閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなりましたが、近くで楽しい仲間との歌を楽しみます。

アグネス <グルーの月泥棒>

2017-10-26 12:47:26 | ディズニーキャラ
三姉妹の三女で、性格が純粋で誰にでも友好的に接しますが、内面では
愛に飢えています。三姉妹の中では最もグルーに懐いています。
ユニコーンが大好きで、ぬいぐるみをねだります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たなか先生

2017-10-26 12:43:01 | はなかっぱ
はなかっぱ達の通う学校の先生で、すごい熱血漢です。
いつも「ほっほっほっほっ」と言って走っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「北上夜曲」

2017-10-25 13:31:10 | 今日の歌
2週間ぶりの今日の練習曲は、下記でした。
■ 北上夜曲
■ 車にゆられて
■ 聖者が町にやって来る 
■ 喜びの歌 
■ サウンド・オブ・ミュージック
■ 赤鼻のトナカイ

それで、今日の歌は懐かしの「北上夜曲」です。

この歌は、昭和20年代の初めごろから、岩手県盛岡、宮城県仙台あたりから自然発生的に歌われ始めたそうです。
そして、盛岡や仙台の大学・専門学校に日本各地から遊学していた学生たちが帰省の際に持ち帰って、後輩などに教えたことから、しだいに全国に広まり、昭和30年代初めには歌声喫茶の定番曲の1つとなりました。
北上は「きたがみ」ではなく、「きたかみ」と読むのが正しく、響きも澄んだ感じがします。

コメントからコーラスの歌が聴けます。

北上夜曲
作詞:菊地規、作曲:安藤睦夫
1 匂い優しい白百合の
  濡れているよなあの瞳
  思い出すのは 思い出すのはは
  北上河原の月の夜

2 宵の灯(ともしび)点(とも)すころ
  心ほのかな初恋を
  思い出すのは 思い出すのは
  北上河原のせせらぎよ

3 銀河の流れ仰ぎつつ
  星を数えた君と僕
  思い出すのは 思い出すのは
  北上河原の星の夜

4 春のそよ風 吹く頃に
  楽しい夜の くちづけを
  思い出すのは 思い出すのは
  北上河原の愛の歌

5 雪のちらちら降る夜に
  君は召されて天国へ
  思い出すのは 思い出すのは
  北上河原の雪の夜

6 僕は生きるぞ 生きるんだ
  君の面影胸に秘め
  思い出すのは 思い出すのは
  北上河原の初恋よ

6番まであるのですが、今回歌うのは3番までです。

「二木紘三のうた物語」に詳しい解説があります。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_0d5a.html
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見附(天竜川図)

2017-10-19 13:03:32 | 歌川広重 東海道五十...
京から27宿目、見附宿です。

浜松から見附までは4里7町の長い道のりですが、その途中に「暴れ天竜」と
呼ばれた急流を船で渡らねばなりませんでした。
天竜川の川幅は東海道あたりで約10町(1090m)ほどで、川には中州があり、
大天竜、小天竜と呼ばれていました。この二つの瀬を舟で渡ることを「ニ瀬越え」
と呼んでいたそうです。
この絵も「二瀬越え」の風景を描いたものですが、手前の舟を撮ると向こう側が
見えなくなるので、BEFORE & AFTER で掲載しました。
<Before>

向こう側は行きかう多くの舟や舟待ちの人々がにぎやかですが、手前側は客待ち
の二人の船頭ののんびりした風情が描かれています。
中央の舟待ちの集団の制作に一番時間がかかったのですが、結局はよく見えなく
なっているのは、まだ、未熟な腕のためですね。
<Ater>

原画はこちらです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コロラドの月」

2017-10-18 14:43:16 | 今日の歌
2週間ぶりの今日の練習曲は、下記でした。

■ コロラドの月
■ ます
■ 浦のあけくれ
■ 私の回転木馬
■ Sound of Silence
■ 赤鼻のトナカイ
今日は月一度のピアノのK先生がいらっしゃる日で、練習も熱が入りましたが、
2週間経つとすっかり忘れていることも多く、困ったものです。

今日の歌は「コロラドの月」です。我々は混声3部で歌っていますが、同じよう
な譜面で歌っていて女声と男声のパートの取り方が違うと、曲想もえらく違って
います。

歌はコメントから聴けます。

「コロラドの月」   モール作詞
            キング作曲
            近藤玲二訳詞

コロラドの月の夜 一人ゆく岸辺に
思い出を運びくる 遥かなる流れよ
若き日、今は去りて 君は何処に
コロラドの月の夜 はかなく夢はかえる

コロラドの山の端に 涙ぐむ星影
今もなお忘られぬ 麗しき瞳よ
夜空に君の幸を 遠く祈れば
コロラドの山の端に はかなく夢は絶えず

我々の楽譜には1番の歌詞だけなのですが、2番は終わった恋の想いが
なお深くしのばれます。

二木紘三の「うた物語」に原詩も含めて解説がありました。時間のある方はどうぞ。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2013/12/post-e874.html
英語の原詩も紹介されていましたが省略します。

