実に、約4年6ヶ月ぶりのIUT(宇宙際タイヒミュラー)理論のお話ですが、「後半」ではABC予想とその帰結であるIUT理論の流れについて説明しました。
説明する程に袋小路に陥る訳ですが、”異次元の未来(宇宙)からやってきた”変換理論と割り切れば、そのIUT理論の景色が見えそうな気配がする。
望月教授は、ABC予想という数論を”フロベニオイド”幾何学上で考え、集合論(群論)に置き換え、代数学と融合させた。
この代数構造が付加された集合は”群”と呼ばれ、群が幾何学的制約から自由になると、新たな”対称性”が得られる。
つまり、この対称性をフロベニオイドで変換する訳だが、以下で述べる異なる数学間での対称性通信(タイヒミュラー変換)について、大まかに説明する事にします。
序章
エレンバーグ博士は(望月博士の論文を見て)”まるで未来からやってきた論文”と言い放った。
”強いABC予想(と呼ばれる)ものが正しいと証明出来ればだが、(超難関とされ1995年に証明された)フェルマーの最終定理が僅か10行程度で証明できる”という噂は、数学者以外でも大きな話題にもなった。
因みに、”強いABC予想”という呼び方には懐疑的な見方もある。
確かに、望月教授の論文は大いに話題になったが、すぐに”IUTショック”と呼ぶ状況に陥り、何と数学者たちがIUT理論の理解を諦め始めたのだ。
”IUT理論とは、新奇な抽象概念が恐ろしく複雑に絡まり合っている理論装置で、その中身はあまりに複雑で、それをチェックするのは人間業では到底困難である”(「宇宙と宇宙をつなぐ数学」より)
事実、望月博士が(2012年にHPにアップした)論文は500頁以上にもなる。しかも、望月氏が過去に発表した論文が土台とされ、更に彼の先行論文を読んで理解する必要があり、結局、IUT理論を理解するには、1000頁以上もの論文を読む必要があるという。
その上でIUT理論には、新たな概念が多く含まれ、簡単に読み進められる代物ではない。”別の惑星の言語で書かれた論文”と揶揄されても当然ではある。
IUT理論は(2012年以来)8年の査読期間を経て、京都大学が編集するPRIMSに掲載された。が、望月教授自身がPRIMSの編集委員長だった事から、査読への疑問を表明する声もある。
特別審査委員会は”利益相反を避ける為に望月氏を委員会から完全に排除していた”と説明してるが、まだまだ論争は続いている。
「宇宙と宇宙をつなぐ数学」の著者の加藤氏は、”ABC予想はIUT理論に比べたら些末な問題”と考えている。
つまり、”ABC予想を証明する為の道具としてのIUT理論”という低い捉え方ではなく、”数学の概念を一変させる(かもしれない)理論”としてIUT理論を認識している。
その加藤氏も”もしかしたら‹巨大な遠回り›かもしれないし、本当は不必要な事だったとなるかもしれません。しかし、従来の数学にはなかった新しい道筋を示すだけでも、IUT理論の人類的な意義があると思う”と語る。
確かに、IUT理論という壮大な数学世界の力を使わずしても、ABC予想は証明されるかもしれない。しかし、IUT理論はABC予想とは関係なく、数学の概念を一変させるかもしれないのだ。仮にどれだけ遠回りしたとしても、ABC予想の解決の糸口が示されたとすれば、それだけでも大きな価値はあるだろう。
複数の数学世界と宇宙人の数学?
IUT理論の最も斬新な点は、”複数の数学世界について考える”という所にある。
例えば、有名な「ゲーデルの不完全性定理」では、”ある数学の体系の中には、その体系においては証明できない命題が必ず存在する”事が示された。
これをわかり易く言えば、温度という概念が存在しない世界では”氷が溶ける”との現象は説明(証明)は出来ないとなる。しかし、温度という概念が存在する世界では、”氷が溶ける”という現象は当り前(公理)である。つまり、これと同じ事が数学の世界でも起こりうるのだ。
ここで”公理”とは、”証明無しで正しい”とされる主張の事で、当たり前すぎて”証明する必要がない”主張の事を数学の世界では(大げさに)”公理”と呼ぶ。もっと柔らかく言えば、”決まり事なんだから、なぜって考えるな”っていう決め事である。数学が苦手な人は、まずはこの公理で躓くだろう(多分)。
一方で”命題”とは、”その真偽が論理的に明確に証明できる”もので、故に公理も命題の一つで、”証明する必要のない命題”とも言える。
現代数学は、古代ギリシャから連綿と受け継がれてきたもので、多くが固定されている。もし宇宙人が存在するとして、彼らが採用する数学が我々の数学とは全く別である可能性は大いにある。
つまり、ゲーデルが言う”その体系において証明できない命題”は、別の(宇宙人が使う)数学では証明できる可能性がある事になる。故に、タイヒミュラー理論に”宇宙”という冠が付くのも理解できなくはない。
これこそが”複数の数学世界”の意味であり、私たち地球人が使う数学の世界(体系)は1つだが、数学というのは”公理”をどう定めるかによって様々な数学の可能性が存在する。そしてそんな”異なる数学世界を同時に考えよう”というのが「IUT理論」の提案であり、核心部なのだ。
数学者は、我々の数学の体系で何ができるのかを常に考えるが、望月博士は(我々の数学体系だけでなく)”様々な数学の世界について同時に考えよう”と主張する。故に、どう考えても常識を逸してると考えるのが普通だろう。
異なる数学間でのタイヒミュラー変換
しかしなぜ、そんな大逸れた事を考える必要があるのだろうか?
それは、「数学は宇宙を繋ぐ数学」でも説明されてる様に、数学を困難なものにしてる”足し算を掛け算から分離する”為である。が、その前に、タイヒミュラー理論とIUT(宇宙際タイヒミュラー)理論の違いを説明する。
望月博士は、従来のタイヒミュラー理論を異なる数学の世界間に適応する様に拡張した。
つまり、”宇宙際とは宇宙と宇宙の関係”を指す。そして、1つの数学世界を宇宙に喩え、その繋がり(タイヒミュラー)を考えた。
タイヒミュラー理論の核はタイヒミュラー変換にあり、この変換は”正則構造を破壊する様な変形”を指す。この正則(Regular)構造をわかり易く言えば、”2つの要素が互いに影響しあう”もので、正則構造を破壊するとは、”2つの要素の一方を固定し、もう一方だけを変形させる”事である。
正方形の例で言えば、”縦の長さを変えるなら横の長さも変える”レギュラーな状態を正則構造と呼ぶ。つまり、”正方形の正則構造を破壊する”とは、縦の長さを固定し、横の長さだけを変形させた上で、正方形としての形を保つ”と表現できる。当前だが、そんな事は普通はできない。
しかし、この”普通はできない”事をやろうとするのが”タイヒミュラー変換”となる。
つまり、これと同じ事を足し算と掛け算についても考える。具体的には、足し算を固定し、掛け算だけを"伸び縮み"させるのだ。が、当然これは1つの数学体系では実現出来ず、”複数の数学”、つまりもう一つの数学(宇宙)が必要となる。
だが、これには複数の数学間での情報共有が必要であり、これを対称性(群)を用いた通信で対処する。故に、IUT理論の本質は、異なる舞台の間を自由に行き来出来る”群(対称性)”を用いた対称性通信で”複数の数学”の壁を越える事にある。従って、数学における対称性通信である群こそが”複数の数学を自在に行き来出来る”と言えるのだ。
