ストッキングは伝線してもらっては困るが、幸せは伝染してもらった方が都合がいいのだろうか?
そういう私は、周囲からの恩恵を被ってはいない様にも思える。勿論、周囲がバカで貧乏で不幸だという気はサラサラない。そこそこの金持ちもいるし、成功者もいるし、幸せな家庭もそれなりに存在する。
しかし、もし幸せや成功が伝染するならば、それは本当に都合のいい事だろうか?もし、周りにそんな人がいなかったら、一生不幸なままで人生を終えるのだろうか?
成功や幸せには、努力や才能は全く関係なく、周囲という環境のみが支配するとすれば、我らサピエンスは何を目標に生存戦略を立てればいいのだろうか?
富や権力に依存する事だけが成功の唯一の鍵だとしたら、これほど間抜けな理論もないように思えるのだが。
幸せとは、文字どおり伝染する。
約5000人を対象として行われた長期にわたる研究で、幸せな人びとはクラスターを形成し、幸福は人間関係のネットワークにおいて3次の隔たり(友人の友人の友人)まで広がる事がわかった。
故に、誰と時間を共にするかが、あなたのパフォーマンスと幸福度を決めると。
モチベーションを高める講演者のジム・ローンが言う様に、「最も長く一緒に過ごす5人」の平均があなたという人間だ。
これは偶然でもなければ、幸せな人は互いに惹かれ合うという自然な結果でもない。科学者たちは、”幸せな人に囲まれている人は本人も将来幸せになる可能性が高い”という結論を出した。そして、「幸福な人は生産性が31%も高い」によれば、幸せな人は成功する可能性が高い。
以下、「人生の9割は”周囲の人のレベル”で決まる」より一部抜粋です。
成長する為には?
これは、人間関係と幸せの間にポジティブ・フィードバックループ(一方が増えれば他方も増え、一方が減れば他方も減るという、同方向に影響が働く関係)が存在する事を意味する。
つまり、幸せな人はもっと多くのもっと良質な関係を結び、自身の幸せを他者へと広げ、他者をいっそう幸せにする。
”とても幸せな上位10%の人”と”平均的な人”と”不幸な人”たちを比べると、高い幸福度のチームは、そうでないグループより社交的で、恋愛やその他の人間関係にても他者と強く繋がっていた。
帰属できるコミュニティが存在する事は人を安心させ、原始的な脳が恐怖に対して示す反応を鎮める効果があると。
しかし、権力というコミュニティにのみ依存する秘境な”自称”勝ち組も幸福と言えるのだろうか?
但し、自分と同じ様に考え同じ様に行動すると、気の合う人とだけ時間を過ごすべきと言ってるのではない。
ライフコーチのJ・P・シアーズは”似た考え”の人とつきあうのは好きではないと言う。
それでは自分が成長できない。それよりも”似た志”の人、考え方は全然違うけれど自分を受け入れてくれる人とつきあう事を好む。
自分と同じ考えの人たちといるのは心地よい。同意してくれるので安心だし、異論を唱えられる事もない。
しかし、同意できない何かに直面する時にこそ成長の機会が訪れる。そんな時、抵抗したり、関係を断ったりするではなく、反対の立場から或いは異なる視点から相手やものごとを理解する事をJ・Pは勧める。
つまり、あなたに異議を唱え、意外な方法や不快な方法であなたを成長させてくれる人たちとの繋がりを求めようと。
あなたが属するコミュニティの人びとは、最高のあなたを引き出してくれる人なのか?自分たちのレベルにあなたを引きずり降ろそうとする人なのか?に注意しよう。
あなたの周りにいる人はあなたに限界を意識させる人だろうか?限界を超えるよう刺激してくれる人だろうか?
つまり、あなたの思考を揺さぶり、今と違う考え方をするよう迫ってくれる人たちを訪ね、その人たちと接する時間を増やそう。
以上、DIAMONDonlineからでした。
最後に〜真の成功哲学とは
基本的には、成功哲学系の本は好きにはなれない。それは、成功というものをどう定義するかによって、結果や要素が大きく違ってくるからだ。
お金を沢山稼ぐのが成功なら、金持ちを誘拐したり、銀行強盗でも働けばいい。権力が成功なら、無抵抗の大衆を大量虐殺し、恐怖で震え上がらせ、北朝鮮みたいな奇怪な国家の頂点に立てばいい。
勝つ事のみが成功なら、八百長でもなんでもすればいいし、そんな方法はゴマンと存在する。
しかし、リーマン予想を解決する事のみが成功だと定義すれば、人類史上1人も成功者がいないという事になる。
流石にこれは極論だし、ハードルの高すぎる成功哲学だが、成功というのは非常に曖昧なもんだろう。
幸せの幸せは幸せだという”3次の幸福論”は、私にはどうもマヌツバ臭く映る。
しかし、このコラムで唯一感心したのは、”自分とは違う考えの人と志を共有する”という事でした。
これは、皆が同じエベレスト登頂を志す登山家たちの例を考えるとわかり易い。
皆考えが同じグループと考えがバラバラなグループがあるとする。問題やアクシデントがなければ、前者の方が有利なのは明らかだろう。しかし、トラブルや不具合に遭遇した時、様々な考え方の共同体である後者が有利な事も明らかだろう。
どんなに幸せな人生も、様々な困難に遭遇する。勿論、近くに同じ様な幸せな友人達に囲まれてれば、困難のレベル如何では軽くクリアできる筈だ。
しかし、周りに誰もいないという孤立無援のケースを除き、周りが幸せの民で同じ考えばかりの人だったら?その困難が非常に次元の高いものであったとしたら?
つまりどんな境遇の人であろうと、様々な考え方を持つ人の集まりの方が、考えようによっては有利に働く事もある。
でも、”人生の9割は周囲のレベルで決まる”というのは、満更外れてはいない様な気もする。
女の場合は嫁ぎ先の家族によって幸福度がかなり左右されます。結婚は相手だけではないということです。幸福な家庭に嫁げば意地悪もありませんが、幸福でない家族のもとに嫁げば、そこから不幸がはじまります。不幸に巻き込まれるのです。
特に女性の場合、今とは異なり自由が殆どありませんでしたから。
それに田舎は血縁が全てですから、余計にその特徴は強くなる。不幸な血縁は不幸を弱者に撒き散らす事でしぶとく生き延びるんですかね。
最悪、”犬神家の一族”みたいになってもおかしくはない?
何だか湿っぽくなコメントになり、スミマセンです。
そして、それらも変異する
幸せなもの同士でくっつき合い
不幸で貧乏な奴は毛嫌いする
そんな非常な論理のような気がするけど
昔、非常のライセンスってドラマがあったけど
生まれた時が悪いのか♪
それとも俺が悪いのか♪
ってエンディングテーマを思い出す
でも幸せが変異した時
同じような論理が通用するんだろうか
それともやっぱり俺が悪いのか♪
不幸の中に生まれた俺が悪いんでしょうかね。悲しいですけど。
でも大半の大衆は、この”非常のライセンス”を地で行くような人生を送る訳ですよ。
でも不幸の中にも幸せを見出す事は出来る。そう思わないとやってられませんね。
答えになってませんが・・・