このガタイとツラがそう思わせるのか、
怒ったら怖そう。
だとか、
(勝てそうにないので)ゼッタイに喧嘩を売らない。
だとか、「よく」いわれる。
そんなこともないと思うけれどね。
怒っているときでもヘラヘラ顔のままだろうし、そもそもなかなか怒らないし、
この歳になると、売られた喧嘩だって買わなくなるし。
売られることも(滅多に)ないが、売られたとしても、うまいことかわしますよ、ヘタレに思われることが「ないような」感じで。
それが、41年の人生で会得した処世術というか。
40過ぎて喧嘩上等とか、はっきりいって頭悪いよね?
実際にそういうヤツ居るけど。
では、なにに対して怒るのか?
うーーん。
自分には卑下とか自虐の精神が根付いているはずだから、自分のこといわれても怒ることがないと思うよ。
月並みではあるが、やっぱり家族のこととか、自分が大事に思っているヒト・モノについて「明らかな」中傷的発言をされた場合にのみ、怒るのだろうね。
うん、ヒトだけではない。
自分は映画を「心底」信じているものなので、まぁ映画そのものをバカにするひとなんて滅多に居ないけれども、映画についてアレヤコレヤと否定的な意見をかまされると、すぐに体温が上がってしまうところがある。
とはいっても。
手を出すことなんてないわけで。
では、手を出されたことはあるのか? というのが今回のテーマ。
「初めてガチンコで殴られた経験」でいってみよう。
悪さばかりしてきたガキなので、とーちゃんかーちゃんからは「人並み、以上」にはビンタされてきた。
しかしそれはビンタであって、パンチではなかった。
そして、モテる男ではないクセして、モテる男のマネゴトをやらかし女子にビンタされたことも1度や2度ではない。
今回は、そうしたベタで安い? エピソードは除外して語っていくことにする。
本気で殴られ、その一発で完全に打ちのめされたエピソード限定、、、って、そんなこと、2度しかないのだけれども。
自分のことを語る前に、まずは映画における「殴る行為」について。
映画史上で最もパワフルな「拳闘」シーンは、トップ画像の『TOKYO FIST』(95)だと思う。
本年公開された『野火』も素晴らしい塚本晋也監督が、ボクシング経験のある実弟を起用して描いた、男女の三角関係「格闘」ドラマ。
意外性という意味では、やられっぱなしだった小日向文世がビートたけしにやり返す『アウトレイジ』(2010)とか。
「殴ってみろよ」とマイケル・ダグラスに煽られたキャスリーン・ターナーが本気で殴ってくる『ローズ家の戦争』(89)とか。
モノを使うのは反則だが、消火器で頭を破壊するシーンのある『アレックス』(2002)を観た晩は、寝つきが悪くなるほどのインパクトだった。
いわゆるメジャー映画では、ひとを殴るシーンは爽快感を味わえるように表現されている。
翻ってインディーズでは、不快感を抱くように表現されている(ことが多い)。
スコセッシが常にいうように、「暴力は格好いいものではない」のだから。
うん。
これぞ、理想的なメジャー/インディーズの関係性だと思う。
しかし本音をいえば、殴りたいヤツは居る。
でもアレヤコレヤを想像し考察し、振り上げた拳をゆっくり元に戻している。
自分が他者に対してそう思うように、「あるひと」は自分を殴りたいと思っている可能性はある。
今回取り上げるエピソードは、その可能性が100を超えてしまった例である。
つづく。
※あんまり日本ではウケなかったけど、好きだよ自分は。適度に過激だし。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(151)』
怒ったら怖そう。
だとか、
(勝てそうにないので)ゼッタイに喧嘩を売らない。
だとか、「よく」いわれる。
そんなこともないと思うけれどね。
怒っているときでもヘラヘラ顔のままだろうし、そもそもなかなか怒らないし、
この歳になると、売られた喧嘩だって買わなくなるし。
売られることも(滅多に)ないが、売られたとしても、うまいことかわしますよ、ヘタレに思われることが「ないような」感じで。
それが、41年の人生で会得した処世術というか。
40過ぎて喧嘩上等とか、はっきりいって頭悪いよね?
実際にそういうヤツ居るけど。
では、なにに対して怒るのか?
うーーん。
自分には卑下とか自虐の精神が根付いているはずだから、自分のこといわれても怒ることがないと思うよ。
月並みではあるが、やっぱり家族のこととか、自分が大事に思っているヒト・モノについて「明らかな」中傷的発言をされた場合にのみ、怒るのだろうね。
うん、ヒトだけではない。
自分は映画を「心底」信じているものなので、まぁ映画そのものをバカにするひとなんて滅多に居ないけれども、映画についてアレヤコレヤと否定的な意見をかまされると、すぐに体温が上がってしまうところがある。
とはいっても。
手を出すことなんてないわけで。
では、手を出されたことはあるのか? というのが今回のテーマ。
「初めてガチンコで殴られた経験」でいってみよう。
悪さばかりしてきたガキなので、とーちゃんかーちゃんからは「人並み、以上」にはビンタされてきた。
しかしそれはビンタであって、パンチではなかった。
そして、モテる男ではないクセして、モテる男のマネゴトをやらかし女子にビンタされたことも1度や2度ではない。
今回は、そうしたベタで安い? エピソードは除外して語っていくことにする。
本気で殴られ、その一発で完全に打ちのめされたエピソード限定、、、って、そんなこと、2度しかないのだけれども。
自分のことを語る前に、まずは映画における「殴る行為」について。
映画史上で最もパワフルな「拳闘」シーンは、トップ画像の『TOKYO FIST』(95)だと思う。
本年公開された『野火』も素晴らしい塚本晋也監督が、ボクシング経験のある実弟を起用して描いた、男女の三角関係「格闘」ドラマ。
意外性という意味では、やられっぱなしだった小日向文世がビートたけしにやり返す『アウトレイジ』(2010)とか。
「殴ってみろよ」とマイケル・ダグラスに煽られたキャスリーン・ターナーが本気で殴ってくる『ローズ家の戦争』(89)とか。
モノを使うのは反則だが、消火器で頭を破壊するシーンのある『アレックス』(2002)を観た晩は、寝つきが悪くなるほどのインパクトだった。
いわゆるメジャー映画では、ひとを殴るシーンは爽快感を味わえるように表現されている。
翻ってインディーズでは、不快感を抱くように表現されている(ことが多い)。
スコセッシが常にいうように、「暴力は格好いいものではない」のだから。
うん。
これぞ、理想的なメジャー/インディーズの関係性だと思う。
しかし本音をいえば、殴りたいヤツは居る。
でもアレヤコレヤを想像し考察し、振り上げた拳をゆっくり元に戻している。
自分が他者に対してそう思うように、「あるひと」は自分を殴りたいと思っている可能性はある。
今回取り上げるエピソードは、その可能性が100を超えてしまった例である。
つづく。
※あんまり日本ではウケなかったけど、好きだよ自分は。適度に過激だし。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(151)』