もっと詳しく言えば、2つの宇宙間における考察対象(モノ)の関連付けを、考察対象が有する”対称性の群”を通信する事で行う。
つまり、足し算と掛け算がもつ正則構造を一旦は分解し、足し算を固定して掛け算だけを伸び縮み(タイヒミュラー変形)させ、それをテータリンクという手法で、相手方の宇宙に伝達し復元させる。
復元の手段としては、”遠アーベル幾何学”を使い、群の言葉に翻訳された対象を復元する際に生じる不定性(ひずみ)を不等式を導く事で定量的に計測・評価する。
因みに”遠アーベル幾何学”とは、代数多様体と呼ぶ多変数多項式からなる連立方程式の解集合として定義される図形V上の(基本群の代数幾何学版である)代数的基本群Gに関連する幾何学的対象を記述し、多様体Vをどの様に他の幾何学的対象へ写像する事が出来るかを決定するものである。但し”遠”とは、Gがアーベル群から”遠い”(an)場合の事で、否定の意味が強い。
望月氏は、これを単(mono)遠アーベル幾何学として導入&発展させ、数体(または他の幾つかの体)に渡る特定の双曲的曲線において、その代数的基本群からその曲線を復元するものとした。簡単に言えば、(絶対)ガロア群による数体の復元となる。
単遠アーベル的復元では、一連の手続きの存在を証明する事が目的ではなく、その手続きを与える事が目的とされ、その論文は主張だけで約3頁が費やされ、証明が僅かに2行で終わるという、従来の数学にはない構成となる。故に、”主張の中に証明の手続きを書くべき”との声がある(ウィキより抜粋)。
この複数の数学世界を、群という対称性通信によって関連付けるIUT理論に、”その射程と凄さを垣間見る”という高い評価も存在する。
因みに、”対称性の群”という専門的で抽象的な言葉を使ったが、その仕組みは単純だ。
例えば、果物の世界とお肉の世界を”群”という関連付け(対称性通信)で結び付けるとする。リンゴは牛肉、みかんは豚肉という風に群を通じて関連付け、全ての要素をリンク(1対1写像)させ、正則構造に出来そうだ。少なくとも、この2つの世界に対称性があればの話だが・・・
因みに、群と対称性に関しては、私も何度かブログにした「ガロア群」を参考にすれば少しは理解し易いかもしれない(多分)。
復元の問題
そこで、群による複数の数学世界同士の”対称性通信”とは具体的には何なのか?
再び、リンゴの例で説明する。例えば、リンゴという言葉を使わず、電話の相手にリンゴと答えさせるゲームを考える。
”丸くて赤い果物”などリンゴに関する性質又は属性(情報)を相手に伝える事を通信とする。仮に、サクランボという答えが返ってくるとすれば、”青森県が一番生産量が多い”と言えば、恐らくリンゴと返ってくるだろう。
要するに、物事の性質だけを伝え、その性質から情報を”復元”するのと同じである。
IUT理論も同じで、対称性とはモノの性質であり、この性質だけを伝え、別の数学世界で情報を復元しようという超絶(変換)理論と言える。
つまり、異なる数学の世界間での対称性通信とは以上の様な事だが、残るは復元の問題である。しかし、情報の復元は100%正確ではない。
例えば、前述の電話ゲームにて、相手に”ホーリー”(インドのヒンズー教の祭りの名前)と答えさせたい時、”インド”や”ヒンズー教”という言葉を使わずに説明しなければならないとする。そもそも相手が”ホーリー”を知らなかったらお手上げで、また知ってたとしても、それに関連する単語を使えないとすれば、”ホーリー”に辿り着けるかどうかは分からない。
この様に、物事の性質だけを伝え、情報を100%完全に復元する事は難しいと理解すべきだろう。
IUT理論で想定する”対称性通信”でも同じで、あるものの”対称性”を”通信”しても、100%正確に復元されるとは限らない。いや、通信の過程で必ず”ひずみ”が生まれ、正しく復元されない可能性がある。
望月教授は”通信の際の<ひずみ>を定式化できないか”と考え、その定式化の可能性を主張するのがIUT理論であり、その”ひずみ”を示す不等式が「宇宙と宇宙をつなぐ」にも載っている。そしてこの不等式こそが、「ABC予想」の証明の鍵を握るのではないか。
「宇宙と宇宙をつなぐ数学」では、この様にしてIUT理論が紹介されている。
以上、「宇宙と宇宙をつなぐ数学」と「ABC予想の証明の為に生まれたIUT理論・・」を参考に紹介しましたが、こうして色んなサイトを参考にすれば、IUT理論の近道が見えてきそうな幻想にも陥る。
しかし冒頭でも述べた様に、異なる宇宙間の考察対象の関連付けを、その考察が有する”対称性”(の群)を通信する事で行う。
具体的には、足し算と掛け算がもつ正則構造を一旦は分解し、足し算を固定して掛け算だけを伸び縮み(タイヒミュラー変形)させ、それをテータリンクという手法で相手方の宇宙に伝達して復元させる。
復元の手段としては、先述の遠アーベル幾何学を使い、群の言葉に翻訳された対象を復元する際に生じる不定性(ひずみ)を不等式を導く事で定量的に計測・評価する。
何だか解ったようで解かんない話だが、これだけでも知っておけば、望月教授の言わんとしてる事は、大方理解できるのだろうか。
ABC予想という数論を”フロベニオイド”幾何学上で考え、集合論に置き換え、更に代数学と融合させました。
この様な集合は群となり、幾何学的制約から解き放たれ、新たな”対称性”という自由を得ます。
更に、この対称性をフロベニオイドで変換する訳ですが、異なる数学の世界の間での対称性通信と呼ぶ宇宙際タイヒミュラー変換理論(IUT)という大きな飛躍が待ち構えています。
この、新規で奇抜な抽象概念が恐ろしく複雑に絡まり合ったIUT理論ですが、人間業ではまずは困難とされるが故に、物議を躱してますが
その困難さは、望月氏の単遠アーベル幾何学の理論に受け継がれてるように思います。
数論の問題を群と代数学の間で自由に行き来する訳ですが、当然誤差が出ます。
そこで、復元の手段として”遠アーベル幾何学”を使われ、その誤差を不等式を導入して代数的に計量し評価します。
つまり、遠アーベル幾何学とは望月氏が長年研究してきた強力な復元ツールでもあり、フロベニオイド変換と融合する事で、より超数学的な宇宙理論に発展したとも言えますね。
転んださんの記事の丸写したみたいで恐縮ですが、大まかにまとめるとこうなるのでしょうか。
とても上手く纏まってると思います。
望月氏のIUT理論が理解されにくいのは、単遠アーベル幾何学は理論の主張の手続きに重きが置かれ、その証明はかなり短略されますから、その全体像を理解するには混乱を招くみたいです。
その混乱がIUT理論にも内在する訳で、1つ1つ証明を入れながら進める事が理想だと思うのですが、奇抜で抽象過ぎる為に上手く説明できない所も存在するのでしょうか。
まさに、現代の超数学的な宇宙理論とも言えますね。
遠アーベル幾何学と単遠アーベル幾何学。
更に、フロベニオイド幾何学上での変換と遠アーベル幾何学上での復元。
こうした対となる理論を2つの宇宙(数学)の間で自由に行き来させる事で従来の数学の常識を超える。
でもここまで複雑化し抽象化すると、人類の知能では追いつく事は出来るのだろうか。
複雑性の科学って流行りましたよね。
何だかそれに似てると思うんです。
数学に自由度を与えすぎて、より複雑に抽象化し過ぎると、十分に説明できない数学の理論が幾つも出て来そうな気もします。
主張の証明よりも、主張の中の手続きを与える事が優先されるIUT理論において、こうした混乱は当り前の様に起きるのかもですね。
答えになってなくて、スミマセン。