ばかや「ろー」→「ろー」ぷ(ロープ)
サスペンスの巨匠と呼ばれた、アルフレッド・ヒッチコック。
もちろん自分も尊敬する映画監督のひとりだけれども、個人的にはこのひとの「真性のヘンタイぶり」に共感を抱くというか、興味も抱く。
ヘンクツな表現になってしまうが、あぁよかった立派なひとでなくて! と思うところがあるわけですよ。
ある意味では、ヒトデナシなんです明らかに。
自分の好みのブロンド美女ばかり起用する―のは分かるとして、ティッピ・ヘドレン(メラニー・グリフィスのママ)の女優としてのキャリアを潰したのもヒッチであり、こりゃサイテーだなと。
自分と肉体関係を持たなければ自作に出演させない―脅しじゃないか。
そしてティッピは寝ることを拒否し、実際に女優としての(後年の)キャリアはパッとしなかった。
強権発動、こんなことが許されるのか。
許されない・・・のだけれども、ヒッチは天才だから巨匠だから無問題だった。
もし「いま」であったなら、どうなっていたかは分からないけれど。
それでも過去を回想したとき、ティッピはヒッチのことを悪くいわなかった―すごいなって思う。
さて。
そんな人格的に優れた女優さんによって支えられたヒッチの、個人的5傑を挙げるとこうなる。
『サイコ』(60)
『鳥』(63)
『フレンジー』(72)
『白い恐怖』(45)
『ロープ』(48)
次点同率で、『めまい』(58)と『マーニー』(64)かな。
美男美女の恋愛をからめた「明」のサスペンスではなく、実験色の濃い「暗」のサスペンスのほうが好みであると。
まぁ年がら年中そういうことを書いているので、説明不要だとは思うけれど。
そして『ロープ』こそ、ヒッチ映画史上で最大の実験を試みた力作なのではないか。
フィリップとブラントンのふたりは学歴が優秀で、そのことを誇りに思っていた。
自分たちが他者よりもはるかに優れていることを証明するためにロープを使って青年を殺害、
チェストのなかに死体を隠し、彼の父親や恋人を招いてパーティを開くが・・・。
いけすかないエリートふたりによる「こころを動かされない」犯罪劇ではあるものの、ふたりを不審に思った大学教授(ジェームズ・スチュアート)の推理が見どころで、後半はなかなか面白い。
ただ映画史的に重要とされているのは物語ではなく、「編集」にあった。
全編をカットなし、ワンショットで撮った「かのように」創られている。
「かのように」というのは、当時のフィルムでは連続撮影の限界は15分前後。
どうやっても80分の映画を「ワンショット撮り」することは出来ない。
そこで背中や蓋を「超ドアップ」で撮り、ここをショットの切れ目とすることで、全体がつながっているように表現しているのだった。
※まどろっこしい説明文より、映像を見せたほうが早いか
近年、デジタル技術によって「ワンショット撮り、したかのように表現する」作品が増えた。
オスカーを受賞した『バードマン』(2014)がそうだし、
『ゼロ・グラビティ』(2013)の冒頭もそうだった。
みんな凄いけど、万能的なデジタル技術がなかったころに「映画をワンショットで」と発想し、実際にやろうとしちゃうヒッチコックって、やっぱり「異能のひと」だったのだと思うのだ。
あすのしりとりは・・・
ろー「ぷ」→「ぷ」ーる。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(146)』
サスペンスの巨匠と呼ばれた、アルフレッド・ヒッチコック。
もちろん自分も尊敬する映画監督のひとりだけれども、個人的にはこのひとの「真性のヘンタイぶり」に共感を抱くというか、興味も抱く。
ヘンクツな表現になってしまうが、あぁよかった立派なひとでなくて! と思うところがあるわけですよ。
ある意味では、ヒトデナシなんです明らかに。
自分の好みのブロンド美女ばかり起用する―のは分かるとして、ティッピ・ヘドレン(メラニー・グリフィスのママ)の女優としてのキャリアを潰したのもヒッチであり、こりゃサイテーだなと。
自分と肉体関係を持たなければ自作に出演させない―脅しじゃないか。
そしてティッピは寝ることを拒否し、実際に女優としての(後年の)キャリアはパッとしなかった。
強権発動、こんなことが許されるのか。
許されない・・・のだけれども、ヒッチは天才だから巨匠だから無問題だった。
もし「いま」であったなら、どうなっていたかは分からないけれど。
それでも過去を回想したとき、ティッピはヒッチのことを悪くいわなかった―すごいなって思う。
さて。
そんな人格的に優れた女優さんによって支えられたヒッチの、個人的5傑を挙げるとこうなる。
『サイコ』(60)
『鳥』(63)
『フレンジー』(72)
『白い恐怖』(45)
『ロープ』(48)
次点同率で、『めまい』(58)と『マーニー』(64)かな。
美男美女の恋愛をからめた「明」のサスペンスではなく、実験色の濃い「暗」のサスペンスのほうが好みであると。
まぁ年がら年中そういうことを書いているので、説明不要だとは思うけれど。
そして『ロープ』こそ、ヒッチ映画史上で最大の実験を試みた力作なのではないか。
フィリップとブラントンのふたりは学歴が優秀で、そのことを誇りに思っていた。
自分たちが他者よりもはるかに優れていることを証明するためにロープを使って青年を殺害、
チェストのなかに死体を隠し、彼の父親や恋人を招いてパーティを開くが・・・。
いけすかないエリートふたりによる「こころを動かされない」犯罪劇ではあるものの、ふたりを不審に思った大学教授(ジェームズ・スチュアート)の推理が見どころで、後半はなかなか面白い。
ただ映画史的に重要とされているのは物語ではなく、「編集」にあった。
全編をカットなし、ワンショットで撮った「かのように」創られている。
「かのように」というのは、当時のフィルムでは連続撮影の限界は15分前後。
どうやっても80分の映画を「ワンショット撮り」することは出来ない。
そこで背中や蓋を「超ドアップ」で撮り、ここをショットの切れ目とすることで、全体がつながっているように表現しているのだった。
※まどろっこしい説明文より、映像を見せたほうが早いか
近年、デジタル技術によって「ワンショット撮り、したかのように表現する」作品が増えた。
オスカーを受賞した『バードマン』(2014)がそうだし、
『ゼロ・グラビティ』(2013)の冒頭もそうだった。
みんな凄いけど、万能的なデジタル技術がなかったころに「映画をワンショットで」と発想し、実際にやろうとしちゃうヒッチコックって、やっぱり「異能のひと」だったのだと思うのだ。
あすのしりとりは・・・
ろー「ぷ」→「ぷ」ーる。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(146)』