「大地の歌」というメインタイトルに続き、副題として「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」(Eine Symphonie für eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester )とあり、通常マーラーが9番目に作曲した交響曲として位置づけられるが、連作歌曲としての性格も併せ持っており、ピアノとソリストのための異稿も存在するため、「交響曲」と「連作歌曲」とを融合させた作品と考えられる。交響曲としてはかなり破格の存在であり、「9番目の交響曲」であるという点も影響してか、マーラーは「第○番」といった番号を与えなかった(詳しくは第九のジンクスの節を参照)。なお、ウニヴェルザール出版社から出版されている決定版総譜には「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていないところを見ると、歌曲集としての重みも非常に強い。
後にこの作品に影響を受けて、ツェムリンスキーの『抒情交響曲』や、ショスタコーヴィチの交響曲第14番が生まれている。ペンデレツキは、ベートゲの詞による8楽章からなる交響曲第6番『中国の詞』(2008年-2017年)を作曲した[1]。
作曲は1908年。6楽章からなり、テノールとアルト(またはバリトン)が交互に独唱をつとめる。歌詞は、李白(悲歌行など)らによる唐詩に基づき、ドイツの詩人・翻訳家のハンス・ベートゲ(1876年 - 1946年)が自由に翻訳・編集した詩集『中国の笛』から7編の詩を選び、これをマーラー自身が適宜改変したものによっている。
マーラーがベートゲの『中国の笛』に出会ったのは作曲の前年1907年秋(同書の出版は同年10月)と考えられるが、その年の夏、マーラーは長女マリア・アンナの死に遭い、自身も心臓疾患の診断を受けていた。同年暮れには、10年間務めてきたウィーン宮廷歌劇場の音楽監督を辞任し、渡米するという転機を迎えている。マーラーにとって、死が身近なものとなり、音楽活動だけでなく、実生活面でもヨーロッパとの訣別という心情があったと考えられる。
こうしたもとで作曲された『大地の歌』は、前作交響曲第8番までの、音楽の多声的かつ重層的な展開によって獲得していた多義性は影を潜め、これに代わって、色彩的で甘美、かつ耽美的な表現が全面に打ち出されている。書法的にも和声的・ホモフォニー的な進行が顕著になっている。とはいえ、このような特徴は、すでに交響曲第8番や第7番でも萌芽的に見られていたものである。
マーラーの作曲活動は、交響曲と歌曲が大きな柱となっているが、『大地の歌』はこの両者が融合された傑作として、マーラー作品のなかでは親しみやすい交響曲第1番、第4番とともに、早くから受容されてきた。同時に、この曲から聴き取れる東洋的な無常観、厭世観、別離の気分は、つづく交響曲第9番とともに、マーラーの生涯や人間像を、決定的に印象づけるものとなっている。演奏時間約60分。
なお『大地の歌』という日本語の訳題について、柴田南雄は「おそらく前記レコード(1939年に日本で発売されたブルーノ・ワルター指揮のレコード - 引用者註)発売時の邦訳であろうが、時期からして、パール・バックの『大地』を踏まえて付けられたのは疑いない」と断定している[2]。
2005年8月に、水藍(Lan Shui)指揮のシンガポール交響楽団、梁寧(Ning Liang)(メゾソプラノ)と莫華倫(Warren Mok)(テノール)独唱による、中国語歌唱の録音がなされている(BIS)。
子守唄と守り子歌
日本の民謡や童歌などで、「子守唄」とされる歌には、本来の童話(子供を寝かしつけるための歌)と、守り子唄(もりこうた)と呼ばれる唄とがあるといわれており、五木の子守唄は、守り子唄のひとつである。
守り子唄とは、子守をする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌である。かつて子守の少女たちは、家が貧しいために、「口減らし」のために、預けられることが多かったという。
歌詞には「おどま勧進勧進」という言葉が出てくる。
「 | おどま かんじん かんじん あん人たちゃ よかしゅ よかしゃ よかおび よかきもん | 」 |
ここに出てくる「かんじん」とは、「三十三人衆」と呼ばれる地主層に対しての「勧進」(小作人)という意味で、ここでは「物乞い」「乞食」という意味で用いられている。歌の意味は「私は乞食のようなものだ。(それにくらべて)あの人たちは良か衆(お金持ち、旦那衆)で、良い帯を締めて立派な着物を着ている」となる。
伝承によれば、治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、「かんじん」と呼ばれた小作人(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷から農具に至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てなくてはならなかった。娘たちも10歳になると、地主の家や他村へ子守奉公に出された。五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものである。
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然を 装いながら奇跡は いつも近くに居る
ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
今日と未来の間に 流れる河を夢と言うなら
あなたと同じ夢を見ることが 出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない
ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれて来た
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
くちなし
荒れていた庭 片隅に
亡き父が植えたくちなし
年ごとに かおり高く
花はふえ
今年は十九の実がついた
くちなしの木に
くちなしの花が咲き
実がついた
ただ それだけのことなのに
ふるえる
ふるえるわたしのこころ
「ごらん くちなしの実を ごらん
熟しても 口を開かぬ くちなしの実だ」
とある日の 父のことば
父の祈り
くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
高野喜久雄・詩
曲解説「くちなし」作曲:髙田三郎、作詞:高野喜久雄 | 永井友梨佳ボーカル教室♪ボイトレ・声楽レッスン|山梨県南アルプス市 (yurikanagai.com)
この青空はきっと続いてる
遠い街で誰かが 見上げる星空に
あなたの夢はきっと続いてる
遠い国の野原で 輝く虹に
*あなたの毎日が 世界を創り
愛する想いが 地球へと広がる
私は祈る 明日のために
まだ見ぬ あなたの笑顔のために*
あなたがひとり 見上げる月を
遠い海のクジラが 見つめ返している
もしも夜空に 鏡があれば
地球のみんなの 顔が見えるだろう
*repeat*
この小さな手でできること
見えない糸をたどって 全てを感じること
そう 誰にでも愛する人がいる
誰の心にも 大切な場所がある
さあ その気持ちをむげんに広げて
この星をぜんぶ ふるさとと言おう
あなたの毎日が 世界を創り
愛する想いが 地球へと広がる
私は祈る 平和のために
まだ見ぬ あなたの笑顔のために
いつの日か出会う その日のために
作詞:作曲 ミマス
一生分の体験+30分
この「地球星歌」は、アクアマリンのボーカリストで奥様でもあるSachikoさんとの世界一周新婚旅行での体験をもとに作られたそうです。旅の鮮明な感動体験から作った曲で、取り掛かってから30分くらいで歌詞もメロディーもできた曲だそうです。すごい!
しかし厳密に言うと、「遠い国の野原で輝く虹」というフレーズは、世界一周よりずっと昔にシベリア鉄道に乗ってユーラシア大陸を横断した時に車窓から見えた虹のことを思い出しながらできたものだったり、曲の最後に出てくる「平和」という言葉は、ミマスさんの永遠のテーマであるこの言葉を「ここしかない」と、当てはめたフレーズだったり、それまで生きてきたすべての経験の積み重ねがあって生まれた歌なので、「30分でまとめたが、30分で何からなにまで作ったわけではない」ということだそうです。