Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

記憶

2015-11-24 05:53:43 | コラム
小学4年生あたりで「映画って、いいな」と思うようになり、
中学生で映画ファンを自称、
高校になると映画小僧であると自覚するようになった自分。

上京して以降は、劇場での鑑賞数が100を切ったことがない。

・・・というのが自慢というか誇りといえば誇りなのだが、

「それだけ観ていると、どんどん忘れていかない?」と問われることがある。

「自分にとって面白い作品は、よく覚えているよ。その逆の、モノスゴつまらない作品も同様」
「つまらない作品も?」
「つまらな過ぎると、覚えているものだよ」
「へー。忘れる作品って?」
「真ん中あたりの出来のもの。そういうものから、次々と忘れていく」

たとえば、わが神スコセッシの『グッドフェローズ』(90)は、ビデオも含めて50回を超える鑑賞数で「隅々まで」覚えているが、



あれだけ? 大嫌いな『稲村ジェーン』(90)は、きっちり観たのはいちどだけなのに、

やっぱり「隅々まで」覚えているのだった。

そういうもの、なのである。


ただ出来不出来に関係なく、監督や俳優の名前を忘れがちにはなった。

昔は「誰だっけ、えーーーと」などと考え込むことさえなかったはずなのに、いまは「しょっちゅう」そういうことが起こる。

たとえば先日は、トッド・ソロンズとトッド・ヘインズがどっちがどっちだか分からなくなって困った。
田畑智子と多部未華子が「ごっちゃ」になって頭を抱えた。

そういうことがないように―と始めたのが、我流の「俳優列伝」だったはずなのに。


トシかなぁ、、、などとはいってはいけない。

淀川センセーは、70を過ぎても幼少のころに触れた映画について「はっきり」覚えていた。

映画について書くということは、日常生活で大事なことを忘れても、映画についてだけは忘れてはいけないってことだろう。


少しでも暇な時間が出来たら、『ロードショー』の付録だった「スター名鑑」を眺める。
そうやって自分は、俳優や映画のタイトルを覚えていたんじゃなかったっけか。

AV流してアレをソレするのも大事だが、初心を忘れていたかもしれないな・・・と、淀川センセーの解説を観るたびに思うのだった。




…………………………………………

明日のコラムは・・・

『にっぽん男優列伝(305)前田吟』
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする