンデミックに陥った。
日本では最高学府とされる東大も、世界での評価は低い。これも多様性を理解しなかった(いや、理解しようとしなかった)結果であろうか。
数学の世界でも、次数が高く解の多い方程式ほど難解である。5次以上の方程式に”一般解が存在しない”ように、環境の多様性に適応して生き延びた生物も、その正体を暴くのは難解である。
今の日本の受験制度は、思考力や知力ではなく、暗記力のみをマークシートという幼稚な物差しで測る(統一された)稚弱なシステムである。
まるで、”知の多様性”を全く無視した自殺行為とも受け取れなくはない。
日本は元々、資源に乏しく貧しい島国である。国民一人一人の知力を無駄なく最大限に活かすには、思考や創造力の多様性は必須ではないだろうか。
「さざ波」発言も、日本と海外の感染者の推移をグラフ化して、「ほら日本はさざ波でしょう?」と語ったものですが、そのグラフはデータのひとつであり、すべての現実を反映したものではありません。
保健所や病院の数、対応する医療従事者の数などを考えれば、現実は高橋氏の言う「さざ波」とは違ったものになるはずです。
そして高橋氏の場合、これを政治利用するから厄介になるんですよね。
実際、彼は「さざ波」データを提示して、「菅内閣はよくやっている」という結論を導き出しましたから。
文系思考に関しては、たとえば文系は「物事にはプラスとマイナスがある」「何かを得れば何かを失う」と考えます。
でも竹中氏らの場合は、自分のおこなった構造改革でどんなマイナスが生じ、何を失ったかということを見ようとしないんですよね。
日本の医者が先進国と比べ質が落ちるのは、数理系に弱いからとされます。
暗記型受験から思考型受験制度に変えないとこの悲劇は延々と続く(多分)。
コロナ渦による医療圧迫も(政治家は勿論)日本の医者たちが如何に数学に弱いかを露呈した結果なんでしょうか。
それも1つのモデルではなく複数のモデルを組み合わせ、多様化の中でシュミレートします。
でも高橋氏は1方向のみのモデルで考察したが為に、最初が外れると全てが外れました(笑)。最初に反省すればよかったものを”コロナは大した事ない”という多くの愚民の支持もあり、そのまま天狗になってしまう。
竹中は論外ですよね。
言われる通り、プラスとマイナスの本質すら理解できてない。
数学には文学系の多様性と柔軟性が必要なんですよね。
コメントとても参考になります。
東大卒で脳科学者の茂木健一郎や中野信子なんか見てると典型の暗記型。
それに比べたらチェゲバラなんて医者であり革命家でありながら、古典文学と数学の両方に長けていた。
思考深かったけど放浪グセがあり、寿命を縮めた感もあるけど、世界は惜しい人を早くに失ったと思う。
2人とも思考を停止した様な脳の専門家ですが、こんなのが東大卒の博士とは??
でもこれが日本の最高学府の現実かもしれませんね。
チェ・ゲバラに関しては、後々ブログにするつもりです(多分)。