Cape Fear、in JAPAN

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にっぽん女優列伝(62)大原麗子

2018-06-12 00:10:00 | コラム
46年11月13日生まれ・2009年8月3日死去、享年62歳。
東京出身。

亡くなる少し前のこと、だったのかしら・・・
ワイドショーかなにかで、インターホン越しに大原麗子(おおはら・れいこ)さんを取材するリポーターの映像を観たことがあります。

内容はすっかり忘れてしまいましたが、麗子さんはほとんど泣いていて、女性リポーターも気の毒な顔をして相槌を打つことくらいしか出来なかったと記憶しています。

ギラン・バレー症候群の再発だとか、うつ病だとか、いろいろいわれていましたが、あんなにかわいらしいひとがどうしちゃったのだろうかと思ったものでした。

いわゆる「男が放っておかない」タイプの女性、しかし誰にも知られず息を引き取りました。
(死後3日経って発見)

だからでしょうか、個人的に飯島愛とかぶってしまうところがあるのです。


そして。
映画版の『それから』(85)で三千代を演じたのは藤谷美和子でしたが、自分がプロデューサーだったとしたら、まちがいなく麗子さんを起用していたと思います。


※演出は市川崑監督



<経歴>

父親は、老舗和菓子屋『田月堂』の経営者。


最初の旦那は渡瀬恒彦、



2番目の旦那が森進一。


60年代東映映画のアイドル的存在として、多数のプログラムピクチャー「的」作品に出演する。

実質的な映画俳優デビュー作は、65年の『孤独の賭け』。

【65年】
『可愛いあの娘』『いろ』『かも』『地獄の波止場』『夜の悪女』

同年、『網走番外地』シリーズに参加、準レギュラーとして初期作品に連続出演する。

麗子さんは共演した高倉健を慕い、以降の女優人生を支えてくれる大きな存在になったようです。

『北海篇』(65)
『荒野の対決』(66)
『南国の対決』(66)
『大雪原の対決』(66)
『決斗零下30度』(67)

【66年】
『太陽に突っ走れ』『浪曲子守唄』『夜の牝犬』『昭和最大の顔役』『女犯破戒』『非行少女ヨーコ』『男なんてなにさ』『赤い夜光虫』『ボスは俺の拳銃で』

【67年】
『続 浪曲子守唄』『北海遊侠伝』『河内遊侠伝』『喜劇 急行列車』『柳ケ瀬ブルース』

【68年】
『続決着』『あゝ予備練』『不良番長』『大奥絵巻』

同年、『(秘)トルコ風呂』で初主演。
共演はもちろん(?)夜の帝王・梅宮のアニキでした。


『三匹の牝蜂』(70)、『座頭市あばれ火祭り』(70)、『奇妙な仲間 おいろけ道中』(70)、『経験』(70)、
『喜劇 トルコ風呂 王将戦』(71)、
『湯けむり110番 いるかの大将』(72)、『喜劇 黄綬褒章』(73)。


東映の契約が切れた70年代前半からは他社の映画でヒロインを演じたりもしましたが、どちらかというとテレビドラマを中心に活躍。
橋田壽賀子がその演技力を買っていたからです。

なるほど、それで知名度の割には映画的な代表作が挙げ難いのですね。


『獄門島』(77)、『柳生一族の陰謀』(78)、『火の鳥』(78)、『男はつらいよ 噂の寅次郎』(78)、
『セカンド・ラブ』(83)、『居酒屋兆治』(83)、『おはん』(84)、『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(84)、『新・喜びも悲しみも幾歳月』(86)、
最後の映画出演作は、92年の『勝利者たち』。

映画キャリアを眺めてみて、やっぱり『おはん』が代表作になるのかな、、、って思います。


ギラン・バレー症候群のほかに乳がん手術を受けたり、整形手術が失敗して「ひきこもり」になったこともありました。

そして2009年8月6日―。
自宅で亡くなっているのが発見される。

死因は、不整脈による脳内出血。
死亡推定日時は、8月3日。

享年62歳―寂しい最後ですが、ヒトゴトっぽくいってしまうと、これもまた映画的ではあるよなぁ、、、なんて思います。


次回のにっぽん女優列伝は、大政絢さんから。

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明日のコラムは・・・

『小津のことば』
コメント (4)
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