私が二回入院・手術した脊椎係留手術。
インターネットで調べても子どもの情報しかなくて、二分脊椎って病気自体が日本では少なくて、ましてや大人の情報は少ないと思う。
人口比率的には多いのかもしれないけれども、ニュージーに比べて一般に耳にしない。
ためしに二分脊椎協会に一年入っていたけれど、私には文化的にあわなくてやめちゃった。
でも留学中はほとんどの人が二分脊椎を知っていたよ。
話を戻して、去年から私が加わったChristians with dissabilitiesというインターネット上の情報交換で、北米やイギリスの二分脊椎の方々からいろんなことを教わった。
英語ができてよかったと思った瞬間。
脊椎係留の痛みに関する薬も、あちらは10年くらい早く認可されている。
その中で、自分の痛みは、どうやら抗癲癇薬でコントロールできる可能性があるらしいとわかった。それがこの夏。
同時期、6月、近所の薬剤師の友人が知った新薬。
「いままでの作用機序と全然違うから、きっと効くよ!」と教えてくれた。
でも、去年の6月に認可されたばかり。
認められている病名は帯状疱疹後神経痛ともう一つものすごく全身が痛くなる病気。
まあ、友達には「帯状疱疹になってもおかしくないくらいシンドイよね・・・」なんていってもらってしまいましたが。ハハハ・・・
上半身はまあ大丈夫だけど、下半身痛いしね。
でも私は保険適用外。
だから言えずにいた。
アメリカ人の二分脊椎の人は使っていて、経過も良い感じだったんだけど。
そのころは、諦めモードで治療をしないでいようと思ってた。
暗闇にいて抜け出せる光が見えなくて、劇団に加わったのはやけくそっていうか、そういうのもあった気がするな。身体が動かなくて、自己実現の場がないんだもん。
それなりに日々楽しく、些細な幸せを頼りにに生きてたけれど、ニュージーランドなんていう国に5年も6年も住んでしまって、当然のように健常者と対等に生きていたら、今の生活があまりにかけ離れていて「どうでもいいや」って思い始めて。
そして同時期、8月、母校の同級生の弟さんがお盆休みで「お茶しましょ」って話になった。彼はお医者さん。
当然痛みの話になる。
彼はその薬のことも知っていたし、私に出してもらえそうにない仕組みも教えてくれた。
がんとかならホスピスでキツイ鎮痛剤出してくれるんだろうけど、私は生死に関わらないしね。
でもおかげさまで、彼と話した後、「また治療して痛みのない生活を取り戻したいな」と思ったよ。この時点で5年間痛みに振り回されてたから、いい加減疲れていたんだね。
次の日は主治医の外来日ではなく、最初の主治医の外来日。
この先生が海外の事例をご存知で抗癲癇薬を処方してくださった。友達が言ってた薬じゃないけど。
でもどんどん量が増えてって、2ヶ月たっても効果がなくて、12月に手術した。
手術したことはたくさんと話し合って、納得して決めた。
でもほとんど痛みが変わらず、あげくに今度は副作用に振り回されてきた。
前回の手術もあまり痛みは変わらなかったから、今回も変わらないかもしれないという可能性はわかってた。でも私には、この5年間のいろんな意味でのストレスから解放されるための手段として、大きな期待を寄せていた。
ニュージーランドから一緒に日本に来たDは癲癇持ち。
私が抗癲癇薬を飲み始めた当初から、いい顔はしなかった。
もちろん私が痛みと不便さ、無理解と差別に苦しんでいるのは知っているけれど、それでも癲癇薬を飲むことには難色を示した。
そして先日、Dとあの人権意識についてのディスカッションをしてるときの体調の悪さったら!
吐き気・ふらつき・めまい・・・
それでもしゃんとしてる頭。頭もボーっとしてくれたら苦しみも減るのに。
Dは「薬飲むのやめて欲しい」
それから毎日、心配してメールくれて再三薬をやめるように言う。
でも私は離脱症状(禁断症状)が怖かった。
ちゃんと手当てしないと短期間で死にいたるとか書いてあるし!
でもその薬出してもらえなかったら他に選択肢はあるの?
二分脊椎ってあんまり専門的に見てもらえるところ少ないのに。
でもDは「君はもうQOLの低い生活を5年も送ったんだ。痛みor痛み+めちゃめちゃな頭(副作用で)ならどっちを取る?鬱まで副作用で出るときもあるんだよ」
すぐに処置しないと死んじゃうかもしれないんだよ、といえば
「君はどうやって生きていたいの?」
うーむ。(鬱が入っていたので)もう精一杯頑張ったからいいかな。
で、に電話。
私「疲れた。痛いし、しんどいし、自由じゃないし、平等になれないし、役に立たないし(これはよく私が言う言葉)」
「またそんな事言ってる。明日、元々の主治医の先生に聞いてごらん。電話番号わかんないんだったら、(母校の)シスターにお願いしてごらん。それでだめなら、ほかのところで、どうにかして薬出してもらえるように考えましょう」
私「諦めたらだめなの?」
「うん」
そして翌朝受け取ったのが、川村義肢からのメール。
急いでチェックしたら、主治医の外来日。
言いたいことを整理して、診察券を通す前にまたに電話。
「前の主治医じゃなくて、今の主治医の診察に行くのね?じゃあ思う存分しっかり打ち明けてごらん。私は100%あなたの味方よ」
そして出た薬剤師の友人が言ってくれていた薬。
少々ややこしいこともあったようだけれど、やれるだけの事はやったので、これで効かなかったらしかたがない。
でも効いたら、もっとアクティブにパワフルになれる。
FacebookにもTwitterにも書いたけれど、が言うように「自立って言うのは尊厳と誇りと自信を持つこと」だと思う。それを取り戻すために、この薬にかけようと思う。
インターネットで調べても子どもの情報しかなくて、二分脊椎って病気自体が日本では少なくて、ましてや大人の情報は少ないと思う。
人口比率的には多いのかもしれないけれども、ニュージーに比べて一般に耳にしない。
ためしに二分脊椎協会に一年入っていたけれど、私には文化的にあわなくてやめちゃった。
でも留学中はほとんどの人が二分脊椎を知っていたよ。
話を戻して、去年から私が加わったChristians with dissabilitiesというインターネット上の情報交換で、北米やイギリスの二分脊椎の方々からいろんなことを教わった。
英語ができてよかったと思った瞬間。
脊椎係留の痛みに関する薬も、あちらは10年くらい早く認可されている。
その中で、自分の痛みは、どうやら抗癲癇薬でコントロールできる可能性があるらしいとわかった。それがこの夏。
同時期、6月、近所の薬剤師の友人が知った新薬。
「いままでの作用機序と全然違うから、きっと効くよ!」と教えてくれた。
でも、去年の6月に認可されたばかり。
認められている病名は帯状疱疹後神経痛ともう一つものすごく全身が痛くなる病気。
まあ、友達には「帯状疱疹になってもおかしくないくらいシンドイよね・・・」なんていってもらってしまいましたが。ハハハ・・・
上半身はまあ大丈夫だけど、下半身痛いしね。
でも私は保険適用外。
だから言えずにいた。
アメリカ人の二分脊椎の人は使っていて、経過も良い感じだったんだけど。
そのころは、諦めモードで治療をしないでいようと思ってた。
暗闇にいて抜け出せる光が見えなくて、劇団に加わったのはやけくそっていうか、そういうのもあった気がするな。身体が動かなくて、自己実現の場がないんだもん。
それなりに日々楽しく、些細な幸せを頼りにに生きてたけれど、ニュージーランドなんていう国に5年も6年も住んでしまって、当然のように健常者と対等に生きていたら、今の生活があまりにかけ離れていて「どうでもいいや」って思い始めて。
そして同時期、8月、母校の同級生の弟さんがお盆休みで「お茶しましょ」って話になった。彼はお医者さん。
当然痛みの話になる。
彼はその薬のことも知っていたし、私に出してもらえそうにない仕組みも教えてくれた。
がんとかならホスピスでキツイ鎮痛剤出してくれるんだろうけど、私は生死に関わらないしね。
でもおかげさまで、彼と話した後、「また治療して痛みのない生活を取り戻したいな」と思ったよ。この時点で5年間痛みに振り回されてたから、いい加減疲れていたんだね。
次の日は主治医の外来日ではなく、最初の主治医の外来日。
この先生が海外の事例をご存知で抗癲癇薬を処方してくださった。友達が言ってた薬じゃないけど。
でもどんどん量が増えてって、2ヶ月たっても効果がなくて、12月に手術した。
手術したことはたくさんと話し合って、納得して決めた。
でもほとんど痛みが変わらず、あげくに今度は副作用に振り回されてきた。
前回の手術もあまり痛みは変わらなかったから、今回も変わらないかもしれないという可能性はわかってた。でも私には、この5年間のいろんな意味でのストレスから解放されるための手段として、大きな期待を寄せていた。
ニュージーランドから一緒に日本に来たDは癲癇持ち。
私が抗癲癇薬を飲み始めた当初から、いい顔はしなかった。
もちろん私が痛みと不便さ、無理解と差別に苦しんでいるのは知っているけれど、それでも癲癇薬を飲むことには難色を示した。
そして先日、Dとあの人権意識についてのディスカッションをしてるときの体調の悪さったら!
吐き気・ふらつき・めまい・・・
それでもしゃんとしてる頭。頭もボーっとしてくれたら苦しみも減るのに。
Dは「薬飲むのやめて欲しい」
それから毎日、心配してメールくれて再三薬をやめるように言う。
でも私は離脱症状(禁断症状)が怖かった。
ちゃんと手当てしないと短期間で死にいたるとか書いてあるし!
でもその薬出してもらえなかったら他に選択肢はあるの?
二分脊椎ってあんまり専門的に見てもらえるところ少ないのに。
でもDは「君はもうQOLの低い生活を5年も送ったんだ。痛みor痛み+めちゃめちゃな頭(副作用で)ならどっちを取る?鬱まで副作用で出るときもあるんだよ」
すぐに処置しないと死んじゃうかもしれないんだよ、といえば
「君はどうやって生きていたいの?」
うーむ。(鬱が入っていたので)もう精一杯頑張ったからいいかな。
で、に電話。
私「疲れた。痛いし、しんどいし、自由じゃないし、平等になれないし、役に立たないし(これはよく私が言う言葉)」
「またそんな事言ってる。明日、元々の主治医の先生に聞いてごらん。電話番号わかんないんだったら、(母校の)シスターにお願いしてごらん。それでだめなら、ほかのところで、どうにかして薬出してもらえるように考えましょう」
私「諦めたらだめなの?」
「うん」
そして翌朝受け取ったのが、川村義肢からのメール。
急いでチェックしたら、主治医の外来日。
言いたいことを整理して、診察券を通す前にまたに電話。
「前の主治医じゃなくて、今の主治医の診察に行くのね?じゃあ思う存分しっかり打ち明けてごらん。私は100%あなたの味方よ」
そして出た薬剤師の友人が言ってくれていた薬。
少々ややこしいこともあったようだけれど、やれるだけの事はやったので、これで効かなかったらしかたがない。
でも効いたら、もっとアクティブにパワフルになれる。
FacebookにもTwitterにも書いたけれど、が言うように「自立って言うのは尊厳と誇りと自信を持つこと」だと思う。それを取り戻すために、この薬にかけようと思う。