週刊 サイエンスジャーナル 2014.2.16
2月14日~15日にかけて再び大雪になった。原因はやはり「南岸低気圧」。本州太平洋側沿岸に沿うように東進する低気圧をこう呼んでいる。 低気圧の中心に向かって吹き込む南からの暖かく湿った空気(暖気)と北側から流れ込む冷たく乾いた空気(寒気)がぶつかりあって、冬は雪が降りやすい。 先週の2月8日の記録的な大雪と同じ程度の大雪。東京は8日の積雪と同じ27センチとなり、気象庁のいう「50年に一度の積雪」が、二度になってしまった。いったいどうなっているのだろうか? 2月14日は午後10時半過ぎに、東京23区に大雪警報が発表された。先週の8日に続き、東京地方に大雪警報が発表されるのは今季で2回目。ひと冬で2回大雪警報が発表されるのは、1998年以来で16年ぶりのことだ。 しかし、前回と比べて東名高速での大渋滞、東横線での衝突事故、中学校の体育館や民家の車庫の屋根が崩れたり、倒木の影響で停電が生じたりするなど、都市機能に麻痺が起きている。雪に対して弱い首都圏の弱点が見えたように思う。 気象庁によると、3月にかけて低気圧の発生はさらに増える可能性があり、今後も雪に注意が必要だという。南岸低気圧は北よりのコースを通る場合、南の空気が走り込みや雨になりやすい。南よりのコースを通る場合北からの空気が入り込みやすく雪になりやすい。毎日新聞 |
高温高圧「熱い氷VII」が融ける新メカニズムを発見!氷にあるXV(15)ものタイプ 今年はよく雪が降る。湘南ではこれほどの雪を見ることはほとんどない。雪といえば氷の一つであるが、世の中に熱い氷が存在するのはご存じだろうか?圧力が10 GPa(ギガパスカル)では数百度という高温の氷(VII)が存在する。「VII」というのは7番目を表す。 ふつうの氷は無色透明で六方晶系の結晶を持つ。これを氷Ih という。融点は通常の気圧で摂氏0度。だが、圧力を変えることで相変化を起こし、結晶構造や物理的性質に差のある、さまざまな高圧相氷になることが知られている。 この場合、我々が普段目にする「普通の」氷は「氷I」と呼ばれる。現在のところ、圧力が高い状態において氷(II)から氷(XV)まで発見されている。特に、きわめて高い圧力下では、水素結合が縮んで水分子の配列が変わる。このように様々な相が存在することを多形という。 今回、岡山大学の研究チームは、コンピューターシミュレーションによって、高温高圧での氷が融ける新しいメカニズムを世界で初めて発見した。 |
水と油(石油)は地下で逆転?超臨界水+炭化水素混合系の相転移を発見! 水が氷になる温度は0度、沸騰して水蒸気になる温度は100℃というが、いつもそうだとは限らない。 例えば、 高い山では水は100℃より低い温度で沸騰する、ということを聞いたことがあると思う。これは高い山では大気圧が1気圧より低いため水の沸点が100℃より下がることが理由だ。 逆に圧力がかかった状態では水の沸点は100℃より高くなる。深海の熱水噴出口から噴き出す熱水は300℃以上になることがあるが、深海は非常に圧力が高く、300℃でも水が沸騰しない環境にある。 水の場合、温度、圧力が非常に高くなり、374℃、218気圧以上になると、液体と気体の水は互いに区別できなくなる。この点を水の臨界点という。 今回、東京工業大学(東工大)は2月6日、水の臨界点(374℃、218気圧)付近の高温高圧下で形成される水+石油(炭化水素)混合系の無限時間放置した状態で液相が巨視的に変化せず、熱力学的に安定となる状態である「液液平衡」において、水リッチ相と炭化水素リッチ相の上下位置関係が、圧力変化によって逆転する液液相転移を発見したと発表した。 これらの成果は、高温高圧水を利用したオイルサンドや堆積岩中に存在する、シェールガスや石油、タール、アスファルト等の採掘、分離、改質、精製プロセスにおいて、相状態を明らかにする上で不可欠な知見となると研究グループでは説明している。 |
