なかなかちゃんと感想書けなかったけど、楽しく見てましたよオーズ。
ただあれだ、関西では終盤2回甲子園で飛んで、最終回前の2回が私の知らない所でいつのまにか放送されてたため、最終回がどういう状況なのか全く把握できず。
でも結構感動できたので、まあいい最終回だったんだろうと思います。たぶん。
***
もともと私の思うSFの定義というのは、現実にはありえないガジェットを使うことで人間の本質を見せることだと思っています。
そういう意味では、オーズはまさにちゃんとしたSF。
オーズ・メダル・グリード・ヤミー…荒唐無稽なガジェットを使い、『欲望』という目には見えない抽象概念を具現化して見せる。そういう物語だったと思います。
ヒーロー物では従来、『私利私欲』は悪役の行動理念として描かれる事が多く、「欲」という言葉に余り良いイメージはありません。
しかし鴻上会長は言います。
「欲望こそが人間の生きる力!すばらしい!」
↑突き詰めれば、これがオーズの物語の主題だったのかなあと思う今日この頃。
自分の描いた理想に向かって進まなければ進歩もなければ進化もありません。
「願い」や「望み」と言い換えることもできますが、敢えてそういう綺麗な言葉を使わず、『欲望』というネガティブな言葉と、自分の中に存在するそれを認めて向き合うことが重要なのかなと。
欲望から生まれ、人間の欲望を糧とするグリード。
それに対する、極度に無欲な青年・映士。
しかし映士は実は欲がないのではなく、身の丈に合わない大きな欲によって挫折した事から自分の欲をあきらめている状態であることが徐々にあきらかに。
一方グリードであるアンクは自分の欲望に忠実。
当初はグリードとしての完全体を目指していたのだと思いますが、最終的には別の目的に向かっていたような。
個人的に印象的だったのは、グリードたちに合流したアンクに対してメズールが、「ねえどうだった?人間の体で味わう欲望の味は?」と尋ねた台詞。
この台詞によって、実はグリードたちは、味(味覚)も色(視覚)も、恐らくはその他の五感も人間のように鮮明に感じることが出来ず、いくら貪っても永遠に満たされることのない存在なのが明らかに。
メズールの求めていた欲望は『愛情』、それも与えられる愛ではなく無償で与える『母の愛』を注ぎたかったんだな、というのが、終盤の彼女の暴走で明らかになりました。ガメルと疑似的な「親子ごっこ」をしていても、そんな代用品では満たされないのがグリードの悲しさ。
幼さの残る少女の姿をしたメズール人間態が、大人の男性であるドクター真木を「坊や」呼ばわりしてるのが倒錯的でエロいなーと暢気に見ていたのですが、あれは実際には限りなくマザコンに近いシスコンの真木に対する疑似『母性』だったのかと思うと哀しいものを感じますね。
で…一度泉刑事の体を通して、人間の鮮明な五感を体感してしまったアンクは、『グリードとして』完全体になった所で自分は満たされない事に気づいてしまった。だからこそ、『人間として』死ぬことに満足できた。
…というオチだと勝手に解釈。
***
最終回で一番びっくりしたのは、最後に映士に手を差し伸べるメンバーの中に里中くんがしっかり混ざってた事ですね。映士の事は嫌いじゃないけど特に好きでもないと思ってた(ていうか、自分以外の全ての人に対してそういうスタンスだと思ってた)。
後藤・里中コンビの、見た目は美男美女なのに色っぽい雰囲気が皆無な所が好きでした。
あと、千代子さんの人を受け入れる間口の広さが何気に凄いと思ってました。伊達さんもそうだけど、海外経験豊富で異文化との交流に慣れてるせいなのか。真木だろうがアンクだろうが普通に受け入れてるのが。あれは中々真似できないと思ってました。
ただあれだ、関西では終盤2回甲子園で飛んで、最終回前の2回が私の知らない所でいつのまにか放送されてたため、最終回がどういう状況なのか全く把握できず。
でも結構感動できたので、まあいい最終回だったんだろうと思います。たぶん。
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もともと私の思うSFの定義というのは、現実にはありえないガジェットを使うことで人間の本質を見せることだと思っています。
そういう意味では、オーズはまさにちゃんとしたSF。
オーズ・メダル・グリード・ヤミー…荒唐無稽なガジェットを使い、『欲望』という目には見えない抽象概念を具現化して見せる。そういう物語だったと思います。
ヒーロー物では従来、『私利私欲』は悪役の行動理念として描かれる事が多く、「欲」という言葉に余り良いイメージはありません。
しかし鴻上会長は言います。
「欲望こそが人間の生きる力!すばらしい!」
↑突き詰めれば、これがオーズの物語の主題だったのかなあと思う今日この頃。
自分の描いた理想に向かって進まなければ進歩もなければ進化もありません。
「願い」や「望み」と言い換えることもできますが、敢えてそういう綺麗な言葉を使わず、『欲望』というネガティブな言葉と、自分の中に存在するそれを認めて向き合うことが重要なのかなと。
欲望から生まれ、人間の欲望を糧とするグリード。
それに対する、極度に無欲な青年・映士。
しかし映士は実は欲がないのではなく、身の丈に合わない大きな欲によって挫折した事から自分の欲をあきらめている状態であることが徐々にあきらかに。
一方グリードであるアンクは自分の欲望に忠実。
当初はグリードとしての完全体を目指していたのだと思いますが、最終的には別の目的に向かっていたような。
個人的に印象的だったのは、グリードたちに合流したアンクに対してメズールが、「ねえどうだった?人間の体で味わう欲望の味は?」と尋ねた台詞。
この台詞によって、実はグリードたちは、味(味覚)も色(視覚)も、恐らくはその他の五感も人間のように鮮明に感じることが出来ず、いくら貪っても永遠に満たされることのない存在なのが明らかに。
メズールの求めていた欲望は『愛情』、それも与えられる愛ではなく無償で与える『母の愛』を注ぎたかったんだな、というのが、終盤の彼女の暴走で明らかになりました。ガメルと疑似的な「親子ごっこ」をしていても、そんな代用品では満たされないのがグリードの悲しさ。
幼さの残る少女の姿をしたメズール人間態が、大人の男性であるドクター真木を「坊や」呼ばわりしてるのが倒錯的でエロいなーと暢気に見ていたのですが、あれは実際には限りなくマザコンに近いシスコンの真木に対する疑似『母性』だったのかと思うと哀しいものを感じますね。
で…一度泉刑事の体を通して、人間の鮮明な五感を体感してしまったアンクは、『グリードとして』完全体になった所で自分は満たされない事に気づいてしまった。だからこそ、『人間として』死ぬことに満足できた。
…というオチだと勝手に解釈。
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最終回で一番びっくりしたのは、最後に映士に手を差し伸べるメンバーの中に里中くんがしっかり混ざってた事ですね。映士の事は嫌いじゃないけど特に好きでもないと思ってた(ていうか、自分以外の全ての人に対してそういうスタンスだと思ってた)。
後藤・里中コンビの、見た目は美男美女なのに色っぽい雰囲気が皆無な所が好きでした。
あと、千代子さんの人を受け入れる間口の広さが何気に凄いと思ってました。伊達さんもそうだけど、海外経験豊富で異文化との交流に慣れてるせいなのか。真木だろうがアンクだろうが普通に受け入れてるのが。あれは中々真似できないと思ってました。
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