懐かしい名前を東京新聞で見つける…『梁澄子』(ヤンチンジャ)。1988年秋、南新宿の「現代語学塾」の
引き戸を開け、韓国・朝鮮語の語学塾で学ぶ事となる。その時の先生は「高島淑郎」その後、「牧瀬暁子」
「李恵慶」他、随分勉強させてもらったが、もうすっかり忘れてしまった。語学塾では8年間ほど、事務局で
広報関係の担当をしていた。「シージャキ パミダ」(始めたら半分だ)の原稿制作。韓国旅行も6、70回も
でも、忘れてしまった。コロナ禍が過ぎても、韓国に行く気が起こるか。何か、遠い想い出が蘇ってきた!
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