T水産のお気に入りのカップ麺、一番好きだったのが廃番になったらしくって店頭では全く見かけなくなり、一度はネットで箱買いもしたけれど、次に買おうと思ったら激上がりで我慢、その次にお気に入りのカップ麺を買っていたらこちらも店頭から無くなって、ネットで検索、値段を見てびっくり、〇・ムーで120円で売っていたのが一個あたり220円、それならば一番好きなのが残ってないか調べたら同じ価格で出ていたので思わずポチ、激上がりの時よりさらに50円ほどアップでしたが、まさに表題の通りで欲しいけれど潤沢に出回っていない、となれば価格は売り手に決定権がってことになって、私のような粗忽者が引っかかってポチってしまう(^_^;) 冷静に考えればもう一度我慢すれば良いのに、出来ないところが老いぼれの悲しさ、我慢すべき所は我慢って生活にしなければいけないと分かっているはずなのに・・・つくづく馬鹿だと思った出来事でした。
今日ももう一日足の様子見にお散歩、道路脇に何やら見慣れぬものがあって
張り紙には交通量調査中って、かつては人手で行っていた調査、センサーでカウントしているんでしょうけれど、これにもAIが使われている?調査員の健康被害や車に対するリスクを考えれば当然の成り行きですね。ここは一通道路ですが、不慣れなドライバーがよく逆走して来る場所、逆走車もカウントするんでしょうね。
いったん帰宅して昼食、その後こちらのお焚き上げへ
張り紙がしてあったので読んでびっくり、家庭ゴミや一般ゴミを捨てに来る不届き者がいるらしくって、それに対する注意でしたが、無信心の私でも困った時の神頼みとか、お伊勢さんへ行けば清浄な気に包まれるような気がするとか、それなりに体に染みついている昭和バリバリ人間にとっては理解不能な人種です。