閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「布袋尊」

2025-04-12 06:00:28 | 七福神

今日は土曜日、作品紹介の日です。今年前半を飾るメインの七福神シリーズの3作目
「布袋尊」、神様でなく中国の僧侶でした。今回もやさしそうな顔に仕上がりました。
恵比寿天の簡単な紹介です。
布袋尊は、弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたという。笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。
大黒天、恵比寿と一緒に3ショットです。
きのうの日の出と1時間後の富士山、墨汁の中に白地が浮いたような。
 
きのうは9時半に出てコンビニへ、写真の印刷でした。その後、10時にヨーカドーの
オープンを待ち2Fの骨盤・整体カラダファクトリーへ。2週間で固まった箇所を念入りに
ほぐして貰いました。前回より股関節が硬くなっているとの指摘がありましたね。
帰ったら、お昼の用意ができていました。ありがたいです。
きのうは、往復、2,570歩++ラクこぎサイクル20分でした。
 
七福神を乗せる船が完成しました。次回から、これに乗せます。
今朝は12℃、最高も21℃になる晴れ間もありますが、雲の多い予報です。
 
布袋尊の長い解説がありました。
布袋(ほてい、生年不詳 - 917年3月28日[1][2])は、代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では七福神の一神として信仰されている

本来の名は契此(かいし)(または釈を付けて釈契此(しゃくかいし))。常に袋(頭陀袋)を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。その姿は風変りであったが素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力を持っていたという

契此には様々な伝説がある。「景徳伝灯録」にある伝説では雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかったという。また人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話も伝えられる

謎めいた公案のような問答も残されているや歌も残しており、歌の中では、心の真実の大切さや、閑たる心境を求めることを説く[2]

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり(貞明3年3月3日(917年3月28日)に嶽林寺で遷化したという説もある)埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

「景徳傳燈録」によると布袋は死の間際に

彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時分を示すも時人は自ら識らず)
布袋和尚、景徳伝灯録

という名文を残した。このことから、実は布袋は弥勒菩薩の化身なのだという伝説が広まったという

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、宝誌や、天台智顗寒山拾得らの異僧・高僧と共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。

<以下割愛>

 

 

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「恵比寿天」

2025-03-08 06:00:35 | 七福神
今日は土曜日、作品紹介の日です。今年前半を飾るメインの七福神シリーズの2作目
「恵比寿天」、今回もやさしそうな顔に仕上がりました。
恵比寿天の簡単な紹介です。
恵比寿天は七福神中で唯一の日本の神様。いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、信仰のはじまりと伝えられている。左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
 
きのうの朝は雲が残っていましたが、久しぶりの日の出と雪で真っ白の富士山でした。 
きのうは10時にヨーカドーのオープンを待ち2Fの骨盤・整体カラダファクトリーへ、
4回目でした。古い腰痛は少し軽くなって来ましたが、他の場所に痛みが移動、仕方
ないですね。帰りにコンビニに寄り、覚えたい歌の楽譜を印刷しました。
きのうは、2,603歩+ラクこぎサイクル20分でした。
 
朝見えていた富士山は雲が湧いて日の入り時にはすっかり隠れてしまいました。
きのうのびっくりニュースは、ノーベル平和賞にトランプ大統領がノミネートされた
ことでした。「本気でやれよ!」、ということでしょうか?
 
今朝は3℃、最高も5℃まででにわか雨も、夜、外出予定があり注意です。
 
恵比寿天の詳しい解説がありました。

えびすゑびす

  1. 日本の神。七福神の一柱。狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇にを抱える姿が一般的。本項で詳述。また、初春の祝福芸として、えびす人形を舞わせてみせた大道芸やその芸人のことも「恵比須(恵比須回し)」と呼んだ。
  2. 外来の神や渡来の神。客神や門客神や蕃神といわれる神の一柱。本項で詳述。
  3. 神格化された漁業の神としてのクジラのこと。古くは勇魚(いさな)ともいい、クジラを含む大きな魚全般をさした。本項で詳述。
  4. 寄り神。海からたどり着いたクジラを含む、漂着物を信仰したもの。寄り神信仰や漂着神ともいう。本項で詳述。
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「大黒天」

2025-02-01 06:00:29 | 七福神
今日は土曜日、作品紹介の日です。今年前半を飾るメインの七福神シリーズの1作目
「大黒天」です。やさしそうな顔に仕上がりました。
大黒天の簡単な紹介です。
 
だ い こ く て ん
大黒天は、大自在天の化身ともいわれ、大国主命と神仏習合したものである。一度仏となったが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたという。大地を掌握する神様(農業)でもある。大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿が一般によく知られていて財宝、福徳開運の神様として信仰されている。
 
きのうの朝、予報は雲が多いだったのですが、きれいに明けました。
 
ネットで見たニュース、日本の神社で効果があるのでしょうか? それにしても、
人間のお金信仰はすさまじいです。
「春節休み」で来日した台湾からの観光客
「金運アップ。銭洗いでこの紙幣を洗った。(1000円札は)娘が買い物する時に使う」
小網神社は「東京銭洗い弁天」とも呼ばれ…
「中国のお金を洗っています。しかも写真を撮っています」
中国のSNSで大きな話題になっているというのです。中には…
「クレジットカードも洗ってます。財布をまるごと洗ってる」
「春節休み」で来日した香港からの観光客
「日本で祈ったんだから、お金が増えてほしい」
さらに電子マネーが普及した今らしく…
「携帯をお洗いになる方もいらっしゃる。あまり推奨はしてないですけど。
無造作に何も考えずに洗う方も中にはいらっしゃる」
 
きのうも、午後に新しいコースのヨーカドー館内歩きをやりました。余り、歩数が
増えないように気をつけて早目に引き上げ、2,243歩で帰りました。
妻は、別行動で同じマンションの2人と女子会、近所の喫茶店に行きましね。
楽しくおしゃべりして、5時頃帰ってきました。どんどん我が家の内情が洩れ出て
行くようです。
 
日の入り時はすっかり雲がかかった富士山でした。
 
今朝は3℃、最高も11℃までの曇り空の一日のようです。
 
大黒天の詳しい解説がありました。
ヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。“マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒、闇黒)を意味するので偉大なる暗黒(闇黒)の神『大黒天』と名づく。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。

シヴァ神のマハーカーラがそのまま密教に取り入れられたため、初期の大黒天はシヴァと同様に四本の手に三叉戟、棒、輪、索をそれぞれ持った像として描かれた。さらには、ブラフマーとヴィシュヌをも吸収していき、ヒンドゥー教の三神一体(ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)に対応した三面六臂の憤怒相の大黒天(マハーカーラ)も登場した。

後期密教を継承したチベット仏教では、大黒天(マハーカーラ)の像容は多彩であり、一面二臂・一面四臂・一面六臂・三面二臂・三面四臂・三面六臂などがある。(シヴァに由来しながらも)シヴァとその妻パールヴァティー、もしくはガネーシャを踏みつけてヒンドゥー教を降伏させて仏教を勝利させる護法尊としての姿が主流となった。チベット・モンゴル・ネパールでは貿易商から財の神としての信仰を集め、チベットでは福の神としての民間信仰も生まれた。

日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。

本来の像容は、一面二臂、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現される。『大黒天神法(嘉祥寺神愷記)』には、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている[注釈 1]。この袋の中身は七宝[注釈 2]が入っているとされる。

  • 胎蔵生曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。

ほとんどが一面だが、上述のように毘沙門天・弁才天と合体した三面六臂の大黒天も作られた。

以上のような憤怒相は鎌倉期の頃までで、これ以降、大国主神と習合して現在のような柔和相で作られるようになるが、まれに観世音寺福岡県)にある大黒天立像のように憤怒相の像も見られる。

 

コメント (4)
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