第49回ノーベル生理学・医学賞 ヘス「間脳機能の解明」・モニス「恐怖のロボトミー手術」 1945年のノーベル生理学・医学賞の受賞はそれまで知られていなかった、脳の働きに関する研究について贈られた。一つはヴァルター・ヘスの間脳のはたらきに関する研究。もう一つは、エガス・モニスの精神病治療に関する研究である。 モニスの精神病治療法は前頭葉と間脳視床部との連絡を絶つ「ロボトミー手術」と呼ばれ、今日では問題になっている。 ロボトミー被害者の家族による組織は、ノーベル賞からモニスを除外するよう働きかける運動を続けている。現在、ノーベル賞公式ウェブサイト上のモニスのページには、受賞理由として「その当時、(ロボトミーは)代替のない治療方法だった」ことなどが理由として掲げられている。 ノーベル財団は、ノーベル賞受賞歴の中からモニスを外すことは不可能であるとして、被害者からの要求を拒否している。「取り消される可能性はありません。絶対に無理でしょう。ノーベル財団ではそもそもそうした抗議に対応する用意さえありません。」ノーベル賞は必ずしも正しいとは限らない。 ノーベル賞には光の部分と影の部分がある。そもそも人間は間違いを犯す存在だ。今日まで戦争が地上からなくなっていないことがそのよい例である。ノーベル賞も例外ではない。核兵器を造ったマンハッタン計画には多くのノーベル賞受賞者が賛同し、協力もしている。だが、間違えて覚えるのもまた人間だ。ロボトミー手術によって、脳の機能に障害が起き、初めて脳の働きがあきらかになった。 人間の成功と数々の失敗。それを勝者によって歴史の闇に葬られることなく、つぶさに垣間見ることができる・・・それこそが、ノーベル賞の真の意味であると思う。アイラブサイエンス |
第49回ノーベル化学賞 ジオーク「化学熱力学への貢献、とくに極低温における物性の研究」 1949年のノーベル化学賞の受賞者はカナダの化学者、ウィリアム・ジオーク(William Francis Giauque,1895年5月12日~1982年3月28日)である。 受賞理由は、「化学熱力学への貢献、とくに極低温における物性の研究」。ジオークは、それまで低温の限界が0.4Kまでであったのに対し、磁気冷却という方法を提唱。そして実際に低温化に成功、0.25Kに到達した。この方法が評価されノーベル賞を受賞した。 低温への挑戦は1908年、H.カマーリング.ネオス(1913年ノーベル物理学賞)が、ヘリウムの液化に初めて成功、0.4Kまで到達が可能になった。さらに、ネオスは1911年、4.2Kで水銀が超伝導になることも発見した。この0.4Kの壁をぶち破った、磁気冷却とは何だろうか? 磁気冷却とは、常磁性の塩では磁界の影響によって、分子の整列が起きるが、この液体になった塩を液体ヘリウムの容器に入れて、できるだけ低温にした後、磁界を消すと分子の整列が崩れ、その際周囲の液体ヘリウムから熱を吸収し、温度降下がおこるというものである。この説は同じ頃、P.J.Wデバイ(1936年ノーベル化学賞)によっても唱えられた。 1926年ジオークとデバイは、常磁性塩類の断熱消磁により低温に達することができるという説を提唱。磁気冷却の最初の実験が行われたのは1933年4月で、ジオークがカリフォルニアのバークレー大学で成功した。デバイは理論物理学者であるから自分で実験はしなかった。 ジオークが実際に使った常磁性物質は硫酸ガドリニウムGd2(SO4)3・8H2O。これを、排気ポンプを使って減圧し気化熱で1K近くまで温度を下げた液体ヘリウムで冷却する。 それから磁場を作用させるとエントロピーが減少し常磁性体から熱が出るので、それは周囲の液体ヘリウムで冷却する。このとき常磁性体を入れてある容器にはヘリウムガスを入れておき、常磁性体からの熱を取り出して周囲の液体ヘリウムに伝えやすくする。 常磁性体が充分に冷却されたと思われるとき容器内のヘリウムを排気し外部からの熱の流入を止める。それから磁場を取り去ると常磁性体は0.25Kの低温となった。 同様な実験はライデンでも行われたがバークレーの方が僅かに早かった。その後オックスフォードとかケンブリッジなどで磁気冷却の実験が成功し、今では広く一般に行われるようになった。こうして0.01Kより低い温度がたやすく得られるようになった。アイラブサイエンス |
第49回ノーベル物理学賞 湯川秀樹「陽子と中性子との核力を媒介する中間子を予想」 1949年のノーベル物理学賞受賞者は湯川秀樹である。受賞理由は「陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして中間子の存在を予想」。もちろん、日本人初のノーベル賞受賞者として有名だ。 戦後まもない日本人の受賞は、下向きがちだった日本人にどれほどの勇気を与えたかわからない。日本はやっぱり凄い国だ、終戦後わずか4年でノーベル賞の受賞となった。 湯川氏の中間子論が出たのは、1935年のこと。すでに日中戦争中であった日本人学者は、海外からはなかなか評価されなかったがソルベー会議に招かれ、以後、アインシュタインやオッペンハイマーらと親交を持つ。しかし、当時は、簡単に新しい粒子を持ち出すことについては、中間子論に対する批判が多かった。というのは、すでにさまざまな粒子が発見されていたからだ。 1897年J.J.トムソン(1906年ノーベル物理学賞)が電子を発見、1911年ラザフォード(1908年ノーベル化学賞)により原子核が発見された。1919年陽子がアーネスト・ラザフォードによって発見される。1932年にジェームズ・チャドウィック(1935年ノーベル物理学賞)によって中性子を発見する。 原子核の構成が明らかになると、次に問題になるのは構成粒子である陽子と中性子(核子)を小さな領域に閉じ込めておく力は何かということになる。この力は核力と呼ばれ、その起源を説明するものとして、湯川秀樹により核子が中間子をやりとりすることによって生ずるという、いわゆる中間子論が生まれた。 ミュー粒子が最初に発見されたとき、質量が近いことから中間子と考えられ、「ミュー中間子」と名付けられた。しかし、核子を強く引き付ける力がないことから、実はレプトンであったと判明した。後に、本当に力を伝達する「パイ中間子(ミュー粒子に崩壊する)」が、1947年、セシル・パウエル(1950年ノーベル物理学賞)の率いるチームによって発見される。この発見により、1949年の湯川氏のノーベル物理学賞が決定された。アイラブサイエンス |
宇宙で最初の星“ファースト・スター”発見!推定年齢136億歳、決め手は鉄含有量 宇宙の年齢は現在137億歳であると考えられている。誕生してから数億年の頃までの時期は宇宙の「暗黒時代」と呼ばれ、その様子を知ることができないでいる。最初の数億年の間、星や銀河などが生まれる前の宇宙には、ガスと暗黒物質が薄く漂い、それにビッグバンの名残である弱い電磁波が飛び交うだけで、文字通り暗黒の宇宙だったと考えられる。 暗黒宇宙に光を灯したのは、宇宙に生まれた最初の星「ファースト・スター」である。ファースト・スターの誕生により暗黒宇宙は終焉し、やがて光輝く銀河宇宙へと変貌をとげていく。 ファースト・スターが誕生したのは宇宙創成から1億~3億年ほど経った頃である。原始星(生まれたばかりの星)の質量は太陽の100倍であった。明るさでは太陽の百万倍以上にもなる。宇宙がまだ数億歳という若さの時に、このようなとても明るいファースト・スターが闇を照らし出し、暗黒時代に終わりを告げた。その後ファースト・スターはどうなっただろうか? 今回、観測史上最古の恒星を発見したとするオーストラリアの研究報告が2月9日、英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。この星は鉄含有量がこれまで知られている恒星の60分の1未満で、宇宙の始まりであるビッグバン(Big Bang)から間もない136億年前に誕生したとみられるという。 今まで最古とされていたのは約132億年前に誕生した星で、欧州と米国の研究チームによって2個がそれぞれ2007年と2013年に報告されていた。AFPBB news |