さいた「ま」→「ま」んしんそうい(満身創痍)
満身創痍とは簡単いえば、傷だらけの状態を指す。
自分もよく怪我自慢を展開するけれど、それでも(試合の前からテーピングをぐるぐる巻いている)桜庭和志や、
常にどこかを折っている出川哲朗には敵わないわけで、こういうひとたちこそ、満身創痍という(自分にとっては)格好いいことばを使う資格があるのだと思う。
映画と満身創痍。
物語の基本とされる起承転結の「転」があるかぎり、映画と傷だらけは切っても切れない関係なのだった。
以下が、印象に残る「映画のなかの満身創痍」。
(1)『ダイ・ハード』(88…トップ画像)
裸足という時点で出血「前提」であり、そりゃあ(数時間ぶりに)再会した妻は、その変わりように驚くわな。
(2)『トゥルー・ロマンス』(93)
どれだけ痛めつけられても、ファック・ユー。
この映画のアラバマは、クラレンス以上にクール。
(3)『用心棒』(61)
ジャイアント馬場みたいな巨人に、ボコボコにされる。
(4)『ミザリー』(90)
髭剃りさえも、おそろしい。
ここまでいたぶられるなら、死んだほうがいいかもしれない。
(5)『裸の銃を持つ男』(88)
その後のO・J・シンプソンを思うと、、、ね苦笑
(6)『レザボア・ドッグス』(92)
血だるまになって、ひくひくいっている、ミスター・オレンジ。
(7)『ロボコップ』(87)
キチガイ連中につかまり、ヒトとしての機能を破壊される主人公。
(8)『ジョニーは戦場へ行った』(71)
このなかで最も悲惨であろうし、最も笑えない。
(9)『ユージュアル・サスペクツ』(95)
「全身火傷の男が、死ぬほど怖がっているんだぞ!」
(10)『ランボー』(82)
身体だけでなく、こころがもっとやられている。
次回のしりとりは・・・
まんしんそう「い」→「い」っぱつや。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『ベルギーに一票』
満身創痍とは簡単いえば、傷だらけの状態を指す。
自分もよく怪我自慢を展開するけれど、それでも(試合の前からテーピングをぐるぐる巻いている)桜庭和志や、
常にどこかを折っている出川哲朗には敵わないわけで、こういうひとたちこそ、満身創痍という(自分にとっては)格好いいことばを使う資格があるのだと思う。
映画と満身創痍。
物語の基本とされる起承転結の「転」があるかぎり、映画と傷だらけは切っても切れない関係なのだった。
以下が、印象に残る「映画のなかの満身創痍」。
(1)『ダイ・ハード』(88…トップ画像)
裸足という時点で出血「前提」であり、そりゃあ(数時間ぶりに)再会した妻は、その変わりように驚くわな。
(2)『トゥルー・ロマンス』(93)
どれだけ痛めつけられても、ファック・ユー。
この映画のアラバマは、クラレンス以上にクール。
(3)『用心棒』(61)
ジャイアント馬場みたいな巨人に、ボコボコにされる。
(4)『ミザリー』(90)
髭剃りさえも、おそろしい。
ここまでいたぶられるなら、死んだほうがいいかもしれない。
(5)『裸の銃を持つ男』(88)
その後のO・J・シンプソンを思うと、、、ね苦笑
(6)『レザボア・ドッグス』(92)
血だるまになって、ひくひくいっている、ミスター・オレンジ。
(7)『ロボコップ』(87)
キチガイ連中につかまり、ヒトとしての機能を破壊される主人公。
(8)『ジョニーは戦場へ行った』(71)
このなかで最も悲惨であろうし、最も笑えない。
(9)『ユージュアル・サスペクツ』(95)
「全身火傷の男が、死ぬほど怖がっているんだぞ!」
(10)『ランボー』(82)
身体だけでなく、こころがもっとやられている。
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