連取後の茶話会でクリスマスコンサートの曲目の確認がありましたが、サウンド・
オブ・ミュージックのメロディーが復活しました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ししじゅうろく博士

2017-10-12 11:46:55 | はなかっぱ
今回からは、やまびこ村に住む住民です。
発明家で、はす次郎おじいちゃんとは同級生だったとか。
研究所で、いつも“すごいけど、変なもの”ばかりを発明しています。

楽しく制作できました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イディス <グルーの月泥棒>

2017-10-12 11:42:29 | ディズニーキャラ
三姉妹の次女ですが、好奇心旺盛で何にでも手を付けたがるので、よく騒動を
巻き起こしては、グルーを困らせています。
いつも白い長靴を履いていて、バレエの発表会も長靴でステージに立ちます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浜松(冬枯ノ図)

2017-10-05 10:57:17 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて26宿目、浜松宿です。
家康ゆかりの浜松城は老中に出世する大名が多く、出世城とも言われたようです。
絵の右奥にお城がありますが、実際とは違うそうです。
絵の真ん中に大木があり、広重の特徴だとか。
副題が冬枯の図となっていて、街道で半裸の男たちが焚き火にあたっています。
通りすがりの旅人が興味深くその様子を見ていて、赤子を背負った女が箒で枯葉を
集めている様子が描かれています。
画面にある松の疎林は有名な「颯々(さざんざ)の松」を描いたものらしいです。

こちらは、別角度からです。

最初に絵を見た時に、どうやって創ろうかと一日考え込んでしまいましたが、何とか
完成できうれしい想いの作品になりました。

原画はこちらです。


嬉しいことがありました。みなかみさんに「白須賀」を貰っていただけることに
なりました。置き場所に困っていますので、次の作品の場所ができます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えぼし麻呂<第六天神社>

2017-10-05 10:51:42 | ゆるキャラ
今、お世話になっている接骨院で先生が提灯が欲しいと言って
いましたので、小さいですが制作してプレゼントしました。
早速に入口に飾っていただいています。
近い将来、道路の向かいにある第六天神社に納めるかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はなかっぱのお友達

2017-10-05 10:43:40 | はなかっぱ
はなかっぱのお友達が完成したので記念写真を撮りました。
左から、カラバッチョ、ももかっぱちゃん、すぎるくん、てれてれぼうず、
ももかっぱちゃんのお兄さんの5人でした。
ももかっぱちゃんは写真映りが悪いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「峠の我が家」

2017-10-04 14:59:09 | 今日の歌
今日は、新しく入った男声 I さんの歓迎会をやりました。いつもの「えぼし」で
のランチ会を兼ねましたが、皆さん気心も知れ楽しい時間になりましたね。
練習後に一杯やりながら語らうのは何よりです。
次回は、I さんの奥様を呼ぶためにもう一人の I さんの奥様を呼ぶことが肝要と
なりましたが、どうなりますか。

さて、今日の練習曲は、下記でした。
■ 峠の我が家
■ 赤鼻のトナカイ
■ Sound of Silence
■ コロラドの月
■ 浦のあけくれ
クリスマスコンサートに向け、まずは、音程をしっかりと確認した今日でした。

今日の歌は「峠の我が家」です。この歌の日本語題名には元の歌とは違った意
味が込められているのが解りました。 


歌はコメントから聴けます。

「峠の我が家」 アメリカ民謡 訳詞:岩谷時子

1 あの山をいつか越えて 帰ろうよ我が家へ
  この胸に今日も浮かぶ ふるさとの家路よ
  (コーラス*)
   ああ我が家よ 日の光り輝く
   草の道 歌いながら
   ふるさとへ帰ろう

2 あの山を誰と越えて 帰ろうか我が家へ
  流れゆく雲の彼方 ふるさとは遠いよ
   (コーラス*)
   ああ我が家よ 日の光り輝く
   丘の道歌いながら
   故郷へ帰ろう

原語詞です。
" Home On The Range " 作詞:Brewster Higley (1876)

1. Oh, give me a home where the Buffalo roam
Where the Deer and the Antelope play;
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not cloudy all day.
(Chorus*)
A home! A home!
Where the Deer and the Antelope play,
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not clouded all day.

2. Oh! give me a land where the bright diamond sand
Throws its light from the glittering streams,
Where glideth along the graceful white swan,
Like the maid in her heavenly dreams.
(Chorus*)

3. Oh! give me a gale of the Solomon vale,
Where the life streams with buoyancy flow;
On the banks of the Beaver, where seldom if ever,
Any poisonous herbage doth grow.
(Chorus*)

4. How often at night, when the heavens were bright,
With the light of the twinkling stars
Have I stood here amazed, and asked as I gazed,
If their glory exceed that of ours.
(Chorus*)

「二木紘三のうた物語」から引用です。(時間のある方はどうぞ)

1871年、医師ブリュースター・ヒグリー(Brewster Higley)は、インディアナ州か
らカンザス州に移住、小さな土地に小屋を建てて暮らしていました。

 ある日、彼は小屋の近くを流れるビーヴァー川の川岸に腰を下ろし、目路をかぎり
の豊かな草原を楽しんでいました。そこかしこで群れ遊ぶバッファローや鹿、アンテ
ロープなどを眺めているうちに、一つの詩想が浮かびました。

 彼はそれをノートに書きつけ、小屋に帰ってから"My Western Home"(『西部の我
が家』)という詩に仕上げました。1872年秋のことです。
 これがのちにアメリカ中で、さらには世界中で歌われるようになった"Home on the
Range"(『峠の我が家』)の原詞です。

 彼はこれを発表するつもりはとくになかったのですが、ある日訪ねてきた地元民の
T.リーズという男がこれを読んで大感激し、ぜひ歌にすべきだとヒグリーを説得した
のです。
 たまたまヒグリーの友人にダニエル・E・ケリー(Daniel E. Kelley)というヴァ
イオリン奏者がいて、彼が作曲を引き受けることになりました。

 できあがった歌は、たちまちその地方一帯の住民たちに愛唱されるようになり、さ
らにその地を通過する移住者や牧童たちによって、西部各地に広められていきまし
た。

 歌詞は自然に恵まれたふるさとを恋うという人間の普遍的な感情を歌ったもの。そ
のため、自分のふるさとを歌った歌詞が付け加えやすく、"My Colorado Home"(『コ
ロラドの我が家』)や"My Arizona Home"(『アリゾナの我が家』)といったヴァリ
エーションが続々と生まれました。

 さまざまな歌詞が広まっていくうちに、もとの作詞者・作曲者の名前はすっかり忘
れられてしまいました。

 原作者が問題になったのは、1920年代に入って、レコードが発売されたり、ラジオ
で流されたりするようになってからです。2人組のアリゾナ人が、曲は自分たちが
作ったものだと主張して、NBCラジオやレコード会社を訴えたのです。
 そのため、"Home on the Range"は、放送もレコード販売もできなくなってしまい
ました。

 被告側も黙っていませんでした。弁護士を雇ってオリジナルを探させたのです。弁
護士は、ミシシッピからカンザスまで中西部各州を歩き回り、ついにヒグリーのオリ
ジナル"My Western Home" の1876年版を発見したのです。
 これにより、原作者問題は決着がつき、放送もレコード販売もできるようになりま
した。

 ヒグリーは1911年、ケリーは1905年に亡くなっていた(ケリーは自殺)ので、この
ドタバタ騒ぎを知ることはありませんでした。

 この歌は、フランクリン・ルーズベルト大統領が1932年に、最も好きな歌だ、と述
べたことで有名です。また、1947年には、この歌がカンザス州の公式の州歌となりま
した。

 ところで、"Home on the Range"は、日本語詞ではいずれも『峠の我が家』となっ
ています。しかし、rangeには峠という意味はありません。
 rangeは連なりとか範囲を示す言葉で、地形について言えば、山脈とか高地、平
原、草原、広野、牧草地などを意味します。ですから、"Home on the Range"をその
まま訳すと、「草原の我が家」とか「牧場の我が家」といった言葉になります。

 だいいち、カンザス州はプレーリーのまっただ中にあり、峠らしい峠、少なくとも
日本人が峠と感じるような地形は見当たりません。州全体が、西のコロラド高原から
東のミズーリに向かって緩やかに傾斜する大平原です。

 それでは、日本語詞の作詞者たちは、なぜ「峠の我が家」としたのでしょうか。

 大平原が広がるアメリカ中西部やモンゴルなどと違って、山の多い日本では、ふる
さとから出て行くにしても帰ってくるにしても、多かれ少なかれ峠を通ることになり
ます。もちろん今はトンネルや道路が整備されて、峠越えしなくてはならないところ
はあまりありません。

 しかし、日本人の長い生活史のなかで、ふるさとは峠のイメージと密接に結びつい
ています。そこで、あえて『峠の我が家』としたのではないでしょうか。
 『峠の我が家』には、峠にある我が家という意味のほかに、峠の先にある我が家と
いう意味も含まれていると思いますが、いかがでしょうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする