![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b6/1183cc4e2f4e644858ecdda2dce7879a.jpg)
いきなり煽動的なタイトルで引いた方も多いかも知れない。
最初に断っておくと、このタイトルは私のセリフではないので、
そのへんのところは良ければ最後までお読みになって納得していただきたい(笑)。
最近「ちょしさんの入れるお茶は美味しい」と言ってもらえる機会が増えた。
正直とても嬉しい。
私もだいぶお茶入れ人として、成長してきたということなのかもしれない。
いや、自慢するつもりではさらさらない。
自分ではまだまだだと思うし、私よりも美味しく入れる達人を何人も知っている。
かと思うと教室で入れ方の練習指導をしているとき、いろんなタイミングか重なって
「わ、このお茶、私が入れるよりも生徒さんが入れた方がずっと美味しいじゃない」と新発見することも多々ある。
もちろんこういうときの生徒さんは初心者ではなく、
長いこと通ってきてくれているベテランさんなのだが。
お茶を入れるというのは実際は誰でもできること。
しかし、お茶の個性を理解し、その場の状況を見て、最大限に美味しく入れるのは意外と難しい。
特に中国茶のように種類が多く、ひとつひとつの形状や個性が全く異なる場合、
何mlの湯に何gの茶葉、お湯の温度は何℃で抽出時間は何秒・・・などと一律の学び方をしてもあまり役には立たない。
たまーに天性のものなのか、感性でさらりと上手に入れてしまう人もいるけれど、
多くの人はどうしたら美味しく入れられるのだろう?と悩むことになる。
お茶入れの達人になるには、やはり経験則、加えてお茶に対する理解、そして飲み手への心配り、
それらが積み重なってブレがなくなることが必要なのではないかと思う。
たくさんのお茶を飲むこと、たくさんお茶を入れること、これが秘訣であることは間違いない。
お茶がどうやって作られているかを学び、そのお茶の性質や背景を理解することも大きな助けになるだろう。
そして、一つ忘れてはならないことは、お茶にはそれを飲んでもらう相手がいる、ということだ。
自分だけで飲むならそれほど苦労はいらない。
自分が美味しいと思うように、好きなように入れればいいことだから。
確かに一人で楽しむ茶というのは乙なものである。
明代の張源先生も
「飲茶以客少為貴,客衆則喧,喧則雅趣乏矣。
獨啜曰神,二客曰勝,三四曰趣,五六曰泛,七八曰施。」
と、一人で飲む茶は素晴らしいと書いていらっしゃる。
でも、自分が美味しいと思ったお茶を相手にも飲んでもらいたい、
美味しい時間を共有したい、というのは自然な思いなのではないだろうか。
相手に「美味しい」と言ってもらえる一杯が入った時の嬉しさ、
それを知ってしまったら、既に目の前には果てしない「お茶入れ道」が広がっている。
~後編へつづく~
ご訪問ありがとうございます。
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正直とても嬉しい。
私もだいぶお茶入れ人として、成長してきたということなのかもしれない。
いや、自慢するつもりではさらさらない。
自分ではまだまだだと思うし、私よりも美味しく入れる達人を何人も知っている。
かと思うと教室で入れ方の練習指導をしているとき、いろんなタイミングか重なって
「わ、このお茶、私が入れるよりも生徒さんが入れた方がずっと美味しいじゃない」と新発見することも多々ある。
もちろんこういうときの生徒さんは初心者ではなく、
長いこと通ってきてくれているベテランさんなのだが。
お茶を入れるというのは実際は誰でもできること。
しかし、お茶の個性を理解し、その場の状況を見て、最大限に美味しく入れるのは意外と難しい。
特に中国茶のように種類が多く、ひとつひとつの形状や個性が全く異なる場合、
何mlの湯に何gの茶葉、お湯の温度は何℃で抽出時間は何秒・・・などと一律の学び方をしてもあまり役には立たない。
たまーに天性のものなのか、感性でさらりと上手に入れてしまう人もいるけれど、
多くの人はどうしたら美味しく入れられるのだろう?と悩むことになる。
お茶入れの達人になるには、やはり経験則、加えてお茶に対する理解、そして飲み手への心配り、
それらが積み重なってブレがなくなることが必要なのではないかと思う。
たくさんのお茶を飲むこと、たくさんお茶を入れること、これが秘訣であることは間違いない。
お茶がどうやって作られているかを学び、そのお茶の性質や背景を理解することも大きな助けになるだろう。
そして、一つ忘れてはならないことは、お茶にはそれを飲んでもらう相手がいる、ということだ。
自分だけで飲むならそれほど苦労はいらない。
自分が美味しいと思うように、好きなように入れればいいことだから。
確かに一人で楽しむ茶というのは乙なものである。
明代の張源先生も
「飲茶以客少為貴,客衆則喧,喧則雅趣乏矣。
獨啜曰神,二客曰勝,三四曰趣,五六曰泛,七八曰施。」
と、一人で飲む茶は素晴らしいと書いていらっしゃる。
でも、自分が美味しいと思ったお茶を相手にも飲んでもらいたい、
美味しい時間を共有したい、というのは自然な思いなのではないだろうか。
相手に「美味しい」と言ってもらえる一杯が入った時の嬉しさ、
それを知ってしまったら、既に目の前には果てしない「お茶入れ道」が広がっている。
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