閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

日本橋(朝之景)

2019-01-02 18:51:07 | 歌川広重 東海道五十...

江戸到着です。

夜明け前に大名は江戸を立つようです。日本橋は東海道をはじめとして五街道の起点でした。
中央は日本橋を渡る大名行列で、旅のモチーフとして沢山使われています。
行列を避けるように足を速める行商の魚売りや青物売りがいます。
場所が狭くなり、ぎゅうぎゅう詰めになりました。
橋の傍らには幕府の行政指示の高札があります。さすがに日本橋です。
何と言っても江戸の華は火事と喧嘩、物見やぐらが沢山あります。
少しアップしました。

 

東海道53次ですが、絵は55枚ありました。それで途中から数えるのをやめましたが。
一番の苦労は手前の風景が描かれていないことで、江戸の街並みの写真を参考にしました。

 原画はこちらです。

広重の東海道シリーズを終え、ほっとしております。

 

広重の次ですが、北斎の「富嶽三十六景」を制作することにしました。
広重作品で紙紐細工の腕が少々上がりましたので、やってみます。
何と言ってもあの “Great Wave ”を作りたいのですが、北斎の「富嶽三十六景」解説付きと
いうサイト掲載順に制作することにしました。
それで、第1作目は赤富士で有名な「凱風快晴(がいふうかいせい)」です。
さて、この平面画をどう立体化するか、です。目標は以前と同じ2週間にしました。
 
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品川(日之出)

2018-12-20 20:15:13 | 歌川広重 東海道五十...
江戸まで二里(4Km)となった品川宿です。ここは、東海道で規模の大きい宿で、旅籠には
沢山の飯盛り女がいたそうです。
絵は、江戸から見た品川宿の入り口付近で、榜示杭があります。
左側には、赤い提灯を吊るした簡素なつくりの茶屋が4軒並んでいます。
この付近は江戸湾を望み眺望がよかったようです。
副題は、夜明け前に江戸を断ち、品川で日の出を迎えたとしているようです。
大名行列も最後尾を描いているようです。
少しアップしました。
 
原画です。
 
この作品でも絵に描いたようには制作できず、榜示杭がその代表でした。
でも、絵に描かれていないところを制作するのも楽しいものでした。
次は、最後となる江戸・日本橋です。有終の美としたいですね。
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川崎(六郷渡舟)

2018-12-06 08:37:39 | 歌川広重 東海道五十...

江戸まで残すは品川だけとなった川崎宿です。
品川との間に流れているのが多摩川です。度々の洪水で橋が流され、六郷の
渡しとして渡舟になったようです。
向こう岸の家並みが川崎宿となっていて、舟待ちの人々が沢山います。
渡し舟には竿を操る船頭、のんびり煙草をくゆらす商人、談笑する一団が乗って
います。

  

絵を見て、「いやー、どうしよう」と思いました。
富士山があり、家屋・木々が多く、おまけに渡し舟と乗客の人数の多いことです。
おまけに不得意の馬もいましたね。
懐かしくも、富士山はこれが最後の制作となりました。
中央奥に舟場会所があって船賃を支払う場面もあるのですが、見えなくなって
しまいました。もう少し上に作ればよかったと反省しきりです。

少しアップしました。

原画です。

次は、いよいよ品川です。

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神奈川(台之景)

2018-11-15 12:43:48 | 歌川広重 東海道五十...
かっての神奈川宿の見どころは宿場西半分の「台」で、緩やかな坂を上った
台地があり、すぐ側まで海岸が迫る絶景だったそうです。
今は、横浜駅北口のビル群になっています。
絵では急坂になっていて高台が強調されています。
坂道に並ぶ茶屋の前で茶屋女が道行く男の袖を力一杯に引いています。
その他、巡礼の親子や厨子を背負った六部の歩く姿もあり、街道の賑わいが描かれています。
左側の海では規則正しく舟が配置されていて、手前の断崖は野毛だそうです。

 完成品です。

別角度からです。

 

原画はこちらです。

  
今回は、家並みをきちんと作ろうと手前から制作し始めたのですが、途中で終わってしまいました。
全部を作るには紙1-2枚分の家の厚さにしないとダメでした。でも、雰囲気は出ました。
それより、舟が割とうまく制作でき喜んでいます。
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保土ヶ谷(新町橋)

2018-10-26 09:42:05 | 歌川広重 東海道五十...
もう江戸に近いので宿場を数えるのはやめました。
保土ヶ谷宿は、現在のJR保土ヶ谷駅の西口を出たところと言われています。
宿場を分断して流れる帷子川に架かる橋が帷子橋ですが、これを新町橋が正しい名前のようです。
加護に乗った武家の一行と対岸で笠を被った一団、そば屋の前で話す女たちが描かれています。

  

原画はこちらです。

  

広重の絵は遠近法を駆使しているのですが、紙紐では難しかったですね。

今回は橋と護岸を頑張って作りましたが、橋の上の人物は窮屈になってしまいまいした。次回こそと思いながら、うまく出来ないうちに江戸に着いてしまうかも知れません。

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戸塚 (元町別道)

2018-10-11 09:49:56 | 歌川広重 東海道五十...

京から数えて51宿目、戸塚宿です。

戸塚宿までは相模国だったそうで、次の保土ヶ谷宿は武蔵国になります。
戸塚宿を貫流するのが柏尾川で架かっているのが吉田橋です。戸塚宿の入り口、柏尾川に架かる吉田橋。通称・大橋と呼ばれ、呼び名の通り立派な橋でした。
絵の「こめや」の看板の店は実際にあった茶屋だそうで、軒下の下げ札は参拝する団体名の講が書いてあり、特約店を示すそうです。米で作った餅菓子で有名な店でした。
副題の「元町別道」は鎌倉街道の別名だそうで、石の道標には「左りかまくら道」と書いてあります。
戸塚宿は鎌倉街道と大山道の交差する交通の要衝でした。
絵には「えいやっ」と馬から飛び下りる旅人が描かれていますが、一説に、後には米相場が下りるのが縁起が悪いと米屋が嫌って、馬に乗るように変更されています。

 

今回は、前作の反省で人物を丁寧に制作したら、人物が大きくなり背景とのバランスが
悪くなりました。なかなか、難しいものです。
 
 
少し角度を変えました。
 
原画です。

 

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藤澤 (遊行寺)

2018-09-27 12:46:33 | 歌川広重 東海道五十...
とうとう我が街を飛び越していきました。
京から数えて50宿目となりました。
小高い岩山の上に見えるのは副題の有行寺の伽藍です。
遊行寺は遊行上人こと一遍を開祖とする藤沢山(とうたくさん)無量光院清浄光寺のことだそうです。
東海道はこの寺の脇の坂道を下り絵にある境川に架かる大鋸橋(現在の遊行橋)を渡ります。
藤沢宿は遊行寺の門前町でもありました。実際の遊行寺はこんな高いところになく、いつもの広重の誇張癖が
出ているそうです。
街道には実にいろんな人がいますが、橋の中央には大きな木太刀をかつぐ一行、手前の鳥居に向かっている
座頭の一行がいます。前者は揃いの法被を着た大山講の一行で、座頭が向かう鳥居は江の島弁天の一の鳥居です。
 
少しアップしました。
 
原画です。
 
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平塚(繩手道)

2018-09-13 12:46:17 | 歌川広重 東海道五十...

京から数えて49宿目、平塚宿です。

旧東海道は現在のJR平塚駅の北200mほどのところを東西に走る道路に相当するそうです。

この絵のは平塚宿の西の入り口で榜示杭が立っています。西を望むとお椀を伏せたような山が高麗山らしいです。

その奥のごつごつした稜線の山は大山となっていて、広重の誇張した作風が伺えます。その間に富士山が顔を出していますね。

副題の「繩手道」は、田んぼの中の畦道のことを言います。道の先に見える土橋は「花水小橋」と言われています。

通行人のうち、向こうから走って来る飛脚はすぐに判ったのですが、手前の二人連れらしいのがよく判らず困りました。

少し角度を変えました。富士山がよく見えています。

原画はこちらです。

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大磯(虎ヶ雨)

2018-08-30 19:53:46 | 歌川広重 東海道五十...

京から数えて48宿目、大磯宿です。

この絵の場所は、大磯宿の東の出入り口で、宿場の境界を示す榜示杭があります。

また、今も残る松並木も沢山ありました。

副題の「虎ヶ雨」とは、旧暦5月28日に降る雨ということです。

この日は、「曽我物語」で知られる曽我十郎の命日だそうで、十郎の恋人である

虎御前が悲嘆に暮れ泣いた涙雨ということです。新暦では、梅雨時ですね。

原画はこちらです。雨が見えます。

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小田原(酒匂川)

2018-08-16 19:25:01 | 歌川広重 東海道五十...

知った地名が多くなってきました。

京から数えて47宿目、小田原宿です。

この絵は、人物が微細に描かれていて、対岸の順番待ちの駕籠の一行や休息する人足などの
一方で、川中では武家の駕籠を担ぐ人足、供の者を肩車で渡す人足がいます。
一面の芦原の向こうには小田原城があります。
その背後に迫っているのが前の宿の箱根を想定したものだと言います。
酒匂川は水量の少ない10月から2月は板橋がかかっていますが、増水期は絵のような徒士
渡しが行われたそうです。
 
原画はこちらです。
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箱根(湖水図)

2018-08-02 18:19:46 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて46宿目、箱根宿です。
箱根の山は天下の険、東海道の難所です。
絵では山の険しさを誇張しているだけでなく、モザイク模様の岩肌を派手に描いています。
湖水に向かって下る権現坂と思われる街道を大名行列が通っています。
湖水の向こう側には富士山がうっすらと見えていて、岸辺には箱根権現(箱根
神社)の屋根が見えています。
 
原画はこちらです。
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三島(朝霧)

2018-07-19 11:26:56 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて45宿目、三島宿です。遠景が朝霧でぼやけている想定です。
三島宿は伊豆国で唯一の東海道の宿場です。
ここは伊豆国の一の宮で、頼朝が源氏再興を祈願した三島大明神の門前町でもあります。
この絵の解説によると、早朝の朝霧の中を行き来する旅人を描いています。
大鳥居、玉垣、社殿、家並みはシルエットになっており、左向こうに遠ざかる
旅人もぼんやりしているはずでした。
一方で、中央の一団ははっきりと描かれています。馬上に人と荷物を乗せるのを
乗掛(のりかけ)というそうで、荷物は20貫目までとなっています。
当時の馬は、人間同様、力持ちだったんですね。
朝早く立った旅人は箱根へ急ぐようです。
少しアップした写真です。
 
原画はこちらです。
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沼津(黄昏図)

2018-06-28 13:55:42 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて43宿目、沼津宿です。
この絵の解説によると、街道に沿った川は駿河湾に注ぐ狩野川となっています。
前方の橋は牢人橋、その先の大屋根は日枝神社です。
この絵では、満月が西から昇るというあり得ない景色となっていて、広重の失敗かと
言われていますが、月に照らされた風景が主題とされています。
手前の大きな天狗の面を背負った行者風の男は、金毘羅参りだそうです。
一方で、その前の母娘の二人連れは諸国遍歴の比丘尼とされています。
いずれも遠い旅路を旅人を日暮れ時に描いた旅愁溢れる絵です。
 
別角度からです。橋も架かっていますでしょう。
 
 
原画はこちらです。
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原(朝之富士)

2018-06-14 13:05:06 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて42宿目、原宿です。大きな富士山が現れました。
 
原宿は現在の沼津市原だそうで、東海道でもとりわけ富士山が大きく見えるそうです。
 裾野を覆っているゴツゴツいして稜線は愛鷹山です。
一面は葦の原っぱが広がっていて、鶴が羽を休めています。
手前の街道には、両掛けの荷物を担う供を連れた母と娘と思われる二人連れの女の旅人が
います。
先頭を歩む母親らしい女は笠に手をかけ振り返っていますが、その視線の先には富士山が
ありません。
彼女は副題にある、登る朝日を見ているそうです。
原っぱの鶴がいい感じで出来ました。
 
少しアップした写真です。
 
 
原画はこちらです。
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吉原(左富士)

2018-05-31 10:27:04 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて41宿目、吉原宿です。二つ目の富士山の登場です。
 
江戸時代初期の吉原は田子の浦に面していましたが、津波対策で内陸よりの
新吉原に移転したそうです。
かっての元吉原はJR東海道本線の吉原駅近くで、新吉原はそこから北西の
岳南鉄道吉原本町駅付近になります。
東海道を下る旅人には、ずっと右手に見えていた富士が、街道の大きな湾曲に
よって左側に見えてくるのでこの名があります。
絵は東海道のジグザグの松並木を行く3人の子供を乗せた一頭の馬を描いて
います。真ん中の子供は左に見える富士を見上げているようです。
この乗馬は、三面六臂(頭が三つで腕が六本)の仏像の形に例えて「三宝荒神」
という乗り方だそうです。
角度を変えてアップしました。
 
原画はこちらです。
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