2003年9月28日(日)
#188 山下達郎「GO AHEAD!」(RCA/RVC RVL8037)
山下達郎、RVCにおける四枚目(スタジオ録音としては三枚目)のアルバム。79年リリース。
75年、シュガー・ベイブでデビュー以来、着実に実力をたくわえ、すでにクロウト筋には高い評価を獲得していた達郎の、メジャー・ブレイクのきっかけとなった一枚といえよう。
<筆者の私的ベスト3>
3位「PAPER DOLL」
個人的なことを書いてしまうと、筆者が達郎のナンバーでは初めて、「うむ、おぬし、やるな!」と思った曲。
抑えのきいたカッティングが印象的なギターに乗せて、これまた極力抑えた「泣き」のヴォーカルを聴くことが出来るのだが、この表現力がスゴい。
とても、二十代半ばの若造の歌とは思えないものがあった(リリース当時、達郎26才)。
彼は、世間的なイメージでは、高らかに歌い上げる「歌唱力」のひとと思われているようだが、彼自身、自らの声について言及しているように、決して「太い」声の持ち主ではない。
むしろ、その線の細い声を生かした、「抑制」のきいた表現にこそ、彼の本領があると思うのだが、いかがであろうか。
「PAPER DOLL」での歌唱は、まさに彼ならではのオリジナルな表現だと思う。
「circustown.net」でも指摘されているが、カーティス・メイフィールドあたりのソウル・ミュージックを、相当研究した上に生み出されたサウンドにも注目。
ソリッドでファンキーなギター・ソロ(達郎本人?)が実にカッコいいし、田中章弘のベースもいい。
日本におけるファンク・ミュージックのパイオニア、山下達郎の面目躍如な一曲だと思う。
2位「BOMBER」
これまた、ゴリゴリにファンクな一曲。
田中章弘のチョッパー・ベースが暴れまくり、椎名和夫のギターが火を吹く、スーパー・プレミアム・ファンク・チューン。
もちろん、彼のヴォーカルも鋭い切れ味を見せている。決して周りの凄まじいサウンドにひけをとっていない。
この曲、A面2曲目の「LET'S DANCE BABY」とのカップリングによりシングル・カットされたが、甘ったる~い「LET'S DANCE BABY」よりよほどカッコいいということで、コアなファンにはこちらの方が断然好評だったようだ。
この後も達郎は、アルバム中に必ず一曲は、こういうハードコアなファンク・ナンバーを入れていくことになる。
なにせ、彼の守備範囲は広かったからねえ。ビーチ・ボーイズからP-ファンクまで研究していたアーティストなんて、他にはおらなんだわ(笑)。
いまの達郎はこういう曲を書くとはとても思えないが、若者の暴力衝動、破壊衝動が見事に昇華された、名曲だと思う。
今聴いても、ホント、新鮮でショッキングな曲作りであります。
1位「2000t OF RAIN」
またまた個人的な思い入れを書いてしまうと、筆者にとっての「青春の一曲」なんだな、これが。
この曲、最近、リミックス・ヴァージョンによりリヴァイヴァル・ヒットとなったのだが、ひさしぶりに聴いたときには、自分が二十代だったころの思い出がじんわりとこみ上げて来てしまった。
筆者は24才から約9年間、港区芝に住んでいた関係で、遊ぶ場所は主に六本木だったのだが、夜中に歩いて帰宅する道すがら、東京タワーを必ず仰ぎ見ることになった。
その時、この曲の一節、「道のむこう そびえ立つタワー/もうすぐ空へ 届くだろう」を思い出し、いつも口ずさんでいたものだ。
相手になかなか思いが伝わらず、女性にフラれてばかりいた頃の筆者の、思い出そのものの一曲なのだ。
改めてこの曲をじっくりと聴いてみると、当時すでにフィル・スペクターばりの、完璧なサウンド作りをしていたことがよくわかる。ストリングス、コーラスの配し方、一分の隙もない。
やはり、達郎の才能はタダモノじゃない。
その後彼は多くのヒットを飛ばし、名実ともにわが国のトップ・アーティストとなっていくのだが、次第にその音楽からは、「青春」の混沌、モヤモヤとしたものは消えていく。
それはまあ、いたしかたないことかも知れない。
実生活の彼は、結婚もし、子供も生まれ、家庭人としてごく常識的な生き方をせざるをえなかったのだから。
おのずとそれは、作品内容にも影響を及ぼし、青春期の狂おしいパッションといったものは次第に影をひそめていくことになる。
それゆえ、筆者は、まだそれが現実のものとして、作品中に渦巻いていた本盤を愛するのだ。
若者の孤独でやるせない気持ちを、見事な曲として紡ぎ出した当時の彼の才能は、いつの時代にも鮮やかな感動を呼び起こしてくれる。
「青春の一枚」、それはとりもなおさず「永遠の一枚」でもあるのだと、筆者は思っている。
<独断評価>★★★★☆