前回「その1」では、1/7の巡回節である142857について書きましたが、この様な不可思議な性質を持つダイヤル数が1/7以外にも存在するのだろうか?との疑問が湧く。
前回に見た様に、”1/pの循環節がダイヤル数になる為には、1÷pの余りの列にp未満の自然数が全て現れる”事が必要でした。
そこで、7より大きい素数pの逆数”1/p”を順に調べます。まず、p=11ですが、1/11=0.090909…と、循環節は09となり、割り算の余りには10と1しか現れないので、09はダイヤル数にはならない。事実、09×1=09,09×2=18となり、09は巡回しない。
次に、p=13では、1/13=0.76923076923…となり、循環節は076923となる。が、余りには10,9,12,3,4,1が現れ、2,5,6,7,8,11は現れない。故に、ダイヤル数にはならない。事実、076923×1=076923,076923×2=153846となり、076923は巡回しない。
更にp=17では、1/17=0.058823529117647058823529117647…となり、058823529117647が循環節となる。
因みに、1/17の商0,0,5,8,8,2,3,5,2,9,4,1,1,7,6,4,7,...に対応する余りは1,10,15,14,4,6,9,5,16,7,2,3,13,11,8,12,1,...となるので、この余りには1〜16までの数が全て現れる。故に、058823529117647はダイヤル数となる。
実際、058823529117647×1=0588235294117647
058823529117647×2=1176470588235294 058823529117647×3=1764705882352941
058823529117647×4=2352941176470588
058823529117647×5=2941176470588235となり、16桁の循環節058823529117647が順序を変えずに巡回する。
以上より、1/pの循環節がダイヤル数になるのは、1÷pの余りの列に1~p−1までの全ての数が現れる事が条件だったが、これは、”1/pの循環節がp−1桁の数になる”事である。因みに、循環節の桁数を循環節の”長さ”と呼ぶ。
つまり、”1/pの循環節がダイヤル数になる為の条件は循環節の長さがp−1となる”事となる。
1/pの循環節とダイヤル数
では、どんな素数pに対し、1/pの循環節がダイヤル数になるのだろうか?
実際に100以下の素数pにおいて、1/pの順関節の長さdを実際に計算すると、循環節の長さがp−1となる100以下の素数pは、7,17,19,23,47,59,61,97の9個となる。
但し、p=2,5はそれぞれ1/2=0.5,1/5=0.2となり、逆数は循環小数にはならないし、循環節の長さ自体が存在しない。故に、上の9個の素数pに対しては1/pの循環節がダイヤル数となる。
ただ、どんな素数pに対し、1/pの循環節がダイヤル数になるかとの疑問は謎のままである。従って、1つ1つ割り算して確かめるしかない。
では、ダイヤル数は無限に存在するのだろうか?との疑問が湧くが、この疑問も未だ未解決の難問とされる。因みに、エミール・アルティンは、逆数1/pの循環節の長さがp–1となる素数pが無限個存在し、故に循環節の長さも無限に大きなものが存在すると予想した。また、1/pとp–1の割合が0.37395・・・(アルティン定数)に収束するとも予想。
事実、100以下の素数は25個存在するので、0.36(=9/25)となり、ほぼアルティンの定数に近い値になる。
確かに、ダイヤル数は分数や循環小数という親しみある分野で、計算も四則演算で簡単に思える。以上の様に、循環節がダイヤル数になるカラクリは少し考えれば判る事だが、こうした循環節に関する問題に未解決の難題が存在するとは驚きでもある。
ただ、この驚きこそが数の真理を探求する原動力になり、数学の魅力を支えてるとも言える。
前回「その1」では、1/7の循環節142857を2等分して足すと、142+857=999と9が並ぶ事を紹介しましたが、この性質は142857を巡回させた数全てにおいても成立する。事実、285+714=428+571=571+428=714+285=857+142=999となりますね。
前回では、この理由を説明しませんでしたが、このカラクリも実は至極単純です。
つまり、142+857=999の計算では”繰り上げが起きず”1+8=4+5=2+7=9が成り立つからで、142857を巡回させた数の2等分の和は、1の位,10の位,100の位と位ごとに見れば、上の3つの足し算を並べ替えた事になる。
では、この2等分和で9が連続する現象はダイヤル数に固有のものだろうか?
そこで、142857の次のダイヤル数、つまり、1/17の循環数0588235294117647について調べてみる。
まず、2等分して足すと、05882352+94117647=99999999となり、確かに9が並ぶ。更に、1/17の循環数を巡回させた数ではどうだろう。
詳細は省くが、58823529+41176470=99999999
88235294+11764705=99999999
⋯⋯⋯⋯⋯
05882352+94117647=99999999と、16個全ての巡回数において見事に9が並ぶではないか。
但し、これも上記と同じ理由で、05882352+94117647=99999999の計算では”繰り上げが起きず、0+9=5+4=8+1=8+1=2+7=3+6=5+4=2+7=9が成り立つからだ。
因みに、ダイヤル数ではない、1/11の循環節09や1/13の循環節076923についてはどうだろう?
まず09では、2等分して足すと0+9=9となり、成立する。
次に076923では、076+923=999と9が並び、この場合も繰上げは起きず、0+9=7+2=6+3=9が成立する。故に、076923を巡回させた数についても、769+230=692+307=923+076=230+769=307+692=999と、9が並ぶ。
以上より、循環節を2等分して足すと9が並ぶ現象はダイヤル数には限らないようだ。
更に、循環節の長さが偶数であれば2等分出来るが、その和は常に9が並ぶのだろうか?
そこでp=13の次に循環節の長さが偶数でダイヤル数でないのはp=73であるが、1/73の循環節は01369863である。
結果から言えば、この場合も繰上げは起きず、9が並ぶ。つまり、1/pの循環節の長さが偶数であれば、その2等分の和は9が並ぶと言えそうだ。
余りの不思議と2等分の和
でも、何故この様な不思議が起きるのか?数学らしく、その理由を探ってみよう。
1÷7の商の列は、(0,)1,4,2,8,5,7で、余りの列は、(1,)3,2,6,4,5,1でしたが、ここで最初に現れる()内で示した商0と余り1を第0項とし、以下、1と3を第2項、4と2を第3項・・・とする。 すると、商の列で見れば、第1項+第4項=1+4、第2項+第5項=4+5、第3項+第6項=6+1と、全て9である事に対応する。
一方で、”余り”にはこうした対応性はないのだろうか?上と同様に余りの列で見れば、第1項+第4項=3+4、第2項+第5項=2+5、第3項+第6項=6+1と、全て7となる。
次に、1÷11で調べると、余りの列は、(1,)10,1となり、10+1=11が成立し、1÷13では余りの列は、(1,)10,9,12,3,4,1となり、10+3=9+4=12+1=13が成立する。
更に、1÷17でも余りの列は、(1,)10,15,14,4,6,9,5,16,7,2,3,13,11,8,12,1となり、10+7=15+2=14+3=4+13=6+11=9+8=5+12=16+1=17が成立する。
さて、これら余りの列と商の列の各々の関係式には、どんな関係があるのだろうか?
そこで、1÷7の商の列を0,q₁,q₂,q₃,q₄,q₅,q₆とおけば、1=7×0+1、10=7q₁+3、30=7q₂+2、20=7q₃+6、60=7q₄+4、40=7q₅+5、50=7q₆+1と書ける。
まず、10+60=7q₁+3+7q₄+4=7(q₁+q₄)+7より、q₁+q₄=9を得て、同様に、q₂+q₅=q₃+q₆=9も得る。故に、余りの列の関係式1+6=3+4=2+5=7が判れば、q₁+q₄=q₂+q₅=q₃+q₆=9が示される。
従って、余りの列の関係式を示す事が”2等分和の本質”とも言える。この「ミディの法則」は後に述べるとする。
そこで(説明の為に)、1÷7の後半の商の列をq₄,q₅,q₆、余りの列をr₄,r₅,r₆とおくと、1=7×0+1、10=7×1+3、30=7×4+2、20=7×2+6、60=7q₄+r₄、10r₄=7q₅+r₅、10r₅=7q₆+r₆と書ける。
勿論、バカ正直に割り算を続ければ、後半の商と余りは計算できるが、上の「ミディ法則」を用いればと、q₄=9−1=8,q₅=9−4=5,q₆=9−2=7,r₄=7−3=4,r₅=7−2=5,r₆=7−6=1と簡単に求まる。
因みに、この方法は1/pの循環節の長さが偶数になる素数pで使え、計算も半分で済む。これも数学の法則性ゆえの技だ。
余りの不思議と3等分の和
では、3等分の和ではこの様な法則は成立するのだろうか?
これも前回「その1」で紹介した様に、1/7の循環節142857を3等分して足せば、14+28+57=99、1つ巡回させた428571は42+85+71=198、2つ巡回の285714は28+57+14=99、3つ巡回の857142は85+71+42=198と、以降は同じ巡回を繰り返すだけで、2等分の和とは少し状況が異なる。
だが、2等分の和142+857=999の場合、百と十と一の位が各々、1+8=4+5=2+7=9となり、142857を巡回させた数の2等分和は999になった。
一方、3等分の和14+28+57=99の計算では、4+8+7=19と1の位の和で繰上りが起き、10の位の和の1+2+5=8で繰上りの1を足して9になる。故に、3等分の和は2等分和とは異なり、繰り上がりが起こる為に難しくなる。
つまり、3等分和の不可思議な現象を説明するには、2等分和以上に問題の本質に迫る必要がある。
例えば、142857を1つ巡回させた428571は42+85+71=198となるが、428571は実際に計算すると判るが、3/7の循環節である。
もし分子が1でなければ、その循環節の3等分和は9が並ぶとは限らない。では、分子を1に限定するとどうなるのか?
つまり、1/pの循環節が3等分できれば、3等分の和は9が並ぶのか?
まず、1/pが3等分出来る50以下の数は、7,13,19,31,37,43となる(「素数はめぐる」p33参照)。故にp=7の次は13であり、1/13の循環節は076923となり、3等分の和では07+69+23=99が成立する。
以下、1/13の循環節は032258064516129となり、3等分和=03225+80645+16129=99999が成立し、更に1/37の循環節は027となり、3等分和=
0+2+7=9が成立する。つまり、1/pの循環節が3等分できれば、3等分の和は9が並ぶ事が言えそうだ。
従って、こうした現象の背後には何かが潜んでそうな気がする。続きは後で述べるとする。
余りの不思議と6等分の和
最後に6等分和ですが、前回「その1」でも説明した様に、142857の6等分和=1+4+2+8+5+7=27となり、更に2等分して足すと2+7=9となるのは、142857の各位の数の和が9の倍数になるからで、これは142857が9の倍数である事と同値でした。
では、一般にpが2,5以外の素数の時、1/pの循環節は9の倍数となるのか?
素数3,7,11,13,…を順に調べると、1/3=0.3で循環節3は9の倍数ではなく、1/7の循環節142857は9の倍数でした。1/11の循環09は9の倍数です。更に、1/13の循環節076923は0+7+6+9+2+3=27を満たし、9の倍数となる。1/17の循環節は0588235294117647となり、これまた0+5+8+8+2+3+5+2+9+4+1+1+7+6+4+7=72を満たすので、9の倍数となる。
この様に、7以上の素数pの1/pの循環節は9の倍数になりそうだ。
ただ、これを証明するには、少数と分数の関係をまとめる必要がある。但し、小数も分数も1未満の数とする。
例えば、0.2や0.5の様に、小数点以下が有限な数を”有限小数”と呼び、これらの少数は小数点以下の長さに合わせ、10のべき乗を分母にとった分数となる。事実、0.2=2/10=1/5、0.5=5/10=1/2となる。
一般に、小数点以下の部分Aの長さがe(分母の0の数)の有限小数は、A/100…0=A/10ᵉとの分数になる。故に、1/pが有限小数になるのはp=2,5に限られる。これは、2,5が10を割り切るからだ。
そこで循環小数を分数で表してみる。
例えば、0.18=0.181818…の循環節18の長さは2である。この両辺を100倍し、更に0.18を引くと、100×0.18−0.18=18.1818…−0.181818…となり、99×0.18=18を得る。故に、0.18=18/99=2/11となる。
以上より、一般に長さd(分母の9の数)の循環節Aを持つ循環小数は、A/99…9=A/(10ᵈ−1)との分数で表される。
また、pを2,3,5でない素数とすれば、1/pは循環小数で表され、循環節Aの長さがdとすると、1/p=A/99…9となり、pA=99…9となる。
但し、pAは9の倍数であり、p≠3より(pは9を割り切れず)9は循環節Aをp割り切るので、循環節Aは9の倍数となる(証明終)。
以上の様に、142857の6等分の不思議は、全ての素数で一般化された。以降は、2等分や3等分の不思議の一般化された解明にコマを進めます。
最後に
この様に、ダイヤル数に関する素数の不思議を一々計算して追いかければキリがないが、古代ギリシャの数学者や哲学者らは、こうした計算を苦もなく延々と繰り返していたのであろうか。
そんな事を思いながら、私もダラダラとこんな無機質な記事を書いてる訳だが、不思議とのめり込んでる時は苦にはならない。だが、今に読み返すと、ドストエフスキーが監獄の中で感じた様な苦痛に似てるのだろうか。
確かに”数学は計算の上を飛ぶ”が、1つ1つ計算をする事で数の法則や概念が明らかになり、数学に昇華する。つまり、こうした機の遠くなる様な作業の積み重ねの歴史が現代数学の基盤となり続け、人類の知を育むんだろうか。
数トレなんかとは難しさの次元が違うが、やり方の基本はそんなに変わりはない。
かつてオイラーがやってきた様に、1つ1つ地道に計算し、法則らしきものを丹念に検証し、1つ1つ積み上げていく。
その積み重ねこそが現代数学に昇華し、大きな花を咲かせる。
つまり数学とはそういうものではないか。
本当は、ボツにしようと思ってた記事でしたが、(言われる通り)腰を据えて読んでみた所、不思議とハマり込んでしまいました。
オイラーの美しい等式も、こんな状況下で生まれてきたんでしょうか。
小説「博士の愛した数式」でもアルティン予想は登場してましたかね。
数学は全てに繋がりますが、1つ1つの積み重ねこそが大きな花を咲かせるんでしょう。
貴重なご指摘をありがとうです。
映画では、完全数や友愛数というのが登場する。
特に江夏の背番号28は完全数で、1+2+4+7+14=28と28が持つ全ての約数を足せば28になる。
現時点で確認されてる完全数は49個だが、完全数でが無数に存在するのか?有限なのか?は未解決問題だとされる。
こうした問題は非常にシンプルで単純に見えるが、答を見いだすのは極めて難しい。
これも数字の神秘とも言えそうだ。
友愛数に関連し、婚約数や社交数というものありますが、更にナルシスト数というのもありますね。
共に深い歴史があり、未解決問題を含みますが
これらのユニークな数に関しても、纏めて記事にしたいと思います。
色々教えて下さって有難うです。