1965年(昭和40年)に同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボートで下った日。
また、1989年(平成元年)に海洋冒険家の堀江謙一(ほりえ けんいち)が世界最小(全長2.8m)のヨット「ミニマーメイド号」での太平洋の単独往復(サンフランシスコ~西宮間)を達成した日でもある。
「冒険家」や「探検家」は英語で「adventurer」(アドベンチュラー)と呼ばれる。新大陸の発見、未知の民族や文化の探検、ヨットや気球、オートバイでの大旅行の敢行、ジェット機での音速の壁への挑戦など、様々な冒険のかたちがある。
有名な冒険家として、大航海時代に新大陸としてアメリカを発見したイタリアのクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus、1451~1506年)や、ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海したポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama、1460~1524年)が挙げられる。
その他にも、奈良時代に仏教を日本に伝えた唐僧・鑑真(がんじん、688~763年)や、『東方見聞録』によりヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介したマルコ・ポーロ(Marco Polo、1254~1324年)、スウェーデンの地理学者で中央アジアを探検したスヴェン・ヘディン(Sven Hedin、1865~1952年)などがいる。
関連する記念日として、8月12日は1962年(昭和37年)に堀江謙一が小型ヨット「マーメイド号」で日本人初の太平洋単独横断に成功した日であり、「太平洋横断記念日」となっている。
また、クリストファー・コロンブスが1492年10月12日に新大陸のアメリカに到達した日に由来して、10月の第2月曜日は「コロンブス・デー」となっている。
リンク:Wikipedia
東京都中央区日本橋茅場町に事務所を置き、焼肉店を運営する企業などで構成される「全国焼肉協会」(JY)が1993年(平成5年)に制定。
日付は「や(8)きに(2)く(9)」(焼き肉)と読む語呂合わせから。夏バテ気味の人に焼き肉を食べてスタミナを付けてもらうことが目的。この日を中心に、地域社会への貢献と販売促進を目的とし、全国各地の加盟店が社会福祉施設などをお店に招待したり、出張バーベキューなどを行っている。7月20日頃の「土用の丑の日」、7月23日の「天ぷらの日」とともに食べ物の「夏バテ防止の三大記念日」ともいわれている。
焼き肉について
焼き肉(焼肉)とは、牛・豚などの肉を焼いたもの。また、肉や内臓にタレをつけ、直火で焼きながら食べる特定の東洋料理を指す場合もある。
焼いた肉料理を指す「焼肉」という語の使用は古く、例えば仮名垣魯文の『西洋料理通』(1872年〈明治5年〉)にはバーベキューの訳語として使用されている。同年出版の『西洋料理指南』においても、獣肉を焼いた料理の意味で使用されている。また、張赫宙の『権といふ男』(1933年〈昭和8年〉)という小説では朝鮮料理の焼肉が登場している。近年では水木しげるの漫画『墓場の鬼太郎』に鶏の丸焼きを指して「焼き肉」と呼ぶ台詞がある。
東洋料理を指す「焼肉」は現在広く使用されており、調理器具として主に鉄板や焼網を用いたものをいう。一般的に「焼肉店」と称するレストランはこの料理を提供している。総務省統計では「焼肉店」を東洋料理のものと限定しており、ステーキ店などの西洋料理は含まない。
焼肉は単純に肉を焼くという形式であっても、味付けや調理方法の違いによって世界で様々な料理が見られる。東洋料理の「焼肉」の他、ローストビーフやローストポーク、焼き鳥、ステーキ、ジンギスカン鍋、バーベキューなどが挙げられる。
大阪府羽曳野市誉田(はびきのし こんだ)で埴輪づくり体験や埴輪グッズの販売などを行う「河内こんだハニワの里 大蔵屋」(運営:大蔵印刷工業株式会社)が制定。
日付は「は(8)に(2)わ(8)」(埴輪)と読む語呂合わせから。
同社の周囲には2019年(令和元年)に世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)があることから、この地域の古墳についてより知識を深めて未来へ継承していくことが目的。記念日は2020年(令和2年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
今から約1500年前の古墳時代、河内こんだエリアでは数多くの埴輪がつくられた。周辺には応神天皇陵古墳や墓山古墳などの古墳が点在している。この歴史と文化が息づく地に、様々な角度から古墳や埴輪の魅力に迫る大蔵屋がオープンした。そして、人と人が出会い、人と古墳・埴輪がつながる場となっている。
大蔵屋では、埴輪づくり体験ができるほか、はにわ弁当や古墳・埴輪グッズの販売、古墳ギャラリーによる古墳や埴輪の資料展示などを行っている。
また、百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたことを記念して、毎年、埴輪づくりコンテストとして「はにわグランプリ(828GP)」を実施しており、「埴輪の日」の8月28日に結果が発表される。
なお、埴輪は、古墳時代の日本に特有の器物で、一般的には土師器(はじき)に分類される素焼き土器である。土を積み上げた古墳の墳丘や造出(つくりだし)の上に並べ立てられた。
1993年(平成5年)のこの日、東京で東日本最大のつり橋「レインボーブリッジ」が開通した。
東京都の港区芝浦地区と台場地区を結ぶ。工事の開始は開通6年前の1987年(昭和62年)のこと。「レインボーブリッジ(Rainbow Bridge)」の名前は「虹の橋」という意味で、一般公募により決められた愛称であり、正式名称は「東京港連絡橋」である。
全長798m、幅49m、主塔の高さ126m、水面からの高さ50m。上層が有料の首都高速道路11号台場線、下層が無料の臨港道路・遊歩道とゆりかもめの二層構造になっている。
海とともに東京タワーや高層ビル群が一望でき、昼間の眺望や夜景が良好なことから週末のドライブコースとして人気がある。国土交通省の関東地方整備局が2003年(平成15年)に選定した「東京湾100選」指定の観光名所となっている。
日没後にはライトアップがされるが、レインボーブリッジ開通20周年などの記念日には虹色の特別ライトアップがされることがある。
その他にも、10月1日の「ピンクリボン運動」のピンク色特別ライトアップや11月14日の「世界糖尿病デー」の青色特別ライトアップなどの特別ライトアップが行われることがある。
2003年(平成15年)に公開された映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』のように、映画やテレビドラマ、漫画、アニメなどでレインボーブリッジが登場する作品がある。
上記の映画『踊る大捜査線』では、織田裕二が演じる主人公・青島俊作の「レインボーブリッジ封鎖できません!」が象徴的とも言える名ゼリフとなっている。そのシーンなどでレインボーブリッジが登場しているが、実際に現地での撮影は行っていない。
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1757年(宝暦7年)旧暦8月25日、江戸時代中期の前句付けの点者・柄井川柳(からい せんりゅう、1718~1790年)が最初の万句合(まんくあわせ)を興行した。
東京都新宿区西新宿に本社を置き、睡眠改善薬「ドリエル」などの医薬品・医薬部外品・化粧品・食品の製造・販売を行うエスエス製薬株式会社が制定。
日付は「ふ(2)み(3)ん」(不眠)と読む語呂合わせから2月3日に。また、不眠の症状は一年中起こるので、同じ語呂合わせで毎月23日も「不眠の日」とした。
日本人の約53%がなんらかの不眠症状を持っていると言われる。しかし、その中の多くの人が対処方法や改善手段の正しい知識を有していないことから、記念日を通して不眠の改善について適切な情報発信を行う。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
睡眠改善薬について
同社の睡眠改善薬「ドリエル」は、「寝つきが悪い」「眠りが浅くて夜中に目が覚めてしまう」といった、「一時的な不眠症状」の緩和に効果があり、薬局・ドラッグストアなどで購入することができる。
医薬品には、医師の処方が必要な医療用医薬品と、薬局・ドラッグストアなどで購入できるOTC医薬品(一般用医薬品)の2種類があり、睡眠薬・睡眠導入剤は医療用医薬品、睡眠改善薬であるドリエルはOTC医薬品に分類される。
睡眠改善薬は、慢性的な「不眠症状」に使用する睡眠薬・睡眠導入剤とは異なり、「一時的な不眠症状」に使用するものである。睡眠誘発作用は比較的緩和で、自然に近い眠りに導く効果が期待できる。
リンク:エスエス製薬
子守唄と守り子歌
日本の民謡や童歌などで、「子守唄」とされる歌には、本来の童話(子供を寝かしつけるための歌)と、守り子唄(もりこうた)と呼ばれる唄とがあるといわれており、五木の子守唄は、守り子唄のひとつである。
守り子唄とは、子守をする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌である。かつて子守の少女たちは、家が貧しいために、「口減らし」のために、預けられることが多かったという。
歌詞には「おどま勧進勧進」という言葉が出てくる。
「 | おどま かんじん かんじん あん人たちゃ よかしゅ よかしゃ よかおび よかきもん | 」 |
ここに出てくる「かんじん」とは、「三十三人衆」と呼ばれる地主層に対しての「勧進」(小作人)という意味で、ここでは「物乞い」「乞食」という意味で用いられている。歌の意味は「私は乞食のようなものだ。(それにくらべて)あの人たちは良か衆(お金持ち、旦那衆)で、良い帯を締めて立派な着物を着ている」となる。
伝承によれば、治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、「かんじん」と呼ばれた小作人(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷から農具に至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てなくてはならなかった。娘たちも10歳になると、地主の家や他村へ子守奉公に出された。五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものである。
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然を 装いながら奇跡は いつも近くに居る
ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
今日と未来の間に 流れる河を夢と言うなら
あなたと同じ夢を見ることが 出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない
ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれて来た
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
くちなし
荒れていた庭 片隅に
亡き父が植えたくちなし
年ごとに かおり高く
花はふえ
今年は十九の実がついた
くちなしの木に
くちなしの花が咲き
実がついた
ただ それだけのことなのに
ふるえる
ふるえるわたしのこころ
「ごらん くちなしの実を ごらん
熟しても 口を開かぬ くちなしの実だ」
とある日の 父のことば
父の祈り
くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
高野喜久雄・詩
曲解説「くちなし」作曲:髙田三郎、作詞:高野喜久雄 | 永井友梨佳ボーカル教室♪ボイトレ・声楽レッスン|山梨県南アルプス市 (yurikanagai.com)
大阪府大阪市西淀川区に本社を置き、「熟カレー」などの食品・菓子・冷菓・牛乳・乳製品の製造・販売を行う江崎グリコ株式会社が制定。
毎月19日を記念日としたのは「じゅく(19)」(熟)と読む語呂合わせと、カレールウは毎月20日前後がよく売れることから。材料費が安く、調理も手軽なカレーライスは給料日前によく食べられるという。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
熟カレーについて
「プレミアム熟カレー」は、20種類もの食材の旨みを重ね合わせて奥深い味わいを生み出すと共に、ブレンドしたスパイスをじっくり500時間熟成させて深みのある芳醇な味わいを生み出している。大人の味覚とこだわりを満足させる、上質な深い味わいのカレーを楽しむことができる。種類にはプレミアム熟カレーの甘口・中辛・辛口、プレミアム熟ハヤシがある。
リンク:プレミアム熟カレー
1915年(大正4年)のこの日、大阪府の豊中球場(豊中グラウンド)で第1回「全国中等学校優勝野球大会」が開会した。
地区予選を勝ち抜いた10校が参加し、同年の8月22日に決勝戦が行われた。京都二中と秋田中との対決で、2-1で京都二中が優勝した。
1924年(大正13年)の第10回大会から兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場が会場になり、戦後の学制改革を受けて1948年(昭和23年)の第30回大会から名称が「全国高等学校野球選手権大会」となった。現在では「夏の甲子園」「夏の高校野球」「夏の選手権」などとも呼ばれている。
大会の主催は、朝日新聞社と日本高等学校野球連盟(高野連)。全地方大会の出場校数は3500校前後となっている。開幕試合の始球式は、朝日新聞社のヘリコプターからボールが投下される。
それぞれのチームで最後の試合が終わった後に、甲子園の土を拾って持ち帰ることが伝統となっている。1、2年生の中にはもう一度戻ってくるという意味を込めて持ち帰らない人もいる。敗者の儀式として有名であるが優勝校も持ち帰る。なお、土は定期的に補充されているため枯渇することはない。