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LUSTYHOUSE

まだ、もう少し作ること、動くこと、想像すること、楽しむこと。気ままに、思うことを書いてます。

年賀状

2010年01月03日 | おしゃべり

 文中の「60回目の年男」に突っ込みがありましたので、若干所見を述べます。
 まず「とうとう」というカ所ですが、「はからずも」という意味で、自分では若いつもりでも世間から見れば60歳というとやっぱり年寄り。そういった客観性が背後にとうとうと流れているな、というしみじみとした感情のが込められております。
 次に問題の「60回目の年男」というと実に720歳ということになります。考古学的あるいは生物学、常識に照らして破天荒のそしりを免れない表現です。「実はハンコック
※1の従兄弟なのだ」などとバカボンのパパ※2的言辞を労するつもりはもうとうありません。「単に間違ったのだろう」という突っ込みを重々承知の上であえてこのような表現を選ぶに至ったか。
深意はこうであります。「ああ、60回目の正月が来てしまったのか
※3、昔は60歳といえばずいぶん年寄りに見えたものよ、しかるに翻って現在の自分はどうか、老成からはほど遠く、ただ年を重ねた糞袋に過ぎないのではないか、今年は年男だ。人間の寿命は生物としては120年くらいあるという。まだ半分じゃないか、中途半端なのも仕方ないではないか、残る人生を楽しもう、後何回年男を迎えられるか分からないが年男(寅年)にふさわしくトラぬ狸の皮算用などと言わせないぞ、決意だけは勝手に新たにするぞ!」長くなったが、こういう悲しくも美しい心情の徒労じゃなく吐露だったわけです。
 「年賀状はセクシーシリーズじゃなかったの? どこが」という突っ込みには次のように答えよう。それは、次の段に色濃く表現されている。「拘束されない自由な時間」がそれだ。このめくるめくような快感がセクシーでないと誰が断言できるのだ。ちゃんと、「生まれて初めて」という枕詞を用意することで興奮のベクトルは最高潮に達するのだ。そしてとどめは「始まります!」この言葉は”ビフォーアフター”
※4でもお馴染みなのだが、一行開けている。この間(ま)が詩的な緊張感をいやが上にも高め、真一文字に結ばれた似顔の口元と相まって前と後のセクシーさを醸し出している、と言える、と思う。実は、セクシーさとは見えにくいものの中にこそ色濃く反映されているものなだ。
※1.映画「ハンコック」では、彼らの寿命は人間よりはるかに長い
※2.「バカボンのパパ」赤塚不二夫氏原作の「天才バカボン」に登場する父親で、時としてぐさりと本質を突く言辞「これでいいのだ」で庶民の突っ込みを撃破する
※3.「来てしまったのか」という消極的表現は、実は時間はなぜ一方向にしか進まないのか、という不思議を実感できない人はいないだろうという悲哀に満ちた表現
※4.「大改造!! 劇的 ビフォーアフター」リフォームをテーマにした朝日放送の番組。「それはないだろう!」と思わず叫びたくなる匠の技、家具を置く自由をも奪うバラエティー番組


 長々お付き合いいただいて恐縮です。末尾になりましたが、皆さまのご多幸、そして今年が良き年でありますように、さらに皆さまの人生が至福満ちたものでありますように、心より念じております。