渡辺美里の「うたの木 オーケストラ 2011」に行ってきました。
シンフォニーホールであるのに、革ジャンとハーフパンツ(いわゆるキュロット?)で行ってしまったよ・・・
コンサートの前に友達二人と大阪でお茶をして
そのまま徒歩で二人が送ってくれた。結構、唐突なところにあってびっくり。
キョードー大阪には、当日スタッフに言って、車椅子席に変えてもらう予定だった。
もともとの席は、二階席の最前列の一番前の超ど真ん中。
階段をずんずん降りて、人々の前を横切る。
だから車椅子席を希望していた。
ところが昨日は車椅子が6件。(&お付の者たち)
横に並ぶとかなりズラーリ。
そこで、ちょっとは動ける私は、席の変更となった。
新しい席は、一階の舞台に向かって右端2シート(おお、足を伸ばせるではないか)
一階席の横に走る通路のすぐ後ろ。
なんか・・・ラッキー?
もちろん、痛かったけれども、ずっと足を下ろして座ったままでいるより、随分ラク。
スタッフの方々も親切。
ただシンフォニーは、入り口のスロープ(石畳風)の勾配がやたらきつくて
(ほんとにほんとに、ここ近辺でもこんな勾配はないよ)
ロビー(普通の二階)に行くのに階段昇降機で行く。
(オペラなんぞするシアターで、この時代に階段昇降機!)
車椅子トイレは二つあったり、ロビーからはエレベーターもあるのにね???
コンサートはオーケストラだから、ゆったりめの曲が多くて
みんな座ったまま聴いてる。
テンポが速い曲もあったけど、いつものライブとは違って良かったよ。
私は指揮者が面白くて、目が離せなかった。
手拍子するくらいのテンポの曲は、弓??(バイオリンとか弾くやつ)で演奏者がリズムを取ってるから、
ピョコンピョコン動いてて、それも気になって(いい意味で)仕方がなかった(笑)
音楽も歌声も、色も見えたしつやもあったし、ベルベットみたいな手触りもあった。
オーケストラって言葉を喋るのね。初めて知ったわ。
新しい発見だった!行って良かった。
でも多分、これって、アスピィの感覚が、ほかの感覚と統合されている現象かもしれない。
(例:僕には数字が風景に見える)
美里は今年の夏、また大阪城の野外でライブをする。
さすがに私は、猛暑だろうし、痛いし、そこまでもう若さもないので行かないけどね。
講演終了後、エレベーターは舞台に向かって左側。
人々は右側に流れていく。だからしばらく待っていた。
私の前には電動車椅子の方がいらして、その同伴の方が私の後ろに座ってらした。
そのさらに後ろには、杖で歩いてる、私よりいくつか年上であろう女性。
話しかけられたので返事をしていたのだけど
「いいですね。見える障害で。
私は杖だし、ズボンで隠れているけどこれは装具で、杖も気がついてもらえない」
と言われた。
どう言ったらいいんだろう。
そうすると
「ずっと座ってると足も痛くてね・・・」とおっしゃったので
「私も痛みがあるんですよ。
最近手術して、神経を触ったのですが、薬を飲んでも痛いので
今日はこうして2席用意していただいて、足を伸ばせたので助かりました」
と言った。
すると「私も痛いですよ!(アナタより痛いんだという感じで)
夏の大阪城が今から怖いですよ!主催者によっては対応してくれないし。
車椅子だったら見える障害だから何とかしてくれるかもしれないけれど・・・
お互い頑張りましょうね!」
・・・ ・・・複雑。
ってか、何を頑張るのか、よく飲み込めなかった。
梅田なんか行くと、車椅子でも、人々は前後左右を見て歩いてないし
立っている人の目線より、車椅子は下にいる。
斜め後ろを見ながら横切ろうとしちゃうサーカスみたいな方々は、わたしからすると、ものすごいランダム。
そういう方がもろに車椅子に激突してくることもしばしば。
避けようにも、人がいっぱいだしね。
だから車椅子だから道を空けてくれるとか、日本の場合、関係ない気がする。
それに・・・
私は本当に痛みに振り回された。今は少し落ち着いているけれど、痛みも「見えない障害」といえると思う。
アスペルガーだって、生き難いという観点からすれば「見えない障害」
見える障害もバラエティ豊かだけど、見えない障害もバラエティ豊か。
私のように「かけもち」してる人も、たくさんいる。
歳を重ねていって、膝や腰が痛くなること、コレステロールや血圧が上がること、老眼や白内障
こういうのも「見えない障害」かもしれないし
すり足になっていったり、杖をつくのも「見える障害」にカテゴライズされるかも。
昨日お茶したとき、私ともう一人は日本人だけど、もう一人は英語人。
英語人の友達には、言葉の障害があることになる。
だけどさ、見える障害と見えない障害を比べるのって、
私にすれば、マンゴーとオランウータンを比べるくらい、共通項が薄いものを比べているような気がする。
同じく、人はよく私の痛みについて「歳をとったら誰でも足腰が弱くなって、痛みも出てくるのよ」
って言うけれど(多分慰めてくれているつもりで)
私はまだ30代。大多数の30代は痛みがなく生活しているよね。
私や、車椅子の人が「いいなあ、ハイヒールが履けて!」というのと次元が違う気がするけど。
同じく、例えば道すがらのおばちゃんや、病院で出くわすおばあちゃんとかに言われることがある言葉。
「あなたはいいよね。歩けて、喋れて。
うちの孫は(うちの知ってる人のお孫さんはなどなど)言葉がしゃべれなくて、歩けない。」
でも、痛みがないかも知れないし、アスピィの困り感はないかもしれない。
その人が、幸せかどうかなんて外見からは分からないし、車椅子だからかわいそうでもないし
酸素ボンベしながらヘルパーと買い物してる人が、知恵遅れとは限らないんだよ。
同じく、「同じ」障害者だからって、どう「いい」か「悪いか」は決められない。
まったく立てない人のほうが、私より幸せかもしれないよ。
返事に困るわ・・・。
シンフォニーホールであるのに、革ジャンとハーフパンツ(いわゆるキュロット?)で行ってしまったよ・・・
コンサートの前に友達二人と大阪でお茶をして
そのまま徒歩で二人が送ってくれた。結構、唐突なところにあってびっくり。
キョードー大阪には、当日スタッフに言って、車椅子席に変えてもらう予定だった。
もともとの席は、二階席の最前列の一番前の超ど真ん中。
階段をずんずん降りて、人々の前を横切る。
だから車椅子席を希望していた。
ところが昨日は車椅子が6件。(&お付の者たち)
横に並ぶとかなりズラーリ。
そこで、ちょっとは動ける私は、席の変更となった。
新しい席は、一階の舞台に向かって右端2シート(おお、足を伸ばせるではないか)
一階席の横に走る通路のすぐ後ろ。
なんか・・・ラッキー?
もちろん、痛かったけれども、ずっと足を下ろして座ったままでいるより、随分ラク。
スタッフの方々も親切。
ただシンフォニーは、入り口のスロープ(石畳風)の勾配がやたらきつくて
(ほんとにほんとに、ここ近辺でもこんな勾配はないよ)
ロビー(普通の二階)に行くのに階段昇降機で行く。
(オペラなんぞするシアターで、この時代に階段昇降機!)
車椅子トイレは二つあったり、ロビーからはエレベーターもあるのにね???
コンサートはオーケストラだから、ゆったりめの曲が多くて
みんな座ったまま聴いてる。
テンポが速い曲もあったけど、いつものライブとは違って良かったよ。
私は指揮者が面白くて、目が離せなかった。
手拍子するくらいのテンポの曲は、弓??(バイオリンとか弾くやつ)で演奏者がリズムを取ってるから、
ピョコンピョコン動いてて、それも気になって(いい意味で)仕方がなかった(笑)
音楽も歌声も、色も見えたしつやもあったし、ベルベットみたいな手触りもあった。
オーケストラって言葉を喋るのね。初めて知ったわ。
新しい発見だった!行って良かった。
でも多分、これって、アスピィの感覚が、ほかの感覚と統合されている現象かもしれない。
(例:僕には数字が風景に見える)
美里は今年の夏、また大阪城の野外でライブをする。
さすがに私は、猛暑だろうし、痛いし、そこまでもう若さもないので行かないけどね。
講演終了後、エレベーターは舞台に向かって左側。
人々は右側に流れていく。だからしばらく待っていた。
私の前には電動車椅子の方がいらして、その同伴の方が私の後ろに座ってらした。
そのさらに後ろには、杖で歩いてる、私よりいくつか年上であろう女性。
話しかけられたので返事をしていたのだけど
「いいですね。見える障害で。
私は杖だし、ズボンで隠れているけどこれは装具で、杖も気がついてもらえない」
と言われた。
どう言ったらいいんだろう。
そうすると
「ずっと座ってると足も痛くてね・・・」とおっしゃったので
「私も痛みがあるんですよ。
最近手術して、神経を触ったのですが、薬を飲んでも痛いので
今日はこうして2席用意していただいて、足を伸ばせたので助かりました」
と言った。
すると「私も痛いですよ!(アナタより痛いんだという感じで)
夏の大阪城が今から怖いですよ!主催者によっては対応してくれないし。
車椅子だったら見える障害だから何とかしてくれるかもしれないけれど・・・
お互い頑張りましょうね!」
・・・ ・・・複雑。
ってか、何を頑張るのか、よく飲み込めなかった。
梅田なんか行くと、車椅子でも、人々は前後左右を見て歩いてないし
立っている人の目線より、車椅子は下にいる。
斜め後ろを見ながら横切ろうとしちゃうサーカスみたいな方々は、わたしからすると、ものすごいランダム。
そういう方がもろに車椅子に激突してくることもしばしば。
避けようにも、人がいっぱいだしね。
だから車椅子だから道を空けてくれるとか、日本の場合、関係ない気がする。
それに・・・
私は本当に痛みに振り回された。今は少し落ち着いているけれど、痛みも「見えない障害」といえると思う。
アスペルガーだって、生き難いという観点からすれば「見えない障害」
見える障害もバラエティ豊かだけど、見えない障害もバラエティ豊か。
私のように「かけもち」してる人も、たくさんいる。
歳を重ねていって、膝や腰が痛くなること、コレステロールや血圧が上がること、老眼や白内障
こういうのも「見えない障害」かもしれないし
すり足になっていったり、杖をつくのも「見える障害」にカテゴライズされるかも。
昨日お茶したとき、私ともう一人は日本人だけど、もう一人は英語人。
英語人の友達には、言葉の障害があることになる。
だけどさ、見える障害と見えない障害を比べるのって、
私にすれば、マンゴーとオランウータンを比べるくらい、共通項が薄いものを比べているような気がする。
同じく、人はよく私の痛みについて「歳をとったら誰でも足腰が弱くなって、痛みも出てくるのよ」
って言うけれど(多分慰めてくれているつもりで)
私はまだ30代。大多数の30代は痛みがなく生活しているよね。
私や、車椅子の人が「いいなあ、ハイヒールが履けて!」というのと次元が違う気がするけど。
同じく、例えば道すがらのおばちゃんや、病院で出くわすおばあちゃんとかに言われることがある言葉。
「あなたはいいよね。歩けて、喋れて。
うちの孫は(うちの知ってる人のお孫さんはなどなど)言葉がしゃべれなくて、歩けない。」
でも、痛みがないかも知れないし、アスピィの困り感はないかもしれない。
その人が、幸せかどうかなんて外見からは分からないし、車椅子だからかわいそうでもないし
酸素ボンベしながらヘルパーと買い物してる人が、知恵遅れとは限らないんだよ。
同じく、「同じ」障害者だからって、どう「いい」か「悪いか」は決められない。
まったく立てない人のほうが、私より幸せかもしれないよ。
返事に困るわ・・・。