”負の要因〜羽生結弦編”に僅か一日ですが、数多くのアクセス頂いて、どうも有難うです。でも、高橋大輔選手って、ツィーターでは凄い人気なんですな。もうビックリです。羽生選手よりもずっと人気者なんですね。
確かに、高橋大輔がいてこその、羽生結弦のオリンピック二連覇ですもんね。高橋選手のあの、グランプリファイナルの偉業が凄かったんです。あれで、高橋大輔が世界を凌駕した訳です。
厳密に言えば、”負の要因〜高橋大輔編”でも良かったんですが。羽生結弦で受けを狙ったつもりが、高橋大輔選手で受けたという皮肉。
そんな高橋選手も、小さな頃は身体も性格も弱く、痛い事や怖い事が嫌いだったと。で、心配した両親が色んなスポーツをやらせるも長続きせず、偶々家のすぐ近くにあったスケートリンクが運命の出会いとなるんです。ランボーも言ってましたな、”苦痛は無視できない”と。
”ダンサー”と賞讃される情感豊かな表現力と世界一のステップ。”空気と一体化”したとされる究極のスケーティング。荒川静香さんをして、”一緒に滑ってて自分が哀しくなる”と言わしめた。
この絶妙で繊細な、無限に続くかに思われるかの様な美こそが、バルザックが理想とした美に近いものだろうか。
それに、募金を続けながら、スケートに励んでたんですな。こういう所も、大いに日本人受けしますね。貧しさと弱さと逆境こそが、絶対的な力を生み出すんですよ。バルザックも言ってますね。弱く見える人程、芯は強いんですね。貧しさの中にこそ、強い魂は宿るんです。
因みに、私めは弱く見えて、実際に弱いんです。貧しく見えて、実際に貧乏なんです。全く笑えませんな。
でも、最後の最後まで、怪我やトラブルと闘い続けた、僅か165センチの小さい身体。そして弱い筈の心と肉体は、そういった障害と共に強くなっていったんですな。負の要因が渇きとなり強靭な精神を、度重なる怪我が強靭な魂を作り上げたんです。
もし、高橋大輔がメジャーでイチローみたいな立場にいたら、内安打に拘ったろうか。セコく小さい打撃スタイルに依存したであろうか。
彼は、黄金のステップだけでなく、世界を凌駕する為に、小さな身体を活かし、4回転ジャンプを目指した。繊細さや優雅さだけでなく、パワーをも追及した。
勿論、大怪我も繰り返した。でも、それは想定内の事で、焦りはなかった。スタイルを支配するには、スケーティングを制するには、パワーは不可欠なのだ。
イチローはパワーから目を背けたが、高橋はパワーを直視した。イチローはキャリアを重ねる毎に小さく纏まったが、大輔は傷を負う毎に大きく羽ばたいた。高橋大輔こそが真の天才か。
神は、イチローにマジシャンという道化者の役割を求めたし、高橋には厳格で気高い態度で応じた。
つまり、高橋大輔という人間は、安易な成功を掠め取る代りに闘いを、オーケストラのヘッドになるよりは、闘技場に飛び込んだのだ。『幻滅』から多少引用してます、悪しからずです。
イチローが数字に記録に結果そのものに逃げた、という気は毛頭ない。彼の偉大さとその実績は、世界中が十全に認めてる事だ。しかし、高橋は”それ以上”だと言いたいのだ。全くイチローには辛辣ですな。
そのイチローも高橋も、天才の中の天才だ。その天才も、心が病むと衰落すると言われてる。『幻滅』の主人公リュシアンも才気に溢れてたが、心が弱かった。家族や親友の必死の支援もあったが、彼の貧相な虚栄心が自らを破滅させた。ここでまたバルザックときますか(笑)。
高橋選手も一つ間違えば、リュシアンになってた。でも、彼は苦境に陥る度に、強く逞しく成長した。一方、リュシアンは挫折を味わう度に、陳腐な虚栄に走った。自分をより大きくキレイに見せようとした。一時は、それ故成り上がるが、愛人の死と共に彼の運命は、人生は終わった。
誰だって、自分を大きく強く見せたいという虚栄を持つ。高橋選手だって例外じゃなかった筈。でも、高橋は厳しい現実の中に、自分を見据えた。しかし、リュシアンは甘い幻想の中に自分を見たのだ。これって、出来そうで出来ないんですね。天才だと小さい頃からチヤホヤされた連中には、特にです。
高橋は世界に誇る”黄金のステップ”を、リュシアンはパリの貴婦人をも悩ます”誘惑のソネット”を持ってた。互いに、イケメンで才気溢れる好青年だ。
にも関わらず、一方はダビデス(幻滅)みたいに、度重なる苦悩に耐え、天賦の才能を見事に開花させ、世界を支配した。一方は、才能を開花させる事なく、陳腐な情愛と貧相な虚栄に溺れ、死を選択した。
高橋の”黄金のステップ”は、現実の中で華開き、リュシアンの”誘惑のソネット”は、幻想の中に埋もれてしまったのだ。
ブログでは、羽生選手をラスチニャクに例えたが、タビデスを高橋選手に例えると、全てがピタリと収まる。貧困に喘ぐダビデスが”知の巨人”であり続けた様に、高橋もスケート界の”小さくて大きな巨人”なのだ。
そして、羽生選手も、社交界を華やかに舞うラスチニャク同様に、スケート界を水鳥の様に優雅に舞い続ける存在に君臨した。
でも、この高橋大輔のスケーティングの偉大さに、神々しい荘厳を認め、世界はその前に膝まづいた。社会というのは、強い完全な人間に対し、あくまで厳格なのだ。不壊の金剛石には汚れがあってはならないのだ。
そういう意味では、高橋選手のバンクーバーでの銅メダルは、羽生選手の2つの金より、不壊の輝きを放ち続けるのかもしれない